アルゼンチンタンゴ。
男と女。
絡み合う視線。縺れ合う肢体。
エキゾティックな顔の美しい女。しなやかな細身の美しい男。
導き、拒絶し、追いかけて一つになる。
あからさまな駆け引き、男と女が一つになるための、前戯。
…そんなセクシーで象徴的なダンスシーンから始まりました。
新田の駆け引きのお相手はダンス講師の女性。
あまりにも彼女が綺麗で思わせぶりで、以前読んだ原作のイメージまんまだったので
騙されそうになりました、私。
まさかこの冒頭のシーンがラストと対称になっているとは。

鈴木監督の左右対称への執着が通奏低音のようにそこここに在る。
ホテルの入り口。ロビーを左右に分ける通路。突き当たりのフロント。
しかし今回、その均衡を乱すものがある。
山岸のいるコンシェルジュのコーナーが向かって左の端に位置している。
フロントがホテルの真ん中、中枢として動かずにいるのと対称的に
コンシェルジュの山岸は厄介な客の要求に応えるべく常に動いている。
ホテルという小宇宙を動き回る遊星のような。
彼女の動きが一見バラバラに見える事象を関連付けていく。
ホテルマンのフリをし、ロビーに目を配り客の動きを監視する新田。
ホテルマンとして客の様子を見逃さず自律的に動く山岸。
ホテル・コルテシアの中で2人はまるで組織の外側に居るかのように振る舞う。
ところで2人の関係性は、残念ながらというかやはりというか、前作から進展なし。
対等のプロフェッショナル=バディのままで、タンゴを踊る関係にはない。
前作のラスト、目の眩むような美貌と色気で新田を幻惑した山岸。
笑顔が素敵だし勇気あるし賢いし、ため息のでるプロポーション。
新田だって内心惹かれているはずなのに。
凛としたタイトスカートの後ろ姿に胸がときめかないはずはない。
そこで今回も能勢がいい仕事をする。
「新田さんはあなたを、守ろうとしてるんです。」
絶妙な一言。ハッとする山岸。
そう、能勢は2人のキューピッドでもある。
その証拠に、チャペルのシーン。
彼の背中に一瞬、ステンドグラスの天使の羽が生えているではないか。
チャペルと言えば、恋人との哀しい思い出話をする仲根緑の、聖女のような美しさ。
きめ細かな白い肌、艶やかな髪、切れ長の黒い瞳。
涙を流す潤んだ目の光がつよい印象を残す。
哀しい身の上話にすっかり同情した様子の刑事とコンシェルジュ。
仲根緑は内心ほくそ笑んでいたに違いない。
だが、皮肉にもその瞳によって仮装パーティの喧騒の中、新田は彼女を見つけ出す。

直感と理論の両方とで新田は消去法的に犯人を割り出した。
まず、真犯人候補は偽名で宿泊している3人に絞られる。

・殺された女性と関係のあった浦部。
・山岸に無理難題を押し付ける日下部。
・夫婦を偽る仲根。

最も怪しい浦部が、張り込んでいる刑事をパーティ会場から誘い出す。
が、彼は犯人に操られた囮だと分かる。
真犯人は刑事達を遠ざけたかった場所、つまりパーティ会場にいるはずだ。
そして日下部は会場に来ていない。
残るは仲根。
しかし殺されたのは若い女性で、当時付き合っていた彼氏以外の男がいる。
犯人は男性。
仲根緑は女。
しかし…
この結論に新田の<型破り>な個性が遺憾無く発揮される。
柔軟な発想、大胆な推理。
まさか冒頭のアルゼンチンタンゴが鍵になるとは!
ファントムの仮面を着けた者を新田はダンスに誘う。
踊るのはタンゴ。
仮面の下の印象的な瞳は間違いなく仲根緑。
新田は敢えて女性のパートを踊る。
ファントムの中の人は男か?女か?
新田はそれを、タンゴのパートを逆転することで確かめようとした。
「アルゼンチンタンゴは男同士で踊ってもいいそうです。」
と差し出す新田の手。
誘いに乗るファントム。
新田はリードする/追いかける者=男ではなく、リードされる側=女として
タンゴを踊る。
男は女に、女は男に。
小柄なファントムは慣れた様子で男として新田をリードする。
ファントムの攻めるダンスを受ける新田の目はしかし、獲物を狙う肉食獣。
男と男。
複雑に屈折しもつれ合い、倒錯する性のダンス。
冒頭のスタンダードなタンゴと見事な対称を成す。
伏線回収。

マスカレードナイトは女優さんのお芝居に圧倒されました。
曽根万智子の木村佳乃。
こんなチャンスないでしょ?と語る笑顔に滲み出る狂気。
被害者面の下の悪意と殺意。

仲根緑の麻生久美子。
尊大な蒼白の仮面の下のトラウマと憎悪。
美しい切れ長の瞳が、酷薄な男のそれに変わる。
妹の面影を求め、裏切りのたびに女を殺す。
殺す為に愛すような彼の目に、山岸と新田はどんな風に映っただろう。
お前の負けだ、と勝ち誇る彼に挑むように手を差し出す新田。
アルゼンチンタンゴ。
そのリードとフォローの役割を知っていたからこそ犯人を特定し、
心の内を見透かした。
計画が失敗に終わったと知った仲根の流す涙。
その殺意のきっかけが警察組織にあるという皮肉。
ハンカチを差し出す新田の、苦い思い。

木村拓哉はマスカレードシリーズの主人公であるけれど、物語の中では
どちらかと言うと物語を直接動かすのではなく、それぞれのパートを繋ぎ合せ、
まとめ上げ、他の主要キャラクターが自由に動けるよう舞台を支える役割に見える。
その点で個人的にはやはりHEROシリーズを連想してしまう。
雨宮と久利生の恋は成就されずに終わった。
マスカレードシリーズはどうなるのだろう。
もし新田と山岸が男女の関係になるとしたら…
2人はホテル・コルテシアから飛び出さなくてはいけない。
ホテルの中は非日常の世界、ある種の舞台。
2人の役割はプロフェッショナルなホテルマンと刑事なのだから。


絶対に何かあるから。
とやっぱりありました、エンドロールの後。
ロサンゼルスへと旅立つ山岸の前に現れた新田。
仮面を着けてあの特徴的な歩き方でこちらへ向かってくる彼は、
新田浩介でなくステージの上の木村拓哉そのもの・笑
前髪を下ろしていっそう若々しく美しく見える彼に、流石の山岸も胸が高鳴る。
…反則です、それ。
そう、このシーンは前作と見事に対称になっている。
おまけに男女のポジションが前作とは逆転している。
鈴木監督の拘りが今回、とてもいい仕事をした。

ところで。
マスカレードシリーズ、次回作はあるだろうか。
作者の東野圭吾氏は新作書く気満々のようだ。
…となると。
次回はマスカレードの扮装の2人がホテルのロビーで出会うしかない。
左右対称の、真ん中で並び立つ美しき男と女。
グランドフィナーレしかないではないか。

オープニングの映像で「え。ここから入るの!?」とちょっと面食らった。
エンディングで使うような構成だったので。
インセプション?2046? 近未来的な見たことのある、あり得ない風景。
音楽との相乗効果でフワッと体ごと映像に引き込まれる不思議な感覚。
冒頭30秒くらいの印象って割と当たる。
映像と音楽の扱いで自分好みか否か、何と無く分かってしまう。

社会派の映画はあまり見ないので、謳い文句がちょっと引っかかった。
正義とは、とか現代社会批判とか、そういうザックリしたものを提示されても
なんだか困ってしまうんですよね・・・。

いや、コレ絶対に好きなやつ。
オープニングで完全に引き込まれたのであった。

原作は未読といいますか、最初の30ページくらいで挫折して
下巻のラスト3ページだけを読んで、ふ〜ん。なるほどね。
程度の知識しかありませんが、読まなくても大丈夫でした。
映画として本当に面白いし、映像と音楽はスタイリッシュだし、
言うまでもないことですが、役者さんは全員素晴らしいです。
情報量が凄まじく、一つのカット、セリフ、小道具に到るまで、半端なく重い
バックストーリーを背負って繰り出されるので、全く気が抜けません。
いろいろ考えずひたすら映画の世界観に引き込まれ、迷い込み、
同情したり反発したり
不愉快になったり、絶望したり、高揚したりするのが、
この映画の正しい見方かもしれません。

考えるな、感じろ。(by.ブルース・リー)


さて、最上。
先日のTBSラジオインタビューで宇多丸さんが「嫌な感じ」と言ってた。
すっごいよく分かります。
映画が終わるまでに好きになれるかしら?と思うほどでした・笑
でも彼の「嫌な感じ」は脆さを隠すための虚勢であったことが程なく分かります。
有能で冷徹な検察官の仮面が剥がれていく過程の怯え、戸惑い、混乱。
小さい男なんですよ。
私怨からの行為すら、大義名分で正当化しようとする。
一線を超えた最上は二度と安らかに眠れない。
「最上は意識的に声のトーンを一定に保つようにした。」
その戦略、お見事。
外に向けて内なる狂気を解き放つ沖野とは対照的に、
内側の深く暗い水の中に沈んでいくような最上。

夜から朝への森の中のシーン。
木村と生命力を感じる植物の相乗効果が遺憾無く発揮されていて、
コーエン兄弟のミラーズクロッシングもだけど、ICWRのShitaoを
連想せずにはいられませんでした。
白いランニング姿で土にまみれ、消耗し尽くし、怯える最上。
すでにその目には狂気のカケラが見えるような・・・
待ってたんだよ、これを。
一線を超えた後も彼は今まで通りシャツにネクタイ、スーツに身を包む。
でも言動は明らかに逸脱し始めている。
内側から食い荒らされていく感覚を、
表情と微妙な声のトーンとで見事に表現する木村。


そんな最上に影のように寄り添う自称:ポチの諏訪部。
松重さんの演じるこのキャラクターが本当に魅力的で、
彼と最上の不可解な関係性が、物語に深みを与えています。
諏訪部の懺悔室。
神の代理人を自称する諏訪部はファウストを誘惑するメフィストフェレスのよう。

お前に力を与えよう。
その代わりに魂を貰うよ。


映画評でやたらクローズアップされるインパール作戦ですが、全くの無知だと
面食らうかもしれません。
親友:丹野との幻想シーンでも出てくるし、ラストにも絡んできます。

https://matome.naver.jp/odai/2140931110887793901

丹野は戦友。
現在も、そして遠い過去にも。
しかし。
彼と最上との密会の場が場なだけに、あらぬ妄想が頭を掠める・笑


沖野といえば! な感じで取り調べシーンのお芝居が話題になってますが、
確かに凄いんですよ。
マシンガンの勢いで繰り出す罵倒の数々。
二宮くんはこんなお芝居をする人だったのかーとしばし感心。
個人的にはラストのが印象的だったなぁ。
絶望と無力感に襲われた時、人はああするしかないのか。


沖野、諏訪部、丹野。

三人の男が一人の男に引き寄せられる。
愛とか憎しみとかの言葉では捉えきれない感情。
それぞれの「業」が過去に囚われた男・最上のそれと呼応し、
引き合い、反発し、逃れようもなくまた戻ってくる。
その中心にいる男、最上は静かに狂い始めている。
http://www.uplink.co.jp/dancer/

ELLEの映画特集記事の写真に目を奪われた。
大理石の彫刻のような完璧なフォルムの身体。
白い肌のあちこちに散りばめられたタトゥー。
大きな水色の、どこか動物的な目。
ルネッサンス的な完成された美貌に施された不穏な装飾がノイズのようで
クラシックとハードロックがせめぎ合う感じが面白い。
エレガントで野蛮。そういうのすごくいい。
特にバレエに興味があったわけでもないが、彼のダンスを見たいと思った。

最近、舞台や歌舞伎を映画で見る機会が増えた。
肉体が持つ表現の圧倒的なパワーと饒舌さにやられた。
音楽と、言葉と、肉体。
音楽は空気を作り、言葉は脳を刺激し、肉体は目と心を鷲掴みにする。
そしてダンスは、音楽と肉体(時には言葉)の融合と言える。
それはたぶん人間の根源的な部分にもっとも早く深く到達し、
ストレートに突き刺さる表現なのかもしれない。

彼が高く高くジャンプする。
細く長い手足が信じられないほど素早く大胆に動くのに、体の芯は揺るがない。
だから一瞬、空中で停止したかのように錯覚する。
歩くように、スキップするように、超絶技巧を繰り出す。

ロイヤルバレエ団のプリンシパルとして踊る。
優雅なバレリーナ、力強いダンサー達の中でもひときわ強い光を放つ。
得体の知れないエネルギーが音楽に誘われ空から降りてきて、
美しい青年の肉体を借りて目に見えるかたちで現れたように。
振付を踏襲しながらもはやそれは振付以上の何か、に見える。
「ロイヤルバレエ団の振付は固すぎる」
「僕は振付よりも自分の感じたままに踊りたい」
音楽によって呼び覚まされた衝動が、内側から突き上げ、溢れ出す。
素早いステップ、正確な回転。
喜びも悲しみも怒りも愛も、手と足と指先の動きで空中に描き出される。
それらは単なる感情表現を超えた何か。

高い、完璧なジャンプ。
地球の重力から解放され、天を舞い、空の上に居る何か、に近づき、
エネルギーを放電するエクスタシーの瞬間かもしれない。


セルゲイ・ポルーニンのごく幼い頃、直感的に才能を見抜き、体操選手から
バレエの道へと方向転換させたのは彼の母親だった。
裕福ではない家、貧しい町の子供がバレエ学校へ通う。
学費と生活費を工面するため父と祖母は外国へ出稼ぎに行き、
母は自らの生活の全てを犠牲にし彼のレッスンに捧げた。
アスリートのドキュメンタリーでも見聞きする話だが、
家族のバックアップが欠かせない。
自分のために家族が犠牲になる。
少年の背負ったプレッシャーは想像を絶する。
ひたすらバレエのレッスンに打ち込む。
それ以外の世界を知らずに青年期を過ごし大人になる。
家族の期待に応えなければいけない自分。
家族を愛している。みんなと幸せになりたい。
踊りは好き。ジャンプがうまくいくと生きてる感じがすごくする。
でも、自分が本当にやりたい踊りはこれじゃない。
葛藤が生まれる。極限まで絞られ、徹底的に酷使した体はあちこち痛む。
コカイン、鎮痛剤、興奮剤。
体中に散りばめられたタトゥーは魔除けのようであり自傷行為にも見える。

人に期待される。
自分の踊りを待ち望む人たちを喜ばせたい自分と、表現への衝動・欲望とのズレ。
人並み外れた天分を持ち、それを十二分に発揮できているように見えたとしても。
あるいは、そんな特別なギフトを授かったからこそ、目指すものと期待との
ギャップに苦しむのかもしれない。
上の予告の中にあるソロダンスの曲 “Take Me to Church"
その歌詞に出てくる『彼女』は、子供時代を支配し続けた母であり、
天から降りてきて彼を踊りへと駆り立てる得体の知れぬエネルギーではないか。
一度はダンスを捨てようと決意するほど追い詰められながら、
彼は決してそれから逃れられない。
それは苦痛であり拷問でありながら至上の喜びにちがいない。
普通の人間には耐えられないほどの。

文章でも映像でも、何かをクリエイトする人は皆そうかもしれないが、
ダンスや歌やお芝居など、肉体で表現する人たちのそれは自ずと限界がある。
人間は年をとる。
思い通りに思い切り自由に動けるのは若い時期だけかも知れない。
とりわけ、ダンスはそうかも知れない。
自分の肉体と折り合いをつけねばならない日が来る。
それでも内側からこみ上げる得体の知れない衝動を捕まえ、格闘し、時に傷つき、
生身の体を差し出し続けるのは、喜びでありながら苦痛でもあるだろう。
その結果として見えるかたちに、私たちは感情を揺さぶられ、
素晴らしいものを見たときの、あの喜びに包まれる。

選ばれた人たちはある意味、神に捧げられた生贄かも知れない。
万次は言う。
「死ねるテメェは幸せモンだよ。」

身体中刀傷だらけ。
常に新しい生傷がパックリ口を開いてどろりと血を流している男。
斬られても刺されてもグロテスクな蟲の力でたちまち傷口は塞がるけれど、
受けた痛みは鋭く、徐々に重たい痺れとなっていつまでも彼の皮膚を這い回る。

冒頭の壮絶な百人斬り。
モノクロームの記憶の中で彼は最愛の妹・町を目の前で真っ二つに惨殺される。
それから50年。
万次は生きている意味を失い老いることも死ぬことも許されない。
色彩の失われた生。
煉獄に囚われた男。

八尾比丘尼(通称:ババァ)はなぜ彼を不死身の体にしたのか。
「死なない男」は延々と続く魂と肉体の鈍痛の中に閉じ込められていて、
これはもしかしたら「罰」であり「贖罪」の物語かもしれない。

町と瓜二つの少女・凛。
彼女を見た瞬間の万次の動揺。

町?町のはずがない。あれから50年だぞ。
それに・・・町は目の前で死んだ。

わざと試すようなことを言い、冷たくあしらおうとする万次。
戸惑いを隠すのに必死だったのかもしれない。
死んだ妹にそっくりな少女を目の前にして、自分の中に湧き上がってきたものに。

世界に色彩が戻ってきた。

「死なない男」は裏を返せば「死にたくても死ねない男」でもある。
それがどれほど過酷な運命なのか。閑馬との死闘を見ればわかる。
斬られ、刺され、突き通され、貫かれ、汚れた血と肉の塊と化しても、生きる。
痛い。痛い。痛い。・・・万次は閑馬に言う。
「お前と共有できるのはこの痛みだけだ。」
鬼と鬼が永久に殺し合いながら死ねない、生き地獄。
「万次さん!!」駆け寄ろうとする凛を、来るな!とばかりに押しとどめる、手。
彼女を、無間地獄に引きずり込みたくない。
凛は、町にそっくりな凛は、生者の世界にいるから。
万次は、町のために生きていたけれども彼女を失ってからずっと死んでいた。
死ねない男だけど心は死んでいた。
色彩のない世界で、町に償いたいと願いながら、どうすることもできない地獄で。

閑馬もまた「死ねない男」である。
妻を失い、友を失い、生きる意味を失いながら200年の時をさまよう男。
「死ねない」とはどういうことか。
閑馬は、150年後の万次かもしれないのだ。

訪れる人もまばらな深い林の中に石を積んだだけの小さな墓がある。
苔むしたそこには、万次の妹・町が眠っている。
彼女の人生を狂わせ、非業の最期を遂げさせたのは自分だ。
その贖罪のために50年、煉獄の中で生きてきた男は野の花を供えてこう呟く。
「俺もそろそろそっちへ行けそうだ。  なんてな。」
すまない。まだ俺はこっちの世界へ居座るよ。

手紙を残して姿を消した凛。
「あなたはずっと死に場所を探してたんではありませんか?」
「私を守るためにあなたは命を捨てようとしている。」
「私はあなたに生きて欲しい。」
「だから私は一人で行きます。」
駆け出す万次。
息の続く限り駆けずり回り、喉が乾けば天から降る雨水を飲み。
凛がいなければ、俺の存在意義はない。
万次は凛を守ることで生きる目的を得た。
無意味だった「死なない」肉体は、これ以上ない存在意義を得た。
万次が生きているのは凛を守るため。
凛のおかげで、万次は生かされている。

八尾比丘尼は言う。
「哀れな男。優しさを捨てきれず永遠の苦しみを生きるのか。」
そんなこと分かってる。
凛は、きっと先に逝くだろう。
俺は、また色彩のない世界へ取り残されるかもしれない。
・・・それでもいい。

万次は、「死なない男」であることを自ら選んだ。
「死ねない男」の、「死ねない」の意味は、今は違う。
死にたくても死ねない男は、「死ぬわけにはいかない男」になった。
凛がいる。
ただ、それだけでいい。
少なくとも、今は。

万次と凛の関係性は不思議。
兄と妹のようで親子のようで、男と女で恋人同士のようにも見える。
万次が凛を守っているようでもあり、凛が万次を守っているようにも見える。
永遠に止まった時間を生きる万次の傍で凛はどんどん大人になっていくだろう。
その時、二人の関係性はどうなるだろう?
「お兄ちゃん。」
「そこは・・・にいさま、だろ。」

血と泥の臭いに彩られた陰惨な映像。
なんども繰り返される壮絶な斬り合い。
素晴らしくスリリングで容赦なく痛ましい殺陣の連続にクラクラするけれども。
この映画は人の生き死にについての物語でもあって、そして多分、
剥き出しの、刃物でズバッと切られたような、鮮血の吹き出すような、
愛の物語でもあると思う。
*どこからがネタバレなのか・・・?
どうしても「私の」目線が入ってしまいます。
ので、完全にフラットな目線で初日を迎えたい方はどうぞスルーしてください。

映画の予告映像って意外と曲者で。
「予告最高だったのにーーーーー!!本編全然違うじゃん!!!!」
って経験、ありませんか? 
 私は何度もあります。
もちろん木村の映画でもあります。
ICWRは酷かった。イケメンぞろぞろの裸祭り!?的な本編とかけ離れた酷さ。
あの予告のせいで劇場で見て、ちょっと騙された的なお客さん(カップル多し)
の表情を見て「こりゃだめだな・・・」と思ったら案の定。
あの作品に関してはジャパンプレミア(?)イベントも最悪でしたけれども。
全員がビニール傘持って一斉に広げた時は失望に打ちのめされそうでした・・・。

しかし。
「無限の住人」では杞憂でした。
ネオ時代劇。
子供の頃TVでよく見た時代劇の中には、水戸黄門や大河とは毛色の違う作品が
結構ありました。
陰惨でドロドロしていてブシュッと吹き出す血の生々しさが衝撃的だったのを
今でも鮮明に覚えています。
あの時感じた痛みや暗さを、スタイリッシュに現代風に作り変えた感じ。

予告と同じ、あの疾走感と暴力的で華麗な殺陣の連続そのままに、
万次は常に血まみれ泥まみれ傷だらけで、一つ傷が塞がれば二つ穴が開き、
真っ赤な鮮血がドロドロと(サラサラではなく)伝い落ち、地面に赤い水溜りが
転々と、あるいは小川のように流れを形成していくような容赦なさ。
片目を潰され、顔には大きな刀傷が横断し、髪はざんばら、いつ着替えたの?
な垢じみた匂いすら放ちそうな汚れっぷりです。
キセルで粋にタバコを嗜むけど主食は安酒と自分で釣った川魚だったりする。
ですが。
一つしかない瞳が放つ光。
妹・町を失い、無為に長い長い時間を生きている万次の目は、檻の中の動物。
それが、凛を得て彼女を守り抜くという目的を見つけた途端、野生を取り戻す。
夜の獣のように底光りする、黒く強靭な眼。
斬り・斬られの命のやり取りは、万次の宿命であり、背負った業の深さ。
死と隣り合わせに生を食む。
死神の甘美な囁き声を耳元で聞きながら、自分だけはそちらへ行けない諦念。
死にすら見放された男が、敢えて「生きる」ことを選択する・・・
「死なないじゃなく、死ねない。」
その意味を何度も何度も反芻し、確かめる。
全編の70%が壮絶な血まみれの、肉片が飛び散りそうな(飛び散ってないけど)、
壮絶な殺陣の連続です。
昔見たチャンバラ時代劇の1.5倍はスピーディでシャープじゃないだろうか。
カンフー映画やハリウッドのアクションテクニックを取り込んで進化した感じ。
ただ、動きがめちゃくちゃ早いだけでなく、重い。
例えば刀がぶつかる音もシャキーン!じゃなくガキン!って感じ。
切る時の音もズバッでなくズワァシャッ!って感じ。
金属で肉を断つ。「殺める」重み。
木村拓哉の万次は、シャープで見惚れるような美しい動作で舞うように戦い、
ズン!と重く、その体で刃を受け止める。
血仙蟲で不死とはいえ、痛みの感覚は少しも軽減されない万次。
刃が肉を断つときの痛みも、リアルすぎるほど伝わってくる。
包丁で指を切ったとすると、切れた瞬間って感じないじゃないですか。
一呼吸置いてズン!とやってくる、あの痛みの感覚。
木村の、痛みの表現の凄さはShitaoで分かってたつもりなんですけど。
いやぁ・・・「痛い!」にこんなにバリエーションがあったのか!と。
もしや木村拓哉にとって、あれは芝居でなく「そこに在る」痛みではなかったか。
想像力が、身体感覚を操ることってあるんですよね・・・。


凛を演じる杉咲花さん。
幼く見えるほど可愛らしい少女が、万次と暮らす内に身に纏う強さ。
小さい体で、文字通り全身全霊で相手にぶつかっていく肝の据わりっぷり。
時にはその情熱が万次をグラリと揺さぶる。
万次と凛。
兄妹ではなく恋人でも親子でもなく、そのどれでもある、男と少女。
用心棒と雇い主。
中年男と美少女というと「レオン」を思い出しますが、まさにあの関係。
杉咲さんが凛として(町として)存在してくれたから(万次を)やれた。
木村の言葉通りの関係性が映像に焼き付けられている。

他にも美男美女ばっかり登場するので、目の保養ですw
福士蒼汰の天津はすぎるほど美しく繊細だし、戸田恵梨香の槇絵はセクシーだし
市原隼人は傑山とは正反対の極道の尸良だし、時間の関係でその辺が
駆け足だったのは残念すぎるのですが・・・。
個人的に最も印象的だったのは万次と閑馬。
静かな、予感を孕んだ会話から華麗に、情け容赦なく刃を交わす二人。
そして閑馬が万次に問う言葉。
お前はなぜ生きる?
なんのために生きる?
その答えを、現在進行形として持っている万次。
でも、それは永遠に生きる宿命の中の、ほんの一瞬の時間であり。

それから、田中泯の吐。
ラスト、クライマックスの300人切り。
死を覚悟した吐がある日常的な行動をとるのですが、その見せ方が衝撃的で。
死屍累々の、重苦しい血の匂いが漂う戦場で、おそらく人生最後の日常動作。
異常の中に持ち込まれた日常。
死の真っ只中での生きるためのルーティンが、ぞっとする行為に見えてくる。
パフォーマーとしての田中氏の凄さを、思い知らされた気分です。

全編映像は暗めだし血と泥の匂いが色濃く漂うけれど、ところどころ
ハッとするような美しいシーンがあります。
特に、水辺に佇む万次と凛。
灰色の空、冬枯れた草や木々、冷たい川面。
うっそりと立つ万次の黒白の姿に、真っ赤な凛の衣装が、日本画の屏風絵のよう。

途中、とても辛くなるかもしれません。
が、最後の最後、あのラストカットを見た瞬間、
「もう一度最初から見たい!」と思わずにはいられない。

エンドロールに流れるMIYAVIの「Live to Die Another Day」
死にゆく者への鎮魂歌であり、「死ねない」万次のブルース(哀歌)のよう。
音は、ロックなんですけどね。

オデッセイ

2016年2月10日 映画
http://www.foxmovies-jp.com/odyssey/

地球から遠く離れた火星に不幸な事故でたった一人取り残された男。
極度に乾燥した赤い土と岩と薄い大気しかない極寒の惑星。
水も食料も酸素も、備蓄された数ヶ月分。
助けを求めようにも、PCはあってもネットに接続するサーバーがない。
例え地球と交信できたとしても、救援機が到着するまで何ヶ月もかかる。
全てが足りない。
こんな状況下でマーク・ワトニーは決して諦めず、智慧を絞り身体を動かして問題をひとつひとつ解決し、命を繋いでいく。
脚本を書くにあたり、慎重に緻密に科学的考証を重ねたらしく、その成果が見事な
リアリティとなって実を結んでいます。
化学、科学、植物学(マークは植物学者)の知識を駆使して危機をクリアしてくんだけど、どれもこれも無理がなく「やったぁ!!」と見てるこっちまで凄い達成感(笑)
なのである意味、ロールプレイングゲーム感覚かもしれません。
火星で死んだと思ってたマークが実は生きてると分かった途端、アメリカのみならず
世界中の人々が彼の帰還を願い、智慧を絞り、時間と資金と労力を注ぎ込んだ
大救援プロジェクトが始まるのですが、これもまた次々にトラブルが起きてハラハラさせられます。
日本では何故か「火星で独り(鉄腕)ダッシュ村」なんて言われてますけど(笑)
いやほんと、それ、ありです。

BGMに’70から’80年代のディスコ・クラシックが頻繁に流れます。
(理由は見てのお楽しみ)
が、個人的に思わず涙したシーン。
それは先月亡くなったD.ボウイの曲が流れるシーン。
歌詞もよーく知ってるので…余計にグッときてしまい。
できたらあのシーンでは歌詞の翻訳を入れて欲しかったなぁ。

SFといってもスターウォーズみたいな戦闘シーンはないし、意思の疎通不可能な怖い
エイリアンも出て来ない。
のですが、めちゃくちゃスリリングで二時間半の長編を全く飽きさせない。
そうだなー…『ゼロ・グラビティ』にちょっと似てるかもしれないですね。
絶体絶命のピンチを知識とテクノロジーを駆使して切り抜ける。
だけど、最後の最後にモノを言うのは人間の想像力と発想力。
そして恐怖に打ち勝ちリスクを恐れない勇気、ってとこがとってもアメリカ的です。

あっ。
監督は『エイリアン』『ブレードランナー』のリドリー・スコットですよ。
ジーザス・クライスト・スーパースター [DVD]
DVD ~ グレン・カーター
固定リンク: http://www.amazon.co.jp/dp/B0002K7BHS

フォロワーさんからの大プッシュで買ってみました。
いや〜…これは凄いです。
面白い。色んな意味で語りたくなる作品。
ジーザスとユダ。
2人の複雑で愛憎に満ちたエピソードを、ロック・ミュージカルという手段でドラマティックに見せつけた作品。
神様の啓示=インスピレーションを言葉と奇蹟に変換し、大衆に語りかけ・共有し、世界を変える。
巨大なムーブメントを起こしたジーザスという男。
病める者を癒す<奇蹟>でカリスマとして君臨し、それ故命を落した男。
ユダの裏切り+磔という悲劇が彼を永遠の伝説にした。
キリスト教徒以外には共感し難い物語をユダの視点から捉え直したのは素晴らしい。
ユダの歪んだ愛、そして聖人と祭り上げられた者の苦痛・煩悶、そして死。
これがあったからこそトランアンユンはICWRを思いついたのではないか?
と思わずにはいられないほど、劇中そっくりな場面があります。
そして主役=ジーザスの金髪碧眼に白い衣装。
ダークヘアに暗い髪と目をしたユダ役とのコントラスト。
同性愛的な香りが濃厚に漂う。
1970年代の名作を2000年にリメイクしたもの。
ミュージカルはふだん全く見ないのですが、これはエキサイティングでした。

http://movies.yahoo.co.jp/movie/凶悪/345750/
もう一本はピエール瀧とリリー・フランキーの怪演(?)が素晴らしい『凶悪』
人の痛みを全く感じない、一見人畜無害で優しそうな男にリリー・フランキー。
人殺しが日常の一部となっている凶暴な男、ピエール瀧。
この二人の凄惨な暴力シーンが一応見所かな。
でも暴力シーン自体はそれほどショッキングでもなく。
(*この手の作品を見慣れてない方にはお勧めしませんが)
この作品の一番リアルに恐怖感を煽るのは、全編再現フィルムであるかのような、
映像のざらっとした手触り。
そして一番ゾッとしたのは執拗に描かれたグロテスクな暴力シーンではなく、
最後の…リリー・フランキーと記者との謁見シーンなのでした。
敢えて作り手の意図や主張を抑制し、ありのままの<事実>を再構成した映像。
ワイドショー的に被害者/加害者を単純な善悪論で切り分け、理解し難い心理を
<無かったこと>のように処理して垂れ流す感覚に慣らされてると、ものすごい衝撃を受けると思います。
事実は善悪の二元論で語れるほど簡単ではなく、誰もが心に<凶悪>を飼っている。
リリー・フランキーとピエール瀧はほんとに仕事選び(=役選び)が絶妙。
揺るぎない個性を持つ人でしか表現できない役柄を選んでいる。
個人的に山田孝之のお芝居巧いし好きなんですけど、ここでは完全に喰われてしまってるなぁと思いました。いいお芝居なんですけど…。
お芝居の巧い・ヘタとは別次元の存在感がモノを言う。
以前『その夜の侍』って映画を見たことがあるんです。
堺雅人主演で山田孝之が犯罪者役の。
よく似てるんですよ。撮り方とか映像の感触なんかも。
でも決定的に違うんです。
お芝居が。
凶悪犯罪もの映画の主人公にあまり役者さんっぽくない人が起用されがちで、
なぜかその方が評価が高い理由がよくわかった気がします。
http://vampire.gaga.ne.jp/info/?page_id=8

新宿シネマカリテで見ました。
全編モノクロ。
トレイラー(上のURLから見れます)を見て
「これは大当りか大はずれかどっちかだな。」と思ったんですけど…
大当たりでした
舞台はイラン。架空の街『バッド・シティ』
麻薬の売人や娼婦が寒々しい夜、密かに蠢く街。
日本の夜とは全く違って、ネオンサインなんてものは無く、物悲しく街灯がポツリ。
闇は漆黒の暗さ…その奥から闇色のヴェールに身を包んだ少女が現れる。
白い顔。巨大な目。真っ赤な唇。(*モノクロなので想像ですが)
ミステリアスで実に…実に美しい。
罪深い男、世界からはみ出した行き場のない男を餌食にし、葬り去る。
(虐げられた女たちの怨みを晴らすかのように)
麻薬中毒者の父を持つ青年。
ジェームズ・ディーンを連想させる、ピッタリした白シャツとジーンズ。
寂しげな瞳。
闇の中から生まれた少女と青年が夜の街、白い街灯の下で出会う。
ヴァンパイア映画だから、グロテスクだったり残酷なシーンはもちろんある。
ハラハラするシーンもたくさんあるけれど、少女と青年の出会いのシーンは正当派の
ボーイ・ミーツ・ガールって感じで、なんとなく可愛らしかったりする。
「私は罪深いの。」
「私のことをあなたは何も知らない。」
まっすぐな青年の気持ちを振り払おうとする少女。
闇に溶け込んで行く少女を見つめる捨てられた子犬のような青年の瞳。
ちょっと泣きそうになる。
ホラーだけどロマンチックでちょっとメルヘンチック。
モノクロの映像だけど、カメラワークといい画面構成といい素晴らしい。
意味深な謎めいたカットがところどころ挿入され、シュール。
乾いた石造りの建物。緑も少なく殺風景だけど、かろうじて人の気配のある旧市街。
すぐ傍には規則正しく動く不気味な恐竜の群れのような石油採掘所のクレーン。
荒れ地の闇に浮かび上がる発電所の冷たい光と立ち上る蒸気。
荒涼とした大地に聳え立つ金属の群れが、ここはアジアでもヨーロッパでもなく中東なのだと思い出させる。
音楽が素晴らしい。
物悲しいイランのポップスやダンスミュージック、テクノ。
少女が自室で緩やかにダンスするシーンが強烈な印象を残す。
https://www.youtube.com/watch?v=L29cUnjnGtE
(彼女は1980年代で時を止めたのか?壁には若きマドンナやMJのポスター)
冒頭からラストまで無駄なシーンが一つもなく美しい。
そうそう、青年が飼ってる猫がめちゃくちゃ可愛いんです。
ふっくらして透き通った目をして。

誰にでもお勧めはできないけれど、ヴァンパイア映画が好きなら是非。
http://kingsman-movie.jp

見てきました。
めっちゃくちゃ面白いです。
笑ってハラハラドキドキして最後はスカーーーーーーーッと爽快!!!
まだ公開したばかりなので詳しい感想は控えますが、たぶんもう一回見に行きます。
コリン・ファースの絵に描いたような英国紳士っぷり…最高。
見るからに完璧な仕立てのスーツを完璧に着こなし、華麗なるアクションを披露。
素敵なバリトン、隙のない仕草。眼鏡。
これでもかと詰め込まれたおっさん萌えの集大成、まさに理想的存在感です。
若きスパイ見習い少年を演じたタロン・エガートンも可愛い過ぎるけどスーツ姿が
初々しくてなかなかイケてます。
最長老(?)のマイケル・ケインのスノッブなお貴族さまっぷりもうっとり。
そしてサミュエル・ジャクソンがクレイジーなキャラを楽しそうに演じて最高。
音楽もカッコいいし(ラスト近くのSlave of Loveとか最高w)
あちこちにオマージュらしきものが散りばめられて、
映画オタクの作品だなーと。
愛があるんですよね。
深く考えるような作品ではないけど、英国文化を茶化したり、ジェネレーションギャップやセレブの”エコ活動”を皮肉ったりのブラックユーモア風味てんこ盛り。
一方、<成長するヒーロー>もののお約束…父と子の絆(擬似的だけど)もしっかり
描かれているので、王道路線といえばそうかなと。

パトカーとの逆行カーチェイスからずーっと笑いっぱなしでしたが、周りがずいぶん
静かだったので笑い声を堪えるのが結構キツかったです。
ただしバイオレンス描写はかなり過激です。(R+15指定)
血は飛び散るし、人体は吹っ飛ぶし、その手の描写が苦手な人はキツいかも。
コミックぽく処理してあるので、その過剰さに返って笑っちゃうんですがw

おっさん萌えしたい方、普通のアクション映画ではものたりない方には絶対の
おススメです!!
http://session.gaga.ne.jp

名門音楽大学に入学したドラマーのニーマンと伝説の鬼教師フレッチャー。
自信と野心満々のニーマンがフレッチャーの主催するジャズバンドにスカウトされた
ところから始まるんだけど、フレッチャーのキャラクターがいきなり凄まじい。
わずかな音程のズレ・リズムの外しを決して許さない。4文字言葉連発・差別用語の嵐、物は投げるわ手は出るわで、鬼教師というより戦争映画に出て来る鬼軍曹のほうがピッタリくる。
一方のニーマンも自意識過剰で超負けず嫌い。というかバンドの全員がそんな感じで
いや、あれ位でないと自分のポジションは死守できないんだろうけど。
(その凄まじさは上に貼ったURLからサイトに飛んでトレーラーでご覧ください)
舞台はほとんど校内の練習用スタジオ。
ドアを閉めれば音が漏れない部屋は外界から隔絶され、常に極度の緊張状態、全員が一種のマインドコントロール下にある密室。
映像は黒っぽく、楽器以外ほとんど何もないセットの閉塞感。
フレッチャーが厳しいのはきっとジャズを愛しすぎ、完璧な演奏に拘りすぎた結果に違いないと最初は思っていた。が、人格を完全否定する凄まじい罵倒と体罰。
この人単なる病的サディストか?
完璧な音の追求は言い訳で、人格破壊が目的じゃないか?
もちろんニーマンも他のメンバーも同様の疑問を抱かずにはいられないけれど、
彼の指導でより高度なレベルに到達できるのも事実、辛くてもしがみつくしかない。
家族も恋人も普通の大学生らしい生活も全てを犠牲にしてフレッチャーに食らいつく
ニーマンの精神が限界に近づいた時、ある事件が起きる。

映画のラスト10分。
この10分のために、全てのシーンがある。
フレッチャーの不可解なまでのサディスティックな振る舞い。
痛みと失意の中でドラムを叩くニーマンの狂気。
見ているこちらを追いつめるほどに執拗に描いたのはそのためだったのか。
奇跡のような瞬間にのみ奏でられる<完璧な>音楽のエクスタシー。
そのハーモニーと快楽を知りながら、おそらく才能には恵まれなかった男。
天賦の才を持ちながら志半ばで挫折した青年。
フレッチャーとニーマンの関係性は、憎しみ・怨み・嫉妬・反発・悔恨…
あらゆるネガティブな言葉に彩られている。
その二人が真っ向から対峙し、お互いを食い合う修羅の形相で向き合って奏でる
セッション。
力でねじ伏せ、足元に押さえ込み、肉も骨も喰らい尽くそうと気力と体力と昏い感情のエネルギーのありったけを込めた音の闘いが思わぬ奇蹟を産む。
反発は共振へ、怒りと憎しみは共鳴に飲み込まれ、渦巻く怨讐は白熱した炎となって全てを焼尽す。
挑発し、食らい付き、反発しながら絡み合い、外側の世界は完全に消滅する。
人の想い…感情や思考を一撃でなぎ倒す<表現すること>への恐るべき熱。
そこに、奇蹟のセッションが生まれる。
もしかするとこの一度限りのセッションこそが人生の最高地点だったりして。
残りの人生全てでこの瞬間のまぼろしを追い求めることになったら…。

一度きりの奇蹟を味わった者のその後。

考えるとちょっと怖くなる。

木村拓哉曰く
「あからさまにエネルギーを使っていて、作品づくりへの本気度が
 ビシバシ伝わってくる。」

短くてシンプルな言葉だけど、見終わってからだと余計ズシンと響く。
ほんと、その通りの作品だし、作品づくりに関わる人ならではの感想だとも思う。
セッションはジャズ(音楽)の魔力に取り憑かれ、人の道を踏み外しそうな人々の
痛々しいけれど崇高でもある作品だった。
<音楽>の部分を<映画>や<舞台>や<ダンス>や<絵画>や、あらゆる表現の
言葉に置き換えることもできる。
彼も、もしかしたらその瞬間を追い求めている最中なのだろうか。
http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/

アメリカ側でもイラク側でもなく、個人の目から見た戦争(戦闘)の現場を極限まで突き詰める。
だからこれは戦争映画だけどもむしろ、『あるタイプの人間』の生き方を描いた作品になった。
なぜ人は志願して自らの命を危険に晒そうとするのか?
なぜアメリカはベトナム、イラクを経験しても派兵をやめないのか?
その疑問の一つの答えを、重く重く突きつけられた気がします。
『人間には三つのタイプがある。狼と羊と番犬だ。』
クリスの父の言葉の本当の意味。
番犬は家(=ホーム・故郷)を未知の敵から守る為命を賭けて闘う。
しかし長引く戦争の中で彼は、徐々に闘う理由を見失っていく。
当分、この作品で描かれたことについて考えてしまうと思う。
たぶん、一生忘れられない。

音響効果はアカデミー賞を受賞しただけあって凄いです。
大きな音、小さい音、銃弾が空気を切り裂く音が、血と埃に塗れた映像のリアリティを倍増させています。
兵役を退き日常に戻ったクリスを長く苦しめるのも、この戦場の音。
脳の奥底の闇のなかから不意に浮上して忌まわしい耳鳴りのように響くそれが、
何も映っていないTVの画面から聞こえてくるシーンは背筋が寒くなりました。

薄氷の殺人

2015年2月5日 映画
1999年の中国。
石炭コンビナートでバラバラ死体が見つかる。
刑事のジャンは同僚と共に容疑者を追いつめ犯人を射殺するが、同僚二人も死に、
自分も重傷を負って第一線から外されてしまう。
2004年。
酒に溺れ落ちぶれたジャンは、かつての同僚の生き残りと再会し、成り行きで過去のバラバラ殺人の被害者の妻に身分を隠して接近する。
5年の歳月。夫を無くし何か秘密を抱えながら生きる女と、ストーカーのように女に
つきまとう男の関係は意外な方向へ発展していく。

http://www.thin-ice-murder.com

暗くて薄汚れて寒々しい中国北部の都市の冬。
雪も氷も日本のような純白でなくどことなく灰色にくすんで見えるような映像。
登場人物も全く美しくなく、野卑で過剰にエネルギッシュで、あまりにも人間臭い。
しかしグレーを貴重にした映像はものすごくスタイリッシュで鮮烈。
温かさや優しさを意図的に切り捨て、情緒的な描写を慎重に避け、人物の感情表現や
台詞を最小限に削り落とし、長回しのワン・カットを積み重ねていく。
今、私が見ている男は・女は、一体どんな気持ちで何を考えているのだろう?
自然と画面に集中し、常に神経を尖らせて想像するしかない。
ところどころ残酷でグロテスクな描写がある。展開も陰鬱だから生理的に受付ない
人も居るとは思う。
しかし見終わった後にずーんと残るものが大きい。
ジャンはなぜあんな行動を取ったのか?
そして女の微笑みの意味は?
奇妙で噛み合ない人物とシーンとが脳内に浮かんで来て、「あれは何だったんだ?」
と何度も何度も反芻せずにはいられない。

映画にもいろんな楽しみ方があると思う。
ハリウッドのエンターテイメントはどこの国の誰が見ても理解できて楽しめる。
私は全く好きになれないけど、親切心からか?説明過剰な映画もある。
この作品のように見る人にストレスを感じさせるような映画もある。
意味不明だし汚らしいし気持ち悪いし、最悪!と評価されるかもしれない。
反面、いつまでも心の何処かに引っかかっていて、ふと考えたり想像を巡らせたり。
心に小さな棘を刺す。
たぶんそれを意図して作ったのだろう。
見る人に過剰に歩み寄るのをやめ、思わせぶりに気を引き、しかし肝心な所は見せず
語らず、謎かけをしたままきびすを返して歩み去ってしまうような。

監督のインタビューを読んだ。
昔のフィルム・ノワールのイメージで撮ったのだそう。
なるほど!あの感じ…たしかに。
http://www.webdice.jp/dice/detail/4537/
タイトルから想像したのと全然違う。

…ってこと、結構あります。この作品もまさに。
だけど、とってもよい意味で、裏切られました。
http://www.cinematoday.jp/page/A0003931
主人公は高名な古美術の鑑定士。
高い美意識、お金持ち相手のオークション、贅沢な生活。
しかし孤独で人生の晩年にさしかかっている。
ある日彼にかかってきた謎の女の電話。
死んだ両親の残した屋敷の古美術品を鑑定し売りさばいて欲しいとの申し出。
断るつもりだった彼が、謎めいた女の言葉に興味を持ち仕事を引き受けたところから
話が動き出すのですが、まぁ見事に意外な展開の連続で二転三転。
ミステリーかと思って見始めたらさにあらず。
敢えて分類するなら、恋愛ドラマだと思います。それもファムファタールもの。
とにかく面白くてぐんぐん引込まれて、最後にあっ!というラストなんです。
…是非見て頂きたいので、書きませんけど。

細部まで作り込まれたセットと小道具、光と影を巧みに操る演出、カメラワーク。
そして、何より役者さんが素敵。
気難しくやり手で人間嫌いの主人公:ヴァージルを演じたジェフリー・ラッシュ。
どっ…かで見たぞ?としらべたところ、パイレーツオブカリビアンのバルボッサ。
英国王のスピーチでは言語聴覚士の先生役でしたな。
特別ハンサムとかじゃないんですが、声がよくて佇まいが素敵。
不思議な色気があるんですよねー…。
空の青の瞳が印象的。
服装も振舞いも完璧なヴァージルが、顔の見えない女に振り回され、柄にもなく走り回ったりこっそり覗きをしたり、ペースを乱されて泥沼のような片想いにずぶずぶとはまり込んでゆく様は、クスッと笑えてとっても悲哀があって素晴らしい。
そして人生の大半を人との関わりを避けながら暮らし、地位も財産も築いた男が、
<顔の見えない女>の、意味深長な言葉に翻弄されていく様の巧みな描写。
声は聞こえど姿は見えず。
「見ること」への欲望が一人の頑な男の人生を一変させてしまう。
実際には彼女は、変哲もないつまらない女かもしれない。
でもやっぱり一目見たい。
ギリギリの心理的駆け引き。見てる私もいつの間にかヴァージル目線。
この辺の持っていき方が本当に上手い。手練の仕事って感じ。
まぁ考えてみればネット上のやり取りも似たようなものかもしれません。
今、私の日記を読んでくださってる方々のほとんどがお会いしたこともなく(笑)
手を伸ばせばそこに相手がいるんじゃもどかしさもひとしおでしょう。
さて、彼には美女の肖像画を収集する趣味があって、自分のオークションで友達に
絵を高値で落札させて裏で買い取るという詐欺紛いのことをやってるんだけど、
友達の自称:芸術家を演じるのがドナルド・サザーランド。豪華。
そして機械仕掛けなら何でも手作りしてしまう天才肌の青年:ロバート。
彼のお店のセットがそれはそれは素敵。
怪しげな金属部品や歯車や工具なんかが所狭しと並べられていて、謎のおもちゃ箱をひっくり返したような、どことなくファンタジックな場所。
そこへヴァージルが18世紀のからくり人形の部品を少しずつ持ち込んで、ロバートが組み立てていくんだけど、このからくり人形と歯車が、映画のラストを暗示する
象徴的な存在なんですよ。
また恋愛経験のないヴァージルが<経験豊富>なロバートに「次の一手」のための
アドバイスを依頼するので、その心の動きが手に取るようにわかってしまう。
このことが実は後々とっても重要な意味を持ってくるんですけど。
ロバートを演じる俳優さんがまたセクシーなんだよねー…。
ハンサムでとても器用で、天使のように気まぐれで無邪気(少なくとも見た目は)

痛々しい展開だし確かに残酷でもある。
だけど見終わった後嫌な気分にはならないですし、救いのないラストではない。
女の言葉はどこまで真実なのか?

途中ヴァージルが女の様子を物陰から覗き見るシーンで、見られてると知らない女は電話でちらっと違和感のある言葉を発するんですけど…ヴァージルは気づかない。
その時点で、彼はすでに恋の魔法にかかってしまってるなとわかるカット。
これ以上はネタバレになるので、書きません(笑)

結論は敢えて出さないラスト。
いかにもヨーロッパ映画らしい映画を見たな、って気分になりました。
昨年見たかったのですが上映館が限られて見れず
(こんなのばっかり)
少し前のアンアンで稲垣吾郎様が『2014年のベスト』
の一本に挙げてたはず。
吾郎様の映画の趣味は何となく信用してる←

前置きはさておき。
女の子二人の7分間にわたるベッドシーン!
などと煽られていましたが、
正直そこのところは別に大した感銘というか驚きもなく。
…や、キレイでしたよ。とっても。二人が若くて可愛かったし。
むしろ男女の濃厚なシーンより視覚的に受け入れやすいし。

むしろ主役の<アデル>の心の揺れ具合がとってもミステリアスで興味深い。
アデルはフランスの女子高生。
文学が好き、考えることが好きでどっちかというとまじめで勉強の好きなタイプ。
見た目は可愛くて少しめくれた唇がエロティックな(フランス女優にありがちw)、
そうだなー…40代以上の人にはソフィ・マルソーっていったらイメージ湧くかな?
まぁそういうコケティッシュを絵に描いたような女の子なんですけど。
彼女は同じ高校のバンド好きなイケメンwに告白されて、一度は寝ます。
けれどもなんとなく違和感が拭えなくて。
そんな時、交差点ですれ違った髪をブルーに染めたボーイッシュな女の子エディに
一目惚れ。
偶然迷い込んだレズビアンバーで彼女と再会。
ミステリアスなエディにのめり込んでいく…。

エディとアデルの初めてのキス。エディを親友として両親に紹介するアデル。
その夜の、アデルのベッドでの情熱的なシーン。
見てる側としては数々の困難(?)を乗り越え、二人が共に生きて行く展開を
期待してしまうってもんですが。
そうはならないの。
エディは情熱的でミステリアスで、おまけに職業:画家。
アデルをモデルに素晴らしい作品を発表する、才能あふれる女の子で、性的に奔放?
と思ってしまうけど意外にも彼女はアデルに裏切られてしまう。
アデルは子供を教える教師を目指す、ある意味現実に生きている女の子。
彼女にとってエディは別世界をかいま見せてくれる憧れの存在であり、同性愛の相手という(恐らくは)アンモラルでスリリングな存在であり。
憧れるけど、明らかに違う世界観に生きている、それだけに尚更恋いこがれるひと。
なのにアデルは同僚の男に誘われてついふらふらと身体を重ねてしまう。
やがてアデルの行為はエディの知る所となり、二人は悲しい破局を迎える。

アデルがエディを愛する気持ちに嘘はない。
けれど、彼女の肉体も心もどこまでも女性。
エディとの肉体の快楽はこの上ない至上の歓びを与えるけれども、生き物の本能は
アデルの心を裏切って異性を求めてしまう。
なんだかねー…見ててものすごく切なくなってしまいました。
異質な嗜好(レズビアン)を持ち、未知の世界(アート)を垣間見せてくれる存在に強烈に魅せられる精神と、実在である肉体と欲望とに引き裂かれるアデル。
そう…もしかするとそれこそが青春ってやつなのかもしれませんが…。

もう一つ。
これを見てつくづく思ったこと。
恋愛と青春は障害があるほうがドラマティックで魅力的である。
今って何もかもがあけすけでありきたりで、そのぶんドラマティックな恋愛は描き
辛いと思うんです。
で、なんらかの禁忌なり障害なりを設定すると、どうしてもコッチ(同性愛)へと
向かわざるを得ないのかもしれません。


*原作があるんです、これ。フランスのコミック(=バンドデシネ)
 ちょっと読んでみたいなぁ。

http://books.shopro.co.jp/bdfile/2013/11/bd-15.html
公式サイト
http://ysl-movie.jp/introductionandstory/

クリスチャン・ディオールの死後、メゾンを引き継いだ若き天才デザイナー。
大胆なフォルムと豊かな色彩。
メンズ仕立てのジャケットとパンツというマスキュリン・スタイルを提案し、
性別や人種を超えた「美」を追求し続けたモードの革命児。
その自伝的作品となれば、華やかなファッション業界の光と影を描いたスリリングな作品に違いない
…と思って見ると肩すかしをくらって戸惑うと思います。
これは純然たるラブ・ストーリー。
ちょっと他と違うのは愛し合う二人がどっちも男性ってこと。

天才的な美的センスと創作への情熱を持ちながら、内気で繊細で清潔で純真で、
自分を表現するのが苦手な青年、イヴ。
彼を演じるピエール・ニネ。
ビスクドールを思わせる白くきめ細かい肌に、昆虫の脚みたいに細く長い指。
その指が神経質そうにメガネのふちを触る仕草。
いつも伏し目がちで怯えたような大きな瞳。所在なげな表情。
一目でイヴの人となりがわかってしまう、見事な人物造詣。
同性愛者の彼を公私ともに支えたパートナーはピエール・ベルジェ。
二人はあるパーティで知り合い恋に落ちる。
人目を避けてセーヌ川にかかる橋の下、熱いベーゼ(キス)を交わすシーンがとても
とてもエロティック。
それまで抑えてきた欲望が一気に溢れ出すように、最初は控えめについばむ様に、
徐々に感情の高まるまま、深く激しく口付けるイヴ。
パリの空は灰色。
セーヌの水は暗い灰緑で寒々しいけれど、ピエールとじゃれ合いながら駆け出す彼は自由で幸福で籠から開放された小鳥のように可愛らしい。
このシーンが私は一番好き。

その後、徴兵のストレスから鬱状態になり、精神の病を理由にディオールから解雇されてしまうイヴですが、YSLのメゾンを立ち上げ、独創的なスタイルを次々に発表し成功を収めていく。
その影には彼の才能を愛し、その美貌と繊細な内面を愛し、政治的手腕を発揮して
忠実に守り抜いたベルジェの、影の支えがあったのは間違いない。
しかしその成功が皮肉にもイヴを精神的に追いつめていく。
創作し続けねばならないプレッシャーから逃れるかのように、お決まりのコース…
麻薬と酒と過剰な性行為でイヴの私生活は荒んで行く。
白くて細くて隅々まで清潔で、お堅い神学校の生徒のようだとからかわれていた彼が無精髭にワインと煙草、コカインでハイになって不特定多数の男と関係を持つ。
自分の忠実な愛を裏切り、自らを破壊していくイヴを、どうしても止められないベルジェの暗い瞳。
美しい男の、痛ましい荒みっぷりはしかし、とっても魅力的なのです。
壊れて行くイヴの姿はまるでファッションの神様に身を捧げる殉教者。
荒れ地のイエス、または預言者ヨハネ。

この映画を見ながら私は、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』を思い出さずにはいられなかった。
レスリー・チャン演じる奔放で美しい同性の恋人に翻弄される、トニー・レオン演じるゲイの男。
母のように守り、父のように闘い、恋人として愛す男。
裏切りを重ねながら、いつも最後には彼の元へ戻って来る男。
残念ながらこの作品は『ブエノスアイレス』ほどの哀愁や深い情感までは描き切れていなかったけれど。

作品中、コレクションのシーンが何度か出てくる。
衣装は当時のものを使用したらしく、オートクチュールならではの贅沢な素材や
細やかな手仕事はため息が出る程美しい。
モデルを演じる女優さんたちも皆、綺麗でコケティッシュで、まさに目の保養。
ジャン・コクトーやアンディ・ウォーホル、若きカール・ラガーフェルドなど
歴史的・世界的有名人(のそっくりさん)を見つけるのも楽しい。
(カールおじさんのゲイゲイしさはあからさますぎでちょっと笑ったけど)
打ちのめされるほどの重さや深さはないけれど、尋常でない美しさにどっぷり浸りたい気分にはぴったりだと思います。
丁度いい感じに秋ですし(笑)




いや~…。
ゲイ云々は別としても(私は大好物だけど)イヴ・サンローランのような役を絶対!
キムラで見たい!
…と強烈に思いました。
ピエール・ニネはあちらでは『Beau Garçon=綺麗な青年』と呼ばれているらしい。
コメディ・フランセーズの若手注目株だそうです。
首も身体もほっそりとしなやかで、指先まで神経の行き届いた細やかな表現や動きの美しさは、360度常に視線に晒されている舞台俳優ならではかも。
キムラは舞台経験こそわずかですが、コンサートという舞台でファンの目線に晒され続けてきたからか、肉体のコントロールが素晴らしい。
カジュアルな服だとあまり感じないんですけど、スーツやシャツ姿ってシンプルで
隙がない分、身体の動きがよーく分かっちゃう気がします。
ロイドのスーツ姿が美しいのはあの身のこなしがあってこそ。
SB Crystalのタキシードの似合うキムラはまさにBeau Garçonだと思うんですよね。
端正なスーツやシャツの似合う美しい男の役をいつか是非やって頂きたい。
http://www.uplink.co.jp/dune/

「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」「サンタ・サングレ」
<伝説のカルト映画監督>と言われているらしいチリの映画監督、御年85歳。
彼が70年代後半に企画し、製作まであと一歩のところまでこぎ着けながら挫折した
SF超大作『DUNE』。
膨大な数の絵コンテ、セットやキャラクターデザイン、そして信じ難いような
ものすごい顔ぶれのキャスティング。
その精密に作られた企画書を元に製作されたドキュメント映画。

トレイラー
https://www.youtube.com/watch?v=r-cnFoqfJfI#t=23

フランク・ハーバードの原作「デューン砂の惑星」シリーズ。
中・高校時代にハマって何度も読んだことがある。
で、劇場公開されたD.リンチの「デューン」は結構ガッカリな作品だった。
D.リンチ好きだし、原作も好きなんだけどね。
ところどころのリンチらしい映像や表現は最高だったんだけど。
(例えばワープする超能力パイロット、ナビゲイターのクリーチャーっぷりとか)
もしホドロフスキーのDUNEが製作されていたら。
トリップ感満載のぶっ飛んだホドロフスキーワールドが展開されたに違いなく、
きっとハマったよな!と思いました。
スタッフが凄い。
絵コンテとキャラデザインを依頼したのがな、なんと!メビウス。
(メビウスはフランス・コミックス界の巨匠。超絶技巧の天才)
メビウスの絵コンテ、美しく彩色されたキャラクターデザイン見るだけでも感激。
しかも、それらがCG処理されて動き出したりするのです。
銀河系を横切って小惑星や宇宙海賊を避けながらまっしぐらに惑星DUNEへ向かう
冒頭のウルトラ・スーパー・ロングショット!!!大興奮!!
悪のハルコネン一族側の衣装やセットのデザインは、なんとギーガー。
有機的でカラフルな宇宙船のデザインはフォス。
そして役者さんは、画家のダリ(!)や作家のオーソンウェルズ(!!)そして
ミック・ジャガーにOKを取り付け、音楽はピンク・フロイド。
ほとんど冗談の域ですな。

どうしてこれほど錚々たるメンツが、チリ出身のカルト映画監督の元に結集したか。
それはホドロフスキー監督を見てると納得できるんです。
ものすごーーーーーーーーーくチャーミングなの。
85歳とは思えないほどのエネルギッシュさにシックな装い。
知的でユーモア溢れる語り口。
自分の中のビジョンを、少年のように目をキラキラさせ、身振り手振りで表現する。話を聞いてるうちに彼の脳内映像がはっきり見えてくるようです。
もっともっとこの人の話を聞いていたいと思わせる。
なるほど。
こりゃ~超一流のクリエイターたちが虜になるはずだ。
イマジネーションを刺激するんですよね、このおじさま。
また、彼は自分が直観で選んだクリエイターたちを信じて完全に任せるんです。
イメージを詳細に説明し、助言はするけど、余計な口出しはしない。
だから、メビウスもギーガーも「彼等らしさ」を損なうことなく、見事にホドロフスキーのイメージを形にすることができた、と思う。
更にダリやオーソン・ウェルズを口説き落とすテクニック。
好み・癖・交友関係を研究し、最高のリスペクトと巧妙な話術でYESを引き出す。
映画監督としては理想的な人ではないだろうか。

なのに、『ホドロフスキーのDUNE』は製作されることなく幻となってしまった。

彼は脳内のイメージを完全に映像化するのに拘った。
映画は彼の芸術作品であり、スタッフは芸術を形にすべく共に闘う戦士であり、細部に至るまですべてが完璧でないとと譲らなかった。
そして企画書は完璧すぎて独創的すぎた。
映像化には莫大な予算が必要で、リスクが大き過ぎた。
ハリウッドは資金の回収は困難と判断し、映画化は挫折した。

映画を撮るのはお金がかかる。
素晴らしい発想と超一流の才能が集結しても、人々の目に見える形にするには、莫大な資金と人力が必要なのだ。
チャーミングで知的なホドロフスキーは妥協を知らないアーティストでもあった。
エネルギッシュで独創的で完璧主義者で不屈の意志を持った、クレイジーな人。
クレイジーだからこそ、あれほどの人たちを集められたのだろうし、途方も無いアイディアを実現寸前まで漕ぎ着けられたに違いないのだけれど…。
作られなかった作品は生まれてこなかった夢の子供。

ホドロフスキーとそのチームの残した膨大な企画書と絵コンテは後に様々なSF作品に
ヒントを与え、イマジネーションのソースとなった。
エイリアンのあのクリーチャーを創造したのはギーガーだが、彼とハリウッドを結びつけたのはホドロフスキーのDUNEの企画だった。
ホドロフスキーいわく、

「DUNEはたくさんの種を撒いた。
               そこから生まれた作品は全て、DUNEである。」

でも、やっぱり彼の撮ったDUNEを見たかったなぁ。

素晴らしい作品を作り上げるには才能と資質と、尋常でないエネルギーが必要。
そう、クレイジーさがないとダメだと思う。
でも、想いだけでは作れない。
お金だ。
ビジネスとして成立させるには、クリエーションより資金回収を考える人たちを説得し、納得させ、安心させねばならない。
どこかで自分も妥協せざるを得ない。
その落としどころをどこに持ってくるか?
クリエーションの現場にいる人にはきっと、身につまされる作品だろうな。

そんなホドロフスキーの23年ぶり(!)の新作『リアリティのダンス』

http://www.uplink.co.jp/dance/

次はこれを見ます。

あと、これも惹かれてるんですけどねー。
『複製された男』

http://fukusei-movie.com
http://www.foxmovies.jp/gbh/

トレイラーがとってもよくできてますが、映画本編の印象とは違うかなぁ。
謎解きミステリーじゃないですね。
殺人事件は起きるけど動機も犯人も謎じゃないし(笑)
過去の栄華の遺物のような美しく今は寂れたゴージャスなホテル。
夢の残り香を糧に生きる年老いた富豪と作家、伝説のコンシェルジュを巡る物語。
贅沢で豊かで、ゆったりと時間が流れていたころ、人生はもっと陰影に富んで深くてユーモラスで残酷で、だからこそ奇蹟の瞬間ってのが存在していたに違いない。
…と、ついついノスタルジックな気分に浸ってしまうような100分でした。
舞台は白とピンクと金色を基調にしたグランドブダペストホテル。
黒と深海の深緑を基調にした公爵夫人の屋敷。
灰色の刑務所。
隅々まで計算されつくし拘り抜いた色彩とセットと小物で構成され、そこに居る人々も隙のない完璧なファッション。(囚人服の汚れ具合まで完璧)
まるで箱庭の世界。
実物大の箱庭の世界で繰り広げられる人々の生。
殺人があっても戦争があっても『そして人生は続く』。
どこかファンタスティックで物悲しい。
見終わった後、なんだか満たされた気分になります。
他のものでは得られない、映画的贅沢三昧。
キャストもとっても豪華です。
レイフ・ファインズ、ジュード・ロウ、ティルダ・スウィントン(え?と思った)
エドワード・ノートン。
囚人のおっさん(もうおじいさんだが)が素敵!と思ったらハーヴェイ・カイテル
だし(レザボア・ドッグスかっこ良かった!)
若いころは濃すぎで「ちょっとなぁ…」だったジェフ・ゴールドブレムが
めちゃくちゃ素敵になってるし。
しっかし…ウィルム・デフォー。またもやサイコな殺し屋ですかw

ウェス・アンダーソン監督作品は「ロイヤルテネンバウムス」しか見たことないけど
ああ、同じ手触りだわと思いました。
ティム・バートンやテリー・ギリアム監督作品が好きなら絶対オススメです。
間違いなく気に入るはず。
私は大好きになりました。

追記)伝説のコンシェルジュ、グスタフ愛用のコロン「ル・パナシェ」が気になる。
どんな香りなんだろ…。
GINZAの今月号で特集組んでたからチェックしてみよう。

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ

http://onlylovers.jp

ジム・ジャームッシュ監督。
ティルダ・スウィントン、トム・ヒドルストン、ミア・ワシコウスカ。
もーこれだけでも「え!?見たい!」なのに、ヴァンパイア映画ですよ。
しかもトレイラーの格好良さと来たら!!!
たまりません。ど真ん中。
去年チェックしてたのにすっかり忘れて、主な映画館の上映終わってたという(泣)
なんでだろ。
脳の老化(うわぁ;)
…あっ!そうか。安堂ロイドのせいか!!←
でも2月初めから川崎、横浜で。
3月初めからは高井戸で上映されると知って一安心。
覚え書きとしてここに書いとこう。
ここまで読んでくださったあなた。
↑のURLをクリックしてトレイラーだけでも見てください、マジでカッコいいです。
ええと、主演の男性はマイティ・ソーのロキの人なのねー。
そしてジョン・ハートが!!!かっこいいーーーーーーー!!!!にゃー!!
弾丸を差し出す手の、なんと貴族的なこと。素敵。
しっかしティルダ・スウィントン。変わらないなー。
彼女を初めて見たのは80年代後半。
デレク・ジャーマンのラスト・オブ・イングランドだった。
ラファエロ前派の絵に出て来るような金髪碧眼。
相変わらず『死せるオフィーリア』ばりの綺麗な顔してるけど何歳だろう?
と調べてびっくり。1960年生まれ。えーっ!?54歳かよ!!!
…何喰ってんだろ。まさか生き血(ry. マジで魔女。モノノケだわ。

モノノケといえば。
キムラもヴァンパイア役、やればいいのに。
この映画みたいな雰囲気だったらもう最高だな。
いや、もっと俗っぽい感じのが面白いかなー。
歌舞伎町とか六本木辺りで夜のお仕事してるヴァンパイアとかどうかしら?
闇と血とエロスの匂い。美しい男と女。
結構生々しくて似合うと思うのだが。

…結局モノノケな人が好きな自分である。
http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/#/home

宇宙空間でトラブルが起きたら?
しかも地上との通信が途絶えてしまったら?
極限状態を生き抜いて無事地球へ生還できるか?

めちゃくちゃ面白くて、見終わったあとしばらくぼーっとしてしまいました。
皆そうだったみたいで、エンディングロールが流れだしてもしばらくシーンとして
誰も席を立たなかった映画は久々かも。
上映時間は比較的短いです。それがいい。
余分は全て削ぎ落して、みせたい部分だけ徹底的につくりこんで見せる。
宇宙空間が舞台なのに、密室劇のような息苦しさ。
人間が生きられる空間が、宇宙服と宇宙船内だけなので、必然的にそうなる。
(この辺りの閉塞感は『月に囚われた男』によく似てるなぁ)
対照的にシャトルや宇宙ステーションの崩壊シーンはスケール感があって、
大気がないので物の細部までくっきり見え、光と影のコントラストが強いのも、
妙な圧迫感を感じるんですよね。
そしてスクリーンいっぱいに映し出される巨大な地球の、崇高なまでの美しさ。
是非とも映画館で見て欲しい作品です。
そして!!
とにかくジョージ・クルーニーがカッコいいんす。
いっつも冗談だかホンキだかわかんない小話やらジョークやら飛ばしてるオッサン。
なんですが、危機に直面したときの行動力、判断力が素晴らしいのです。
役萌えってやつでしょうが、いやでも役者本人の滲み出る魅力って絶対大きい。
人間力あるなー…惚れちまうじゃねーか!!
ずりぃよ!!コワルスキーさん!!(⬅ジョージの役名)
そしてサンドラ・ブロックの肝っ玉っぷり(笑)素敵。
私だったら…あんな状況に陥ったらパニクって絶対死んでるわ…。
そうそう、確か50代近くなかったすか?この方。
素晴らしいプロポーション!!
よし、サンドラを目指すぞ。(志は高い程よい)
面白かったです。

http://wwws.warnerbros.co.jp/pacificrim/

日本の特撮映画(主にゴジラ)と巨大ロボットアニメ(マジンガーZからエヴァ)への
オマージュを随所に散りばめながら、あー、アメリカ映画だなぁと実感する、
父と子の葛藤、成長、『世界の平和はオレらが守るぜ!!』的無闇に熱い使命感wも
ばっちり盛り込みつつ、ヒロイン(菊地凛子)とヒーローが安易にラブ☆シチュに
移行しない感じがあっぱれであった。
近未来、グァム沖合の深海に出来た裂け目(Pacific Rim)を通って、異次元宇宙からの
侵略者の放つ巨大生物=Kaijuが、地球人を掃討すべく送り込まれて来る。
迎え撃つのは人類の英知を結集したイェーガー(独語でHunter=狩人)と呼ばれる
巨大ロボット。
これの操縦がユニークで。
二人一組で一人ずつロボットの右脳・左脳を受け持って動かすので、二人のシンクロ度が高い程、ロボットの戦闘能力が高まる仕組み。
つまりロボットを動かすには個人的能力だけでなく生まれ持った相性が必要で、
ここでまず物語が生まれる訳ですよ。
で、ロボットと操縦士の筋肉・意志の動きをより正確に短時間で接続するために、
ヘルメットの中を神経伝達物質のような液体で満たすのですが、即座に連想したのが
エヴァンゲリオンでした。
他にもちょこちょこあれれ?これって元ネタアレだよね?な部分が。
Kaijuが宇宙からでなく海からやってくるイメージはもちろんゴジラですし。
そのKaijuから都市を防御するための、巨大な防護壁は進撃の巨人を彷彿とさせます。
また、物語の大部分は香港にあるイェーガーの基地が舞台なのですが、その香港の
セットが完全にブレードランナーだったり。
でも、そういう小ネタを知らなくても巨大ロボットとKaijuの戦闘ものとして十分
楽しめると思います。
Kaijuがは虫類と両生類の中間のようなフォルムで、口を開くといきなりプレデターかエイリアンみたいな、ゴカイのような形態になるのもご愛嬌。
深海のオオグソクムシみたいな寄生虫がくっついたりしてる設定も細かくてよい。
Kaijuとイェーガーの戦闘シーンがめちゃくちゃ迫力があるんですよ。
イェーガーがKaijuにやられると、操縦してる二人もダメージを受けるんだけど、
本当に痛そうなんす。
で、Kaijuの飛び散る体液がブルーの蛍光ペンキみたいな物質なんですが、とっても
臭そう(笑)
見てるうちに映画だってことを忘れて、思わず手に力が入ってしまいました。
うぉおおおお!!!ここで踏ん張ってもらわないと人類滅びるぞ!!!!みたいな。
一つ不満があるとするとイェーガーのフォルムがいかにも鋼鉄のロボットっぽくて、
何となく鉄人28号みたいでイマイチ洗練度低い気がする(笑)
でも監督のヲタク臭みたいのは良いほうに作用してたし。
いいもん見せていただきました。
そうそう、芦田愛菜ちゃん、お芝居上手いな〜。
でも彼女が成長しても菊地凛子さんにはならない気がするw
欲を言えば、もーちょいヒーローが私の好みだったら最高←w
もう一つ。
意外と重要な役割を果たすヲタクなマッドサイエンティスト2人組。
爆笑問題の太田と田中に見えてしょうがなかったっす。
そうそう、香港のマフィアでKaijuの死骸を漢方薬として売りさばく商魂たくましい
怪しい男、ハンニバル。
この人…もしかして?と思ったら、『薔薇の名前』のサルヴァトーレ役の俳優さん
でした。一度見たら忘れられないあの特異な容貌。

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