グランメゾン東京 10
2019年12月27日 キムラさん コメント (2)出来たな。最高のチームが。
京野の言葉に瞳を潤ませる尾花。
それは尾花の悲願であり、京野の希望でもあったはず。
チームの誰よりもお互いの事を知り、あらゆる感情を味わっただろう二人。
京野は2度と人に食べさせる料理を作らないという誓いを破る。
倫子の言葉によると「ボンヤリした味」の鹿肉のロースト。
祥平の曖昧なリアクションにキレた京野の言葉。
「俺の料理、何も感じないだろう?」
「お前には才能があるのになぜ料理人を辞めるなんて言うんだ!?」
才能。
やる気のあるなしや人間性とは関係なく、それは存在する。
残酷に。はっきりと。厳然と。
京野が、結局は尾花とやろうと決めたのは間違いなくそこで、
倫子同様、京野もまた尾花夏樹の才能に惚れ込んでいる。
相沢は祥平を許さないよと言った。
やるべき事があっただろう?逃げ回るんじゃなくて。
そりゃそうだ。
コンタミ事件のせいでエスコフィユは解散し、妻と娘と離れ離れになったのだ。
でも私は知っている。
尾花夏樹とは絶対に手を組まないよと言いながら、
いつの間にかグランメゾン東京の仲間に引き込まれている彼を 笑
なぜ尾花はそこまで祥平に拘るのか?
「平古祥平の料理には人を動かす力がある。」
答えはいつもシンプル。
メイン料理の開発に祥平を指名した尾花。
二人が夢中になって料理を作る姿を横目でチラチラ見る相沢。
そこには祥平のミスを許せない気持ち以外のものがある。
つい目が行ってしまい表情が曇るような…嫉妬に近いかもしれない。
会心の作の前菜は、目の覚めるようなグリーンの、クスクスのサラダ。
真っ白い皿に盛られたそれは、食べることの出来るアート作品のよう。
目にも感動を与えるそれを尾花が味見する。
焦らすようになかなかリアクションしない彼を、息を詰めて見守る相沢。
ついに尾花が天を仰いだ。相沢の歓喜。
「相沢さん、尾花さんの要求に応えられなくて苦しんでましたから。」
祥平の口から語られる過去。
倫子が看破した通り、尾花の価値観は「美味いか、美味くないか。」のみ。
嘘も忖度もない。
才能ある人間が躊躇いもなく言い放つ、真理。
その身も蓋もなさに腹を立てながら、皆、尾花の周りに集まっている。
図らずも相沢が言う。
「エスコフィユが壊れなかったらグランメゾン東京は無かったんだよね。」
不思議な巡り合わせ。
いや、もしかすると必然だったのか?
その想いは全員の中にあるような気がする。
リンダはゴシップ紛いの記事で祥平の人生までも壊そうとする。
祥平はgakuを追われる。
しかし尾花が彼を拾う。
リンダは尾花を脅すが、彼はびくともしない。
そして美優はグランメゾンを再訪する。
萌絵はモンブランアマファソンをどうしてもサーヴ出来ない。
(第4話では実は尾花がモンブランをサーヴするはずだった)
尾花は美優にそれとなく祥平の存在を伝える。
美優は壁越しに正直な気持ちを伝える。
・・・こんなにピュアでロマンティックなシーンをドラマで見るのは久々だと思った。
美しく哀しく、でも力強い、恋する二人の瞬間。
調査員すら訝しむリンダの、祥平への執着。
メンツを潰された怒りだけとは思えない。
「私は尾花夏樹の腕に心底惚れ込んでいますから!」
高らかに宣言した倫子。
リンダの顔に微かに浮かぶ敗北感。
料理人やレストランをペンの力で潰すほどの政治力を持つ女。
かつては尾花の恋人だった女。
美しく聡明で無敵に思える、誇り高き女。
しかしリンダは、チーム・グラメの一員にはなれない。
コンタミ事件の真相を探るうち、心のうちに嫉妬が芽生えても不思議じゃない。
尾花が大切に育てる祥平。
尾花が片腕となって支える倫子。
尾花と、一つの目標で結ばれた仲間たち。
リンダは尾花が倫子に三つ星を【プレゼントする】と思っているようだが、
少し違う気がする。
彼は「あんたに三つ星を獲らせてやるよ。」と約束した。
ずっと引っかかっていた、【獲らせてやる】
「獲ってやる」でなく「獲らせてやる」なのだ。
倫子は、自分には料理の才能が無いと思い込んでいる。
尾花が中心に居るから三つ星を獲れるのだと。
尾花は、どうだろう?
「星は店に着く。」
リンダも江藤オーナーもそう断言した。
才能あるシェフより資金力。
人よりお金とハコがモノを言うのだと。
江藤は丹後を解任する。
平古を失い、自信を失った丹後に三つ星は獲れないと判断した。
江藤は、嫌な奴だが悪人では無い。
彼には夢がある。
実現のためには手段を選ばない。
つまり、彼なりのやり方で店を愛している。
丹後の渾身の新作を口にした時の、泣き笑いの顔。
三つ星を焦った自分の愚かさに、気づいたときにはもう遅い。
去り際に聞いた「俺の料理はどうだった?」の一言に、江藤は答えられない。
丹後はいろんなものを失ったけれど、自信を取り戻せたようだ。
祥平がgakuを辞める時に送った言葉。
「お前の料理、最高だったぞ。」
「ばかやろう。」
元々は尾花同様、自分の力を、仲間を信じる、誇り高き料理人。
丹後はどうするのだろう?
新しい店を立ち上げるのか。
その時、誰をパートナーに選ぶのだろうか。
才能と、それを信じる人たちの夢とが合わさった時、奇蹟が起きる。
グランメゾン東京のテーマはそこじゃないだろうかと思うし、
それを実感できるラストであってほしい。
京野の言葉に瞳を潤ませる尾花。
それは尾花の悲願であり、京野の希望でもあったはず。
チームの誰よりもお互いの事を知り、あらゆる感情を味わっただろう二人。
京野は2度と人に食べさせる料理を作らないという誓いを破る。
倫子の言葉によると「ボンヤリした味」の鹿肉のロースト。
祥平の曖昧なリアクションにキレた京野の言葉。
「俺の料理、何も感じないだろう?」
「お前には才能があるのになぜ料理人を辞めるなんて言うんだ!?」
才能。
やる気のあるなしや人間性とは関係なく、それは存在する。
残酷に。はっきりと。厳然と。
京野が、結局は尾花とやろうと決めたのは間違いなくそこで、
倫子同様、京野もまた尾花夏樹の才能に惚れ込んでいる。
相沢は祥平を許さないよと言った。
やるべき事があっただろう?逃げ回るんじゃなくて。
そりゃそうだ。
コンタミ事件のせいでエスコフィユは解散し、妻と娘と離れ離れになったのだ。
でも私は知っている。
尾花夏樹とは絶対に手を組まないよと言いながら、
いつの間にかグランメゾン東京の仲間に引き込まれている彼を 笑
なぜ尾花はそこまで祥平に拘るのか?
「平古祥平の料理には人を動かす力がある。」
答えはいつもシンプル。
メイン料理の開発に祥平を指名した尾花。
二人が夢中になって料理を作る姿を横目でチラチラ見る相沢。
そこには祥平のミスを許せない気持ち以外のものがある。
つい目が行ってしまい表情が曇るような…嫉妬に近いかもしれない。
会心の作の前菜は、目の覚めるようなグリーンの、クスクスのサラダ。
真っ白い皿に盛られたそれは、食べることの出来るアート作品のよう。
目にも感動を与えるそれを尾花が味見する。
焦らすようになかなかリアクションしない彼を、息を詰めて見守る相沢。
ついに尾花が天を仰いだ。相沢の歓喜。
「相沢さん、尾花さんの要求に応えられなくて苦しんでましたから。」
祥平の口から語られる過去。
倫子が看破した通り、尾花の価値観は「美味いか、美味くないか。」のみ。
嘘も忖度もない。
才能ある人間が躊躇いもなく言い放つ、真理。
その身も蓋もなさに腹を立てながら、皆、尾花の周りに集まっている。
図らずも相沢が言う。
「エスコフィユが壊れなかったらグランメゾン東京は無かったんだよね。」
不思議な巡り合わせ。
いや、もしかすると必然だったのか?
その想いは全員の中にあるような気がする。
リンダはゴシップ紛いの記事で祥平の人生までも壊そうとする。
祥平はgakuを追われる。
しかし尾花が彼を拾う。
リンダは尾花を脅すが、彼はびくともしない。
そして美優はグランメゾンを再訪する。
萌絵はモンブランアマファソンをどうしてもサーヴ出来ない。
(第4話では実は尾花がモンブランをサーヴするはずだった)
尾花は美優にそれとなく祥平の存在を伝える。
美優は壁越しに正直な気持ちを伝える。
・・・こんなにピュアでロマンティックなシーンをドラマで見るのは久々だと思った。
美しく哀しく、でも力強い、恋する二人の瞬間。
調査員すら訝しむリンダの、祥平への執着。
メンツを潰された怒りだけとは思えない。
「私は尾花夏樹の腕に心底惚れ込んでいますから!」
高らかに宣言した倫子。
リンダの顔に微かに浮かぶ敗北感。
料理人やレストランをペンの力で潰すほどの政治力を持つ女。
かつては尾花の恋人だった女。
美しく聡明で無敵に思える、誇り高き女。
しかしリンダは、チーム・グラメの一員にはなれない。
コンタミ事件の真相を探るうち、心のうちに嫉妬が芽生えても不思議じゃない。
尾花が大切に育てる祥平。
尾花が片腕となって支える倫子。
尾花と、一つの目標で結ばれた仲間たち。
リンダは尾花が倫子に三つ星を【プレゼントする】と思っているようだが、
少し違う気がする。
彼は「あんたに三つ星を獲らせてやるよ。」と約束した。
ずっと引っかかっていた、【獲らせてやる】
「獲ってやる」でなく「獲らせてやる」なのだ。
倫子は、自分には料理の才能が無いと思い込んでいる。
尾花が中心に居るから三つ星を獲れるのだと。
尾花は、どうだろう?
「星は店に着く。」
リンダも江藤オーナーもそう断言した。
才能あるシェフより資金力。
人よりお金とハコがモノを言うのだと。
江藤は丹後を解任する。
平古を失い、自信を失った丹後に三つ星は獲れないと判断した。
江藤は、嫌な奴だが悪人では無い。
彼には夢がある。
実現のためには手段を選ばない。
つまり、彼なりのやり方で店を愛している。
丹後の渾身の新作を口にした時の、泣き笑いの顔。
三つ星を焦った自分の愚かさに、気づいたときにはもう遅い。
去り際に聞いた「俺の料理はどうだった?」の一言に、江藤は答えられない。
丹後はいろんなものを失ったけれど、自信を取り戻せたようだ。
祥平がgakuを辞める時に送った言葉。
「お前の料理、最高だったぞ。」
「ばかやろう。」
元々は尾花同様、自分の力を、仲間を信じる、誇り高き料理人。
丹後はどうするのだろう?
新しい店を立ち上げるのか。
その時、誰をパートナーに選ぶのだろうか。
才能と、それを信じる人たちの夢とが合わさった時、奇蹟が起きる。
グランメゾン東京のテーマはそこじゃないだろうかと思うし、
それを実感できるラストであってほしい。
グランメゾン東京 9(編集しました)
2019年12月20日 キムラさん コメント (2)人は皆過去から続く現在を生きている。
過去のある時・ある瞬間の積み重ねの上に今の「わたし」がある。
と言えるかもしれない。
尾花夏樹はエスコフィユという素晴らしいレストランのオーナーシェフだった。
しかし日仏首脳会談の席でアレルギー食材混入事故を起こし、全てを失った。
平古祥平は尾花夏樹のエスコフィユで働いていた。
アレルギー食材混入事故は彼の不注意に起因するものだったが、
それを公にすることなく日本に戻って3年間をすごした。
久住栞奈は外務省次官の娘でソムリエを目指して夢を持って働いていた。
エスコフィユの事故で父は失脚、左遷され、滅多に会えない僻地で暮らし
彼女は尾花夏樹を恨んでいる。
リンダ・真知子・リシャールは業界では名の知れたフーディ。
尾花夏樹とは恋人同士でもあった。
事件の犯人が平古祥平と知り、彼と庇った尾花を憎んでいる。
3年前の事故。
皆、その過去の十字架を背負って歩き続けてきた。
京野も相沢もだ。
尾花はかつての仲間を一人ずつ自分の側に引き入れて行く。
が、彼は過去の弁明を何一つしない。誰が犯人かも言わない。
罵声を浴びせられ、クズだと罵られ、
お前とだけは関わりたくないと断られても、だ。
尾花夏樹は自分の天才を信じているから。
栞奈すら、彼の料理への情熱に触れて、仲間に加わった。
栞奈に「日本産の良いワインを提案しろ。」と言った尾花は、
たぶん京野の指摘通り「本当にいいワインを持ってくるか試した。」のだろう。
栞奈は最高のワインを持ってきた。
尾花には彼女の過去も目的も分かっていたはず。
でもぶどう畑をめぐりワイナリーで熱く語る彼女には、薄暗いものは一切感じない。
尾花は見抜いていたのだ。
栞奈もまた、料理を愛する者だと。
「せっかくの料理を濁らせたくないもんな。」
「死ぬほど料理が好きだから。」
美味しいものは人の気持ちを動かす。
尾花夏樹は自分の味に絶対の自信を持ち、その魔力を信じている。
栞奈の言葉。
「誰があんたの作る料理なんか!」は、7話のエリーゼの言葉を連想する。
「もう、あなたの料理は食べたくない!」
二人とも心の中でこういったはず。
【だって美味しくて心動かされてしまうから】
尾花の料理は、食べる人に本当の歓びを運んでくる。
歓びは奇蹟を生み、人は怒りを忘れ、過去を赦す。
倫子の言葉。
「尾花夏樹の料理には人を動かす力がある。」
尾花は過去の経験から、トラブルが起きたときの最良の対処方法を知っている。
保健所に届け、徹底的に調査し、店を消毒し、顧客に情報公開することで
店への被害を最小限に抑えた。
でも、過去は変えられない。
平古を庇って全責任を被ったのは、間違いではなかっただろうけれど、
京野や相沢の人生を狂わせ、久住やリンダに憎しみを植えつけた。
結局、平古は居場所を失い、リンダはグランメゾンに宣戦布告する。
行方不明だった3年間、尾花は自分自身に問いかけ続けたかもしれない。
あの時、自分はどうすれば良かったのか?
怒りに任せて役人を殴ったのは彼の瑕疵なのは間違いない。
でも、もし。
アレルギー事件の顛末を公にすれば、誰かの同情を買えたかもしれない。
だとしたら?
平古祥平の才能は蕾すらつけないまま切り捨てられただろう。
平古をグランメゾンに呼ぶ。
それは新たな困難をグランメゾン東京に持ち込むリスクの高い行為だ。
リンダは、顔に泥を塗られた以上に、倫子と尾花の関係に嫉妬している。
二人が恋人ではなく対等な立場のシェフであり仲間だからだ。
料理評論の世界では絶対権力者のように振る舞う彼女であっても。
倫子と尾花はクリエイターとしての絆で結ばれている。
リンダは政治力で三ツ星獲得を阻止できたとしても、二人の絆は断ち切れない。
「倫子さんに星をプレゼントできなくなるわよ?」
彼女の言葉は、尾花には響かない。
尾花は過去を振り返らない。
平古祥平は自らの過去を告白した。
彼が前を向いて歩き出すにはグランメゾンに来るしかない。
尾花と彼とで三ツ星を掴む。
妨害も圧力も料理の奇蹟で跳ね返すしかない。
祥平が美優と幸せを掴むなら、
グランメゾンで働きながら美優の父親を説得するしかない。
個人的には彼は丹波と合流するのが一番いいと思う。
尾花夏樹と居る限り、彼は弟子であり続けるから。
尾花が潮の元を離れ、単身パリへ向かったように。
尾花は、リンダを「料理で」説得しなければならない。
必ずやれると尾花は信じている。
彼女が、今でも自分の知っているリンダのままなら。
本物の熱狂的なフーディならば。
「あんたって料理のことか美味しいかしか考えてないよね!」と倫子はいった。
それで良いのだ。
尾花夏樹の料理で、奇跡は起きる。
きっと。
過去のある時・ある瞬間の積み重ねの上に今の「わたし」がある。
と言えるかもしれない。
尾花夏樹はエスコフィユという素晴らしいレストランのオーナーシェフだった。
しかし日仏首脳会談の席でアレルギー食材混入事故を起こし、全てを失った。
平古祥平は尾花夏樹のエスコフィユで働いていた。
アレルギー食材混入事故は彼の不注意に起因するものだったが、
それを公にすることなく日本に戻って3年間をすごした。
久住栞奈は外務省次官の娘でソムリエを目指して夢を持って働いていた。
エスコフィユの事故で父は失脚、左遷され、滅多に会えない僻地で暮らし
彼女は尾花夏樹を恨んでいる。
リンダ・真知子・リシャールは業界では名の知れたフーディ。
尾花夏樹とは恋人同士でもあった。
事件の犯人が平古祥平と知り、彼と庇った尾花を憎んでいる。
3年前の事故。
皆、その過去の十字架を背負って歩き続けてきた。
京野も相沢もだ。
尾花はかつての仲間を一人ずつ自分の側に引き入れて行く。
が、彼は過去の弁明を何一つしない。誰が犯人かも言わない。
罵声を浴びせられ、クズだと罵られ、
お前とだけは関わりたくないと断られても、だ。
尾花夏樹は自分の天才を信じているから。
栞奈すら、彼の料理への情熱に触れて、仲間に加わった。
栞奈に「日本産の良いワインを提案しろ。」と言った尾花は、
たぶん京野の指摘通り「本当にいいワインを持ってくるか試した。」のだろう。
栞奈は最高のワインを持ってきた。
尾花には彼女の過去も目的も分かっていたはず。
でもぶどう畑をめぐりワイナリーで熱く語る彼女には、薄暗いものは一切感じない。
尾花は見抜いていたのだ。
栞奈もまた、料理を愛する者だと。
「せっかくの料理を濁らせたくないもんな。」
「死ぬほど料理が好きだから。」
美味しいものは人の気持ちを動かす。
尾花夏樹は自分の味に絶対の自信を持ち、その魔力を信じている。
栞奈の言葉。
「誰があんたの作る料理なんか!」は、7話のエリーゼの言葉を連想する。
「もう、あなたの料理は食べたくない!」
二人とも心の中でこういったはず。
【だって美味しくて心動かされてしまうから】
尾花の料理は、食べる人に本当の歓びを運んでくる。
歓びは奇蹟を生み、人は怒りを忘れ、過去を赦す。
倫子の言葉。
「尾花夏樹の料理には人を動かす力がある。」
尾花は過去の経験から、トラブルが起きたときの最良の対処方法を知っている。
保健所に届け、徹底的に調査し、店を消毒し、顧客に情報公開することで
店への被害を最小限に抑えた。
でも、過去は変えられない。
平古を庇って全責任を被ったのは、間違いではなかっただろうけれど、
京野や相沢の人生を狂わせ、久住やリンダに憎しみを植えつけた。
結局、平古は居場所を失い、リンダはグランメゾンに宣戦布告する。
行方不明だった3年間、尾花は自分自身に問いかけ続けたかもしれない。
あの時、自分はどうすれば良かったのか?
怒りに任せて役人を殴ったのは彼の瑕疵なのは間違いない。
でも、もし。
アレルギー事件の顛末を公にすれば、誰かの同情を買えたかもしれない。
だとしたら?
平古祥平の才能は蕾すらつけないまま切り捨てられただろう。
平古をグランメゾンに呼ぶ。
それは新たな困難をグランメゾン東京に持ち込むリスクの高い行為だ。
リンダは、顔に泥を塗られた以上に、倫子と尾花の関係に嫉妬している。
二人が恋人ではなく対等な立場のシェフであり仲間だからだ。
料理評論の世界では絶対権力者のように振る舞う彼女であっても。
倫子と尾花はクリエイターとしての絆で結ばれている。
リンダは政治力で三ツ星獲得を阻止できたとしても、二人の絆は断ち切れない。
「倫子さんに星をプレゼントできなくなるわよ?」
彼女の言葉は、尾花には響かない。
尾花は過去を振り返らない。
平古祥平は自らの過去を告白した。
彼が前を向いて歩き出すにはグランメゾンに来るしかない。
尾花と彼とで三ツ星を掴む。
妨害も圧力も料理の奇蹟で跳ね返すしかない。
祥平が美優と幸せを掴むなら、
グランメゾンで働きながら美優の父親を説得するしかない。
個人的には彼は丹波と合流するのが一番いいと思う。
尾花夏樹と居る限り、彼は弟子であり続けるから。
尾花が潮の元を離れ、単身パリへ向かったように。
尾花は、リンダを「料理で」説得しなければならない。
必ずやれると尾花は信じている。
彼女が、今でも自分の知っているリンダのままなら。
本物の熱狂的なフーディならば。
「あんたって料理のことか美味しいかしか考えてないよね!」と倫子はいった。
それで良いのだ。
尾花夏樹の料理で、奇跡は起きる。
きっと。
幸運にもキャンセル待ちで繰り上げ当選しました。
「教場」
本当に面白い!!
原作も面白いのですが、短編集の映像化にありがちな「エピソード寄せ集め感」
を全く感じさせない。
各エピソードが独立しながら緩やかに繋がっていく。
色のない教室。
色のない生徒、教師たち。
冷たいスチールブルーの色彩が支配する中、風間が育てる花壇の花だけが
鮮やかで、対比が印象的。
風間の足もとからカメラが引いて徐々に全身が見えてくるカットがあるのですが、
靴音と足運びだけでこんなに威圧感や不安感が表現できるのか! と。
映像も音の使い方も映画的で奥行きや広がりを感じさせます。
不穏な空気が漂い、何かが起きそうな気配がそこかしこに。
常に緊張を強いられる生徒たちの心理に、こちらも巻き込まれていく感じ。
中江監督、凄いです。
そして、風間公親。
こちらのブログに来られる木村ファンは、全員撃ち抜かれます。間違いなく。
白髪。痩身。感情を抑えた低い声。
そして、右目。
魔力すら感じます。
木村が年齢より若くエネルギーに満ち溢れて見えるのは、
潤んだ黒目がちの瞳のせいなのですね・・・。
風間の背中、ぞくっとする色気を放っております。
剣道のシーンがあるのですが、ファン的にはサービスショット 笑
胴着の、キュッと締めた腰の細さ。
背筋を伸ばして正座する顔のシルエット。
もう、ヤバイです。
昨日は前編のみの試写でした。
舞台挨拶で木村さんがバラしてましたけど、後編はまだ編集中だそうです 笑
舞台挨拶の木村さん。
髪は尾花のくるくるヘアですが、黒っぽくちょっとウエットにセットした感じかな。
試写会の後、後ろから登場したので数メートルの距離で見たのですが、
華奢なのにとても大きく見えるし横顔のラインの美しさ。
同じ人類とは思えない・・・生きた彫刻のようでした。
舞台から正面の席で肉眼ではっきりと顔が見える距離だったので、
表情の変化もよく見えて、ここまで近いのは人生最初で最後かも知れない…
目が溢れ落ちそうなほど大きくて丸くて、ライトを反射してキラッキラと輝く。
他の役者さんたちも目鼻立ちがくっきりして綺麗ですが、彼の瞳は特殊。
光の反射率が異常に高い。まるで目から光を放ってるような…。
生徒役の方々も皆さん若くてキラキラしておりました。
木村さんの左が工藤阿須加さん、右が川口春奈さん。
川口さんとはしょっちゅう小声で話してました。いい感じでしたよ。
三浦翔平さんと大島優子さんは 木村さ〜〜ん!でも共演しているし、
気心知れてる感じでしたね。
楽屋で久々に再会し、全員とハイタッチ交わしたそうですが、
試写会で初めて本編を見たらしく。
見てしまった後では、生徒役の役者さんたちの輪の中に入れなくなったそう。
「試写を見た後はずっと中江監督のそばに居ました。」と。
ドラマなんだけど、ドキュメンタリーのような。
見ていると現実とドラマの境目が曖昧になって、自然に生徒役の人たちとの
距離感を感じてしまった、と言ってました。
風間教官として生きた現場での感覚が蘇ったのかも?と思いました。
それと、FLOWでも語ってたジェネレーションギャップ。
現場では立ちっぱなしだったので、若手の人たちも座り辛かったと、
三浦翔平さんが語っていたのも印象的。
風間教官と木村拓哉。
ビジュアルも職業も全く違う二人ですが、根底に流れるものはなんだか
とても近いような気がします。
木村さんはあそこまで厳格ではないでしょうけど。
風間も非常に繊細な目線で人を見る。
嘘や見せかけを見抜くシビアさと心理を読み先を見通す鋭さ。
何より自分を律する厳しさ。
さんまさんの「(木村は)軍人みたいなとこあるから。」を思い出しました。
フジテレビのドラマは月9のイメージが強いですが、若者のすべてやギフト、
眠れる森など、むしろ本流から外れた作品に良いものがある。
「教場」はその系譜を受け継ぐ作品だと思います。
「正月4日5日にこれを放送する意義は」と木村さん。
浮かれた気分の作品でないのは確かです。
が、今、たくさんの人にこれを見てもらい、考えてもらうのに意義がある。
「街で警察の方を見かけたら心の中だけでもいいので、
【ありがとう】と声をかけてください。」
志を掲げ様々な事情を抱えつつ「教場」という過酷な場を生き抜いた人たち。
ドラマを見て、そのことを知ってもらいたいのだと。
来年早々の放映が今から待ち遠しいです!!
「教場」
本当に面白い!!
原作も面白いのですが、短編集の映像化にありがちな「エピソード寄せ集め感」
を全く感じさせない。
各エピソードが独立しながら緩やかに繋がっていく。
色のない教室。
色のない生徒、教師たち。
冷たいスチールブルーの色彩が支配する中、風間が育てる花壇の花だけが
鮮やかで、対比が印象的。
風間の足もとからカメラが引いて徐々に全身が見えてくるカットがあるのですが、
靴音と足運びだけでこんなに威圧感や不安感が表現できるのか! と。
映像も音の使い方も映画的で奥行きや広がりを感じさせます。
不穏な空気が漂い、何かが起きそうな気配がそこかしこに。
常に緊張を強いられる生徒たちの心理に、こちらも巻き込まれていく感じ。
中江監督、凄いです。
そして、風間公親。
こちらのブログに来られる木村ファンは、全員撃ち抜かれます。間違いなく。
白髪。痩身。感情を抑えた低い声。
そして、右目。
魔力すら感じます。
木村が年齢より若くエネルギーに満ち溢れて見えるのは、
潤んだ黒目がちの瞳のせいなのですね・・・。
風間の背中、ぞくっとする色気を放っております。
剣道のシーンがあるのですが、ファン的にはサービスショット 笑
胴着の、キュッと締めた腰の細さ。
背筋を伸ばして正座する顔のシルエット。
もう、ヤバイです。
昨日は前編のみの試写でした。
舞台挨拶で木村さんがバラしてましたけど、後編はまだ編集中だそうです 笑
舞台挨拶の木村さん。
髪は尾花のくるくるヘアですが、黒っぽくちょっとウエットにセットした感じかな。
試写会の後、後ろから登場したので数メートルの距離で見たのですが、
華奢なのにとても大きく見えるし横顔のラインの美しさ。
同じ人類とは思えない・・・生きた彫刻のようでした。
舞台から正面の席で肉眼ではっきりと顔が見える距離だったので、
表情の変化もよく見えて、ここまで近いのは人生最初で最後かも知れない…
目が溢れ落ちそうなほど大きくて丸くて、ライトを反射してキラッキラと輝く。
他の役者さんたちも目鼻立ちがくっきりして綺麗ですが、彼の瞳は特殊。
光の反射率が異常に高い。まるで目から光を放ってるような…。
生徒役の方々も皆さん若くてキラキラしておりました。
木村さんの左が工藤阿須加さん、右が川口春奈さん。
川口さんとはしょっちゅう小声で話してました。いい感じでしたよ。
三浦翔平さんと大島優子さんは 木村さ〜〜ん!でも共演しているし、
気心知れてる感じでしたね。
楽屋で久々に再会し、全員とハイタッチ交わしたそうですが、
試写会で初めて本編を見たらしく。
見てしまった後では、生徒役の役者さんたちの輪の中に入れなくなったそう。
「試写を見た後はずっと中江監督のそばに居ました。」と。
ドラマなんだけど、ドキュメンタリーのような。
見ていると現実とドラマの境目が曖昧になって、自然に生徒役の人たちとの
距離感を感じてしまった、と言ってました。
風間教官として生きた現場での感覚が蘇ったのかも?と思いました。
それと、FLOWでも語ってたジェネレーションギャップ。
現場では立ちっぱなしだったので、若手の人たちも座り辛かったと、
三浦翔平さんが語っていたのも印象的。
風間教官と木村拓哉。
ビジュアルも職業も全く違う二人ですが、根底に流れるものはなんだか
とても近いような気がします。
木村さんはあそこまで厳格ではないでしょうけど。
風間も非常に繊細な目線で人を見る。
嘘や見せかけを見抜くシビアさと心理を読み先を見通す鋭さ。
何より自分を律する厳しさ。
さんまさんの「(木村は)軍人みたいなとこあるから。」を思い出しました。
フジテレビのドラマは月9のイメージが強いですが、若者のすべてやギフト、
眠れる森など、むしろ本流から外れた作品に良いものがある。
「教場」はその系譜を受け継ぐ作品だと思います。
「正月4日5日にこれを放送する意義は」と木村さん。
浮かれた気分の作品でないのは確かです。
が、今、たくさんの人にこれを見てもらい、考えてもらうのに意義がある。
「街で警察の方を見かけたら心の中だけでもいいので、
【ありがとう】と声をかけてください。」
志を掲げ様々な事情を抱えつつ「教場」という過酷な場を生き抜いた人たち。
ドラマを見て、そのことを知ってもらいたいのだと。
来年早々の放映が今から待ち遠しいです!!
グランメゾン東京 7
2019年12月4日 キムラさん コメント (5)毎回Twitterで感想を拝見するのが楽しみな書き手の方、お二人。
https://note.com/koudy/n/nda8955b69ff7
Mr. cheesecakeのシェフ、田村浩二氏。
この方のチーズケーキを何度かお取り寄せでいただきました。
こっくりと味わい深いのに後口が爽やか。
何よりもその香り。
トンカビーンという杏仁豆腐みたいな香りの香料が効いてます。
クマリンという成分の発する匂いなのですが、匂いフェチの私にはたまりません。
その田村シェフの、グランメゾン東京の解説文。
素晴らしいです。
毎回感動しております。
もうお一人、うずらさん。
https://mobile.twitter.com/caille2006
この方の知識、描写力、そして確かな舌。
ドラマをより深く、多面的に楽しむことができます。
とても知的な文章を書かれる方。
・・・正直、こんな素晴らしい文章を読めば、自分の考えていたことが全部、
ずーっと深い部分まで解説しつくされてるので、もう十分かなぁと。
ぜひぜひ皆様、目を通してみてくださいませ。
7話は「家庭と仕事のバランス」という永遠のテーマを
「プロの味、母の味」の対比と絡ませながら描いていました。
人を動かす料理を作る天才・尾花夏樹が、素人の母の味に負ける。
まぁアメリーはまだ子供ですからね。
子供の舌は未発達だから、彼女がもう少し大人なら結果は違ったかも。
更に尾花と相沢がエリーゼの為にキノコ料理を作るシーンで、同じテーマが
再度強調されます。
尾花が「ありえないほど塩っぱい」と感じた味付け。
相沢は「エリーゼにはこれくらいの方が良いんだよ。」と答える。
エリーゼはアメリーの、相沢はエリーゼの為だけに作る料理。
エスコフィユ時代、絶対美味を追い続け人の意見を聞き入れなかったという尾花。
もし今もそのままで居たら「お客様のことをよく知っている料理人は強いよな。」
の言葉は出なかっただろう。
初期のエスコフィユでは料理人の家族を呼んでパーティを開いたりもしたらしい。
その時の料理はきっと、プライベートな空気もあり、
参加した一人一人の笑顔のために
趣向を凝らした皿が並んだことだろう。
三つ星を追いかけ始めてエスコフィユは変わってしまった。
そしてアレルギー食材混入事件。
落ちぶれて荒れ果てた3年間を経たパリで尾花は倫子と出会った。
彼女の涙で料理人の喜びの原点に立ち返った尾花。
自分でなく人の為に三つ星を獲ろうと奮闘する尾花。
日本人の舌に合う日本の食材の良さを追求しようと決めた尾花。
お母さんが子供に作る家庭の味とは違う次元だけど、
だれかの「美味しい!」の笑顔の為に
料理をする時、目指すものは同じところにあるのかも知れない。
そんな「今の尾花」は「過去の尾花」をどう感じているのか?
エリーゼと別れ孤軍奮闘でアメリーを育てた相沢。
原因の一端はエスコフィユ時代の自分にもある。
そして全力で守ってきた愛娘とその父を引き裂いたのは、今の自分の力不足。
「すまない。」
静かにドアから出て、壁に向かって拳を突き出そうとして思い留まる。
悔しさ、不甲斐なさ、そして過去の自分へのどうしようもない怒り。
「クソぉ!」
全身で絞り出すような、腹の底から湧き上がる激情が声となって響き渡る。
尾花は変わった。
しかし過去の尾花がどこまでも追いかけてくる。
お前は何をしてきた?
不幸ばかりばら撒いてきたお前が、今更だれかを幸せになんてできないさ、と。
だから空港の別れのシーンが余計に刺さる。
相沢と復縁はないと断言してきたエリーゼが「待っている。」と。
そして尾花に「グランメゾン東京はエスコフィユを超えたわ。」と。
今のあなたは昔のあなたより素晴らしい。
エリーゼはそう告げたのだ。
「だれかの笑顔のために」料理する喜びを取り戻したから。
倫子と京野、相沢というかけがえのないチームが居てくれるから。
「今の尾花、最強じゃない?」
と相沢は京野に言った。
その京野が唐突な倫子への告白。
倫子・尾花・京野の正三角形のバランスが崩れていく予感。
どうなるのか、どうするのか。
しかし私には京野の言う「好きです。」が男女のそれには思えないのだけれど。
もう一つのチーム、gakuの丹後・平古。
グランメゾン東京を超える8位に輝いたが、影には江藤オーナーの暗躍が。
彼に言わせれば「票の取りまとめは当たり前のこと。実力のうち。」だろう。
が、自分の腕だけで闘いたい丹後はどう思うだろう。
丹後と平古は江藤と決別し店を立ちあげそうな気もする。
芹田に「うちの厨房を見ていけよ。」と案内し、料理のファイルを見せる丹後は、
鰆のレシピを流出させたと謝る芹田を笑い飛ばした尾花たちに重なる。
「俺は伝説のレストランの立ち上げメンバーですから。」と胸を張る芹田に
複雑な表情の平古。
彼の心の一部はまだ、尾花と共にあるのだろうか。
芹田と平古はもしかしたら若い頃の尾花にそれぞれ似てるのかも知れないなぁと
ふと思った。
尾花はどうしようもなくダメな男だ。
家庭向きではないし、女を幸せに出来そうもない。
けれど不特定多数の人を「笑顔に」できる「人を動かす力がある」。
そして芹田と平古のプライドと前向きな姿勢を見ていると、人を育てる力もある。
尾花本人はたぶん気づいてはいないだろうけれども。
https://note.com/koudy/n/nda8955b69ff7
Mr. cheesecakeのシェフ、田村浩二氏。
この方のチーズケーキを何度かお取り寄せでいただきました。
こっくりと味わい深いのに後口が爽やか。
何よりもその香り。
トンカビーンという杏仁豆腐みたいな香りの香料が効いてます。
クマリンという成分の発する匂いなのですが、匂いフェチの私にはたまりません。
その田村シェフの、グランメゾン東京の解説文。
素晴らしいです。
毎回感動しております。
もうお一人、うずらさん。
https://mobile.twitter.com/caille2006
この方の知識、描写力、そして確かな舌。
ドラマをより深く、多面的に楽しむことができます。
とても知的な文章を書かれる方。
・・・正直、こんな素晴らしい文章を読めば、自分の考えていたことが全部、
ずーっと深い部分まで解説しつくされてるので、もう十分かなぁと。
ぜひぜひ皆様、目を通してみてくださいませ。
7話は「家庭と仕事のバランス」という永遠のテーマを
「プロの味、母の味」の対比と絡ませながら描いていました。
人を動かす料理を作る天才・尾花夏樹が、素人の母の味に負ける。
まぁアメリーはまだ子供ですからね。
子供の舌は未発達だから、彼女がもう少し大人なら結果は違ったかも。
更に尾花と相沢がエリーゼの為にキノコ料理を作るシーンで、同じテーマが
再度強調されます。
尾花が「ありえないほど塩っぱい」と感じた味付け。
相沢は「エリーゼにはこれくらいの方が良いんだよ。」と答える。
エリーゼはアメリーの、相沢はエリーゼの為だけに作る料理。
エスコフィユ時代、絶対美味を追い続け人の意見を聞き入れなかったという尾花。
もし今もそのままで居たら「お客様のことをよく知っている料理人は強いよな。」
の言葉は出なかっただろう。
初期のエスコフィユでは料理人の家族を呼んでパーティを開いたりもしたらしい。
その時の料理はきっと、プライベートな空気もあり、
参加した一人一人の笑顔のために
趣向を凝らした皿が並んだことだろう。
三つ星を追いかけ始めてエスコフィユは変わってしまった。
そしてアレルギー食材混入事件。
落ちぶれて荒れ果てた3年間を経たパリで尾花は倫子と出会った。
彼女の涙で料理人の喜びの原点に立ち返った尾花。
自分でなく人の為に三つ星を獲ろうと奮闘する尾花。
日本人の舌に合う日本の食材の良さを追求しようと決めた尾花。
お母さんが子供に作る家庭の味とは違う次元だけど、
だれかの「美味しい!」の笑顔の為に
料理をする時、目指すものは同じところにあるのかも知れない。
そんな「今の尾花」は「過去の尾花」をどう感じているのか?
エリーゼと別れ孤軍奮闘でアメリーを育てた相沢。
原因の一端はエスコフィユ時代の自分にもある。
そして全力で守ってきた愛娘とその父を引き裂いたのは、今の自分の力不足。
「すまない。」
静かにドアから出て、壁に向かって拳を突き出そうとして思い留まる。
悔しさ、不甲斐なさ、そして過去の自分へのどうしようもない怒り。
「クソぉ!」
全身で絞り出すような、腹の底から湧き上がる激情が声となって響き渡る。
尾花は変わった。
しかし過去の尾花がどこまでも追いかけてくる。
お前は何をしてきた?
不幸ばかりばら撒いてきたお前が、今更だれかを幸せになんてできないさ、と。
だから空港の別れのシーンが余計に刺さる。
相沢と復縁はないと断言してきたエリーゼが「待っている。」と。
そして尾花に「グランメゾン東京はエスコフィユを超えたわ。」と。
今のあなたは昔のあなたより素晴らしい。
エリーゼはそう告げたのだ。
「だれかの笑顔のために」料理する喜びを取り戻したから。
倫子と京野、相沢というかけがえのないチームが居てくれるから。
「今の尾花、最強じゃない?」
と相沢は京野に言った。
その京野が唐突な倫子への告白。
倫子・尾花・京野の正三角形のバランスが崩れていく予感。
どうなるのか、どうするのか。
しかし私には京野の言う「好きです。」が男女のそれには思えないのだけれど。
もう一つのチーム、gakuの丹後・平古。
グランメゾン東京を超える8位に輝いたが、影には江藤オーナーの暗躍が。
彼に言わせれば「票の取りまとめは当たり前のこと。実力のうち。」だろう。
が、自分の腕だけで闘いたい丹後はどう思うだろう。
丹後と平古は江藤と決別し店を立ちあげそうな気もする。
芹田に「うちの厨房を見ていけよ。」と案内し、料理のファイルを見せる丹後は、
鰆のレシピを流出させたと謝る芹田を笑い飛ばした尾花たちに重なる。
「俺は伝説のレストランの立ち上げメンバーですから。」と胸を張る芹田に
複雑な表情の平古。
彼の心の一部はまだ、尾花と共にあるのだろうか。
芹田と平古はもしかしたら若い頃の尾花にそれぞれ似てるのかも知れないなぁと
ふと思った。
尾花はどうしようもなくダメな男だ。
家庭向きではないし、女を幸せに出来そうもない。
けれど不特定多数の人を「笑顔に」できる「人を動かす力がある」。
そして芹田と平古のプライドと前向きな姿勢を見ていると、人を育てる力もある。
尾花本人はたぶん気づいてはいないだろうけれども。
グランメゾン東京 6
2019年11月26日 キムラさん コメント (5)「才能」
グランメゾン東京の初回から何度もモチーフとなっているテーマ。
尾花の作った手長エビのエチュべを食べた倫子が流す涙。
料理人の道を諦めギャルソンになった京野。
尾花への複雑な思いを胸に秘めた丹後。
インスピレーションでセンスのいいお菓子を作ってしまう萌絵には
料理の才能がある。
長い間下働きばかりしていた祥平の賄いは失意の尾花を救った。
「お前の料理には人を動かす力がある。」
「それは誰にでもあるものじゃない。」
芹田はそのどちらでもない。
まだ蕾すら付けてない。
知らないことは罪では無い。
が、それで取り返しのつかない事態を招くこともある。
知らない者は知っている者より大胆だったりする。
何か・誰かを敬う気持ちは価値を理解できてこそ湧き上がるから。
芹田の失敗を、何がどう違うのかその場で教えるべき、という人もいる。
言えば分かるはず。
理解できるはず。
似て非なる「理解する」と「分かる」。
100の言葉より一つの体験。
失敗して実感して反省する。
芹田の初めての賄いを見守る倫子と尾花。
出来たものへの反応は厳しいものだし、どこがダメか一切言わない。
考えろと突き放す。
未知数だけど、努力する気はある。
でなければあの二人のバイトのように辞めていたはず。
どうするか、どうなるか。
彼の、初めての試練だ。
芹田は魚屋でアルバイトを始める。
前向きだ。
その一方で江藤オーナーに大事なレシピを売ってしまう。
愚かすぎる。
そんな彼はまだ知らない。
その先にいつかぶち当たる「才能」の壁があることを。
尾花と丹後の会話のシーンはゾクゾクした。
「お前が育てた見習いが俺の武器になるかもしれない。」
丹後の横顔はむしろ苦悩に近い。
ふっと下を向いて2.3秒考えて
「楽しみだな。お前らがどんな料理を作るのか。」
ニヤリと笑って余裕を見せる尾花。
丹後は、たぶん繊細で生真面目だ。
問わずにはいられなかったのだろう。
祥平が俺の店に来るんだぞ?平気なのか?
本当はこう言いたかったのかも。
【祥平の本当の気持ちを知ってるのか?】
尾花には余計なお世話でしかない。
自分を、才能を信じている。
天才ゆえ自信満々だが孤独。
彼にしか見えない景色がある。
そんな尾花を救った祥平の賄いの味。
「お前の料理には人を動かす力がある。」
寧ろ祥平がライバルに育ってくれたら面白い。
もしかして自分と同じ景色を見れるかも知れない、と。
丹後もまた「才能」で苦悩する。
祥平は天才だと賞賛したけれど、表情は晴れない。
天才なら、自分は悩まないはずだ。
でも今は祥平が居る。
可能性は無限大。
二人でなら、壁を突破しもっと高みへ行けるかも。
尾花に倫子。
祥平には丹後。
尾花のライバルは丹後でなく祥平なのかも知れない。
レシピが盗まれたくらいで何よ?
レシピ通りに作っても同じ味にはならない。
尾花が萌絵に言った言葉を思い出す。
「だから世界中の料理人は必死になって努力するんだ。」
誰かが音楽と料理は似ているとおっしゃっていたそうだ。
同じ楽譜でも指揮者・演奏者でガラッと変わる。
上手い下手だけでなく個性でも変わる。
柿本はたぶん安易すぎたのだろう。
自分の味覚で判断する能力が低いのか、努力が足りないのか。
芹田はどうだろう?
違いに気づく味覚はある。
でも才能はまだ未知数だ。
彼は祥平になれるのか?
京野は今回もいい仕事をする。
彼が居なければ芹田はグランメゾンに戻れなかっただろう。
京野はグランメゾン東京の守護天使かもしれない。
彼は尾花を見守っている。
(見張ってるのかも知れないw)
倫子のお陰で尾花はエスコフィユ時代のように、一人で抱え込んで
自分で自分を追い詰めずに居られる。
料理だけに集中できる。
それを一番理解しているのも京野。
京野と倫子。
二人に支えられて尾花の天才は遺憾無く花開く。
相沢のアイデアがカンフル剤となり料理の発想を更新してくれる。
でも。
それは危ういバランスで成り立つ関係性かも知れない。
リンダとカンナ。
わざわざ履歴書を持ってきたカンナ。
エスコフィユの復活なんて許せない。
彼女の闇は、深い。
グランメゾン東京の初回から何度もモチーフとなっているテーマ。
尾花の作った手長エビのエチュべを食べた倫子が流す涙。
料理人の道を諦めギャルソンになった京野。
尾花への複雑な思いを胸に秘めた丹後。
インスピレーションでセンスのいいお菓子を作ってしまう萌絵には
料理の才能がある。
長い間下働きばかりしていた祥平の賄いは失意の尾花を救った。
「お前の料理には人を動かす力がある。」
「それは誰にでもあるものじゃない。」
芹田はそのどちらでもない。
まだ蕾すら付けてない。
知らないことは罪では無い。
が、それで取り返しのつかない事態を招くこともある。
知らない者は知っている者より大胆だったりする。
何か・誰かを敬う気持ちは価値を理解できてこそ湧き上がるから。
芹田の失敗を、何がどう違うのかその場で教えるべき、という人もいる。
言えば分かるはず。
理解できるはず。
似て非なる「理解する」と「分かる」。
100の言葉より一つの体験。
失敗して実感して反省する。
芹田の初めての賄いを見守る倫子と尾花。
出来たものへの反応は厳しいものだし、どこがダメか一切言わない。
考えろと突き放す。
未知数だけど、努力する気はある。
でなければあの二人のバイトのように辞めていたはず。
どうするか、どうなるか。
彼の、初めての試練だ。
芹田は魚屋でアルバイトを始める。
前向きだ。
その一方で江藤オーナーに大事なレシピを売ってしまう。
愚かすぎる。
そんな彼はまだ知らない。
その先にいつかぶち当たる「才能」の壁があることを。
尾花と丹後の会話のシーンはゾクゾクした。
「お前が育てた見習いが俺の武器になるかもしれない。」
丹後の横顔はむしろ苦悩に近い。
ふっと下を向いて2.3秒考えて
「楽しみだな。お前らがどんな料理を作るのか。」
ニヤリと笑って余裕を見せる尾花。
丹後は、たぶん繊細で生真面目だ。
問わずにはいられなかったのだろう。
祥平が俺の店に来るんだぞ?平気なのか?
本当はこう言いたかったのかも。
【祥平の本当の気持ちを知ってるのか?】
尾花には余計なお世話でしかない。
自分を、才能を信じている。
天才ゆえ自信満々だが孤独。
彼にしか見えない景色がある。
そんな尾花を救った祥平の賄いの味。
「お前の料理には人を動かす力がある。」
寧ろ祥平がライバルに育ってくれたら面白い。
もしかして自分と同じ景色を見れるかも知れない、と。
丹後もまた「才能」で苦悩する。
祥平は天才だと賞賛したけれど、表情は晴れない。
天才なら、自分は悩まないはずだ。
でも今は祥平が居る。
可能性は無限大。
二人でなら、壁を突破しもっと高みへ行けるかも。
尾花に倫子。
祥平には丹後。
尾花のライバルは丹後でなく祥平なのかも知れない。
レシピが盗まれたくらいで何よ?
レシピ通りに作っても同じ味にはならない。
尾花が萌絵に言った言葉を思い出す。
「だから世界中の料理人は必死になって努力するんだ。」
誰かが音楽と料理は似ているとおっしゃっていたそうだ。
同じ楽譜でも指揮者・演奏者でガラッと変わる。
上手い下手だけでなく個性でも変わる。
柿本はたぶん安易すぎたのだろう。
自分の味覚で判断する能力が低いのか、努力が足りないのか。
芹田はどうだろう?
違いに気づく味覚はある。
でも才能はまだ未知数だ。
彼は祥平になれるのか?
京野は今回もいい仕事をする。
彼が居なければ芹田はグランメゾンに戻れなかっただろう。
京野はグランメゾン東京の守護天使かもしれない。
彼は尾花を見守っている。
(見張ってるのかも知れないw)
倫子のお陰で尾花はエスコフィユ時代のように、一人で抱え込んで
自分で自分を追い詰めずに居られる。
料理だけに集中できる。
それを一番理解しているのも京野。
京野と倫子。
二人に支えられて尾花の天才は遺憾無く花開く。
相沢のアイデアがカンフル剤となり料理の発想を更新してくれる。
でも。
それは危ういバランスで成り立つ関係性かも知れない。
リンダとカンナ。
わざわざ履歴書を持ってきたカンナ。
エスコフィユの復活なんて許せない。
彼女の闇は、深い。
グランメゾン東京 5
2019年11月19日 キムラさん コメント (4)チラチラと小雪の舞う寒い日。
エスコフィユの裏口のドアの側に男が思いつめた顔で座り込む。
その横顔。
カメラが正面に回って大写しになった彼の頬にスーッと透明なものが流れ落ちる。
傷心の尾花の悔し泣きのシーンなのに思わず見惚れてしまった。
どうしてこんなに無垢な少年の顔して泣けるのだろう?
背中を丸めてぎゅっと自分を抱きしめるようにして。
声をあげることも無しに、言葉にならない感情の塊が見ている私の胸に
ストンと落ちてきた感じがした。
カメラが切り替わるとエスコフィユの食堂。
京野の目も潤んでいる。
三つ星を獲れなかった悔しさ以上に、尾花の涙が彼には見えている。
今にも泣き出しそうな相沢。
そこへ祥平の作った賄いが届く。
熱々のチーズ。マッシュポテト。香ばしい匂い。
切り分けて皿に乗せ、裏口のドアを開け、そっと差し出す。
泣いている男に。
舞い散る小雪、濡れて冷たい頬も、温かい一皿がそっと溶かしてくれる。
「お前の賄いで救われた。」と尾花は言った。
同じレシピ、仕上げにちょっとだけ手を加えた。
一口食べて、祥平には全てが理解できた。
ピーナッツオイル。
「今度はお前が賄いを食べて救われる番だ。」と尾花は告げたのだ。
分かっている。
あれは不幸な事故だったこと。
お前の心が凍えてること。
俺の賄いを食べていけ。
心に刺さった氷を溶かしていけ。
と尾花は料理人らしく言葉でなく料理で伝えたのだ。
舞い戻ってきた尾花に祥平は殊更にキツく当たった。
落ちぶれた料理人。あんな人。あんなクズ。
拒否されて尾花は少し悲しそうだったけれど、追及しなかった。
事故の直後、雲丹を味見した時分かったのだろう。
仕上げのオイルは祥平の担当だったから。
祥平が自分を頑なに拒否する理由。
合わせる顔がないのと、悪いのは僕じゃない!がせめぎ合う。
忘れたい。忘れたふり。忘れたつもり。
尾花の顔を見た瞬間わかったはず。
いつか事実と向き合う日がくるだろう、と。
思い出の中の祥平と今の尾花が同じレシピで作るアッシパルマンティエ。
二人の姿がオーバーラップして3年前といまが料理で繋がる。
尾花が仕上げにピーナッツオイルをふりかけ、それを口にした時、
祥平は自分が最初から赦されていたのを知る。
彼は解放され、尾花の手を離れてフレンチの道へと戻って行く。
初回で倫子が店の味を受け継ぐことを「血筋」と言ったのが印象的で。
祥平は尾花の血筋を受け継ぐ者。
師弟関係はある意味、親子関係とも受け取れる。
その祥平がgakuへ行く。
丹後の血筋に尾花の血が混じることになる。
尾花は自分の息子(であり眷族)と刃を交わすことになる。
それを「おもしれぇことになってきた。」と呟く彼は、骨の髄まで料理人。
京野の尾花への想いの深さと激しさ。
尾花の心の内を細やかに読み取る彼は身を挺して店を守ろうとする。
「この店にはお前が必要なんだ!!」
お前が居るからこの店を守るんだ。と宣言したようなもの。
「それはお前だろう!」と返した尾花のニュアンスはちょっと違うかも知れない。
倫子に三つ星を、が尾花の目標だからだ。
その為には京野が絶対に必要だ。
京野ほど自分のことを理解し、補ってくれる存在はいないから。
祥平が血を分けた息子なら、京野は内助の功。
京野と尾花はある意味運命共同体 笑
・・・そんな男二人の暑苦しいやりとりを
「オーナーは私よ!」
「美味しいもの作って食べていただく。何も間違ってないよね!?」
と啖呵を切る倫子の格好良さ。
過去という投網にかかって雁字搦め、身動き取れない男たちを
その一喝で自由にする。
だって私は人生賭けてるんだもの、この店に。
女は今を生きる。
リンダもまた今を生きる女だ。
恋人だった尾花が自分の書いたコラムで窮地に立たされているのに
「これで潰れるならその程度の店だったのよ。」
さらりと言ってのける。
自らの手で過去を断ち、切り捨てたいのかもしれない。
グランメゾン東京はTVドラマの底力を見せつける作品だと思う。
演出、映像、脚本、音楽。
どれを取っても素晴らしい。
フレンチの有名レストランが全面協力するのも頷ける。
スタッフの本気度が桁違いだと思う。
メインの役者さんが全員、主役を張れる人ばかり。
だからこそ、複雑な伏線を張って細やかな演出が可能になる。
セリフだけじゃ伝わらない、お芝居だからこそ可能な表現って確実にあって、
成功するかどうかは役者の身体能力にかかっていると思うから。
3年前の尾花夏樹の苦境を木村拓哉と重ねてしまう人が多い。
SNSでなんども見た。
王道のキムタク、という声も目にするが、それはつまり木村拓哉が尾花夏樹と
分かち難く融合して見えるということ。
そう、いつものように。
エスコフィユの裏口のドアの側に男が思いつめた顔で座り込む。
その横顔。
カメラが正面に回って大写しになった彼の頬にスーッと透明なものが流れ落ちる。
傷心の尾花の悔し泣きのシーンなのに思わず見惚れてしまった。
どうしてこんなに無垢な少年の顔して泣けるのだろう?
背中を丸めてぎゅっと自分を抱きしめるようにして。
声をあげることも無しに、言葉にならない感情の塊が見ている私の胸に
ストンと落ちてきた感じがした。
カメラが切り替わるとエスコフィユの食堂。
京野の目も潤んでいる。
三つ星を獲れなかった悔しさ以上に、尾花の涙が彼には見えている。
今にも泣き出しそうな相沢。
そこへ祥平の作った賄いが届く。
熱々のチーズ。マッシュポテト。香ばしい匂い。
切り分けて皿に乗せ、裏口のドアを開け、そっと差し出す。
泣いている男に。
舞い散る小雪、濡れて冷たい頬も、温かい一皿がそっと溶かしてくれる。
「お前の賄いで救われた。」と尾花は言った。
同じレシピ、仕上げにちょっとだけ手を加えた。
一口食べて、祥平には全てが理解できた。
ピーナッツオイル。
「今度はお前が賄いを食べて救われる番だ。」と尾花は告げたのだ。
分かっている。
あれは不幸な事故だったこと。
お前の心が凍えてること。
俺の賄いを食べていけ。
心に刺さった氷を溶かしていけ。
と尾花は料理人らしく言葉でなく料理で伝えたのだ。
舞い戻ってきた尾花に祥平は殊更にキツく当たった。
落ちぶれた料理人。あんな人。あんなクズ。
拒否されて尾花は少し悲しそうだったけれど、追及しなかった。
事故の直後、雲丹を味見した時分かったのだろう。
仕上げのオイルは祥平の担当だったから。
祥平が自分を頑なに拒否する理由。
合わせる顔がないのと、悪いのは僕じゃない!がせめぎ合う。
忘れたい。忘れたふり。忘れたつもり。
尾花の顔を見た瞬間わかったはず。
いつか事実と向き合う日がくるだろう、と。
思い出の中の祥平と今の尾花が同じレシピで作るアッシパルマンティエ。
二人の姿がオーバーラップして3年前といまが料理で繋がる。
尾花が仕上げにピーナッツオイルをふりかけ、それを口にした時、
祥平は自分が最初から赦されていたのを知る。
彼は解放され、尾花の手を離れてフレンチの道へと戻って行く。
初回で倫子が店の味を受け継ぐことを「血筋」と言ったのが印象的で。
祥平は尾花の血筋を受け継ぐ者。
師弟関係はある意味、親子関係とも受け取れる。
その祥平がgakuへ行く。
丹後の血筋に尾花の血が混じることになる。
尾花は自分の息子(であり眷族)と刃を交わすことになる。
それを「おもしれぇことになってきた。」と呟く彼は、骨の髄まで料理人。
京野の尾花への想いの深さと激しさ。
尾花の心の内を細やかに読み取る彼は身を挺して店を守ろうとする。
「この店にはお前が必要なんだ!!」
お前が居るからこの店を守るんだ。と宣言したようなもの。
「それはお前だろう!」と返した尾花のニュアンスはちょっと違うかも知れない。
倫子に三つ星を、が尾花の目標だからだ。
その為には京野が絶対に必要だ。
京野ほど自分のことを理解し、補ってくれる存在はいないから。
祥平が血を分けた息子なら、京野は内助の功。
京野と尾花はある意味運命共同体 笑
・・・そんな男二人の暑苦しいやりとりを
「オーナーは私よ!」
「美味しいもの作って食べていただく。何も間違ってないよね!?」
と啖呵を切る倫子の格好良さ。
過去という投網にかかって雁字搦め、身動き取れない男たちを
その一喝で自由にする。
だって私は人生賭けてるんだもの、この店に。
女は今を生きる。
リンダもまた今を生きる女だ。
恋人だった尾花が自分の書いたコラムで窮地に立たされているのに
「これで潰れるならその程度の店だったのよ。」
さらりと言ってのける。
自らの手で過去を断ち、切り捨てたいのかもしれない。
グランメゾン東京はTVドラマの底力を見せつける作品だと思う。
演出、映像、脚本、音楽。
どれを取っても素晴らしい。
フレンチの有名レストランが全面協力するのも頷ける。
スタッフの本気度が桁違いだと思う。
メインの役者さんが全員、主役を張れる人ばかり。
だからこそ、複雑な伏線を張って細やかな演出が可能になる。
セリフだけじゃ伝わらない、お芝居だからこそ可能な表現って確実にあって、
成功するかどうかは役者の身体能力にかかっていると思うから。
3年前の尾花夏樹の苦境を木村拓哉と重ねてしまう人が多い。
SNSでなんども見た。
王道のキムタク、という声も目にするが、それはつまり木村拓哉が尾花夏樹と
分かち難く融合して見えるということ。
そう、いつものように。
努力しようがしまいがそんなの関係ないもんな。
うまいもんさえ作れれば。
だけど それがなかなかできないから、
世界中の料理人は必死になって料理のことを考えてる。
才能とセンスがあれば料理なんてすぐできる、と言い放った萌絵に
この尾花の返し。
これが最後に
どれだけ努力したかなんてお客様には関係ない。
お客様を喜ばせたか。それが全て。
へと見事に繋がっていく気持ち良さ。
そう、これなんだよね。
グランメゾン東京の、毎回スカッとしてやる気が湧いてくるあの感じ。
この尾花の言葉はグランメゾン東京というドラマに関わっている人たち全員への
エールというか決意というか指針でもある。
そして一見当たり前すぎてステレオタイプになりそうな言葉の一つ一つが
絶対的な強さとリアリティでこちらへ伝わってくるのはたぶん
木村拓哉の口から、全身から語られているから。
彼自身、インタビューで同じことを言っていた。
「それは見てくださる方は知らなくていいことなので。」
「そんな姿、求められてないでしょう?」と。
彼の、エンタメと向き合う姿勢とピタリと重なる。
お客様を喜ばせたか。それが全て。
回を重ねるごとに愛おしさが増すメンバーたち。
万能のギャルソン、京野。
とても賢くて人を「その気」にさせる彼は、優しくて強か。
ムードメーカーの相沢。
時折挟むフランス語がいいスパイスになっている。
雲丹のグラニテを味わった平古と拳を交わすシーンはジーンとした。
そして、平古。
「尾花にはお前の力が必要なんだ。」と京野の言葉に心が揺れる。
そんなはずない。
あの人は俺を一度も評価してくれなかった。
でも・・・
尾花がこちらへ歩いてくる。
その目線がチラリと自分を捉える。
あの尾花が?
と
あの尾花さんが!
の、二つの相反する感情が交互に現れる。
半信半疑でその目線を受け止めた彼…
尾花が目を逸らし萌絵に声をかけた瞬間の心の内は。
このシーンの平古=玉森くんのお芝居、素晴らしかったなぁ。
前回の鹿肉を食べるところ同様、瞬間ごとに揺れ動く感情が見事に。
ああいうのは理屈じゃないんですよね。
萌絵のセリフじゃないですが、出来る人には出来てしまう。
ただし才能とセンスだけでは続かない。
尾花=木村の言う通り、彼もまた努力を重ねる人なんでしょうね。
京野には分かってたんでしょうね、尾花の本当の気持ち。
「やれやれ。」って顔に描いてあった 笑
「面倒くさい奴だから。」とも言ってたし。
だから萌絵のモンブランの話をわざわざ教えて、勝負してみろとけしかける。
いや、平古も結構面倒臭いんだけど 笑
尾花に心酔してるからこそ、一歩を踏み出せない。
夢中になって何もかも投げ出してのめり込むと分かっているから、かも。
京野から見たらきっと二人は似た者同士。
だからこそ、一度組めば最強のコンビになるはず。
尾花も平古も否定してたけど、二人は紛れもなく師弟関係にある。
尾花イズムとでも言うべきもの、料理のセンス。向き合う態度。
3話で別々の場所で鹿肉を調理する倫子と尾花がシンクロする見せ方、
4話では平古と尾花で同じ見せ方が使われてましたけど、状況は少し違う。
倫子は尾花のやり方をそのまま引き継いだけれど、
平古は打ち合わせ無しで、尾花と全く同じ発想でモンブランに挑む。
萌絵のモンブランの弱点を指摘する言葉も全く同じ。
言葉でなく、目の前でやってみせる必要すらない。
ただ素材を前に必死に考えた結果、同じ結果にたどり着く。
平古翔平が受け継いだのは尾花夏樹のスピリットそのもの。
・・・なんと胸熱な展開でしょう。
完成したモンブラン。
焼き栗の香ばしさを放つマロンクリームなんて食べた事がない。
味わってみたい…。
そして鼻っぱしをへし折られた形の萌絵だけど、
倫子が彼女のモンブランを選んだのはまさに彼女の武器:センスによるもの。
リンダが褒めちぎってたのも「魅せ方」だったのだから。
師弟対決は弟子チームの勝利。
勝因は、新しいセンス。
京野と相沢も話してたよね。彼女のセンスは尾花にはないと。
作品を即座にインスタにアップして反応を探る発想、大人チームにはないし。
前回の相沢が家庭と仕事の両立というまさに今の働き方のテーマを提示し、
萌絵はSNSを使った「映える」パティスリーという新鮮な風を吹き込む。
天才料理人の尾花ですら、変化して行くしかない。
でも、時代の風を感じて変わって行くことは悪いことではない。
変化といえば、倫子の尾花への態度が微妙に変わった気がしたんですけど。
仕掛けたのはリンダ。
超絶プロポーションの彼女がスーパーモデルよろしく(実際そうなんだけど)
倫子の前に立ち、女の目で女を値踏みする目線。(威嚇ともいう)
これが尾花の昔の恋人か。
(相沢曰く尾花は「ただの女好きの料理人」らしいけど 笑)
と、リンダの目線を跳ね返すような倫子の目線。
あの瞬間、倫子は改めて尾花を男として認識した気がする。
「ずいぶんあの女(ひと)を買ってるのね?」って、
リンダも倫子も尾花に言ってるんですよね。
尾花は・・・どう思っているのか。
あの時点では脳内には料理と平古の事しかなさそうですけど。
萌絵の失礼な態度への反応も微妙に女目線が入ってる感じで面白かったな。
「うち、厳しいわよ?」からの微笑みはいつもの倫子姐さん!でしたね。
「雲丹、出とるやないかい!!」
がトレンドにまでなったけど、
ああいう盛り上がり方ができるのはドラマが浸透してる証拠。
見てないと笑えないですもん。
また江藤オーナーが絵に描いたような悪代官っぷりで 笑。
ここで思い出すのが初回冒頭の教会の絵、「最後の晩餐」
これは私の血。これは私の肉。とイエスは弟子に語りかけ、
「お前は行ってやるべきことをしなさい。」とユダを行かせた。
金と引き換えにユダはピラートーにキリストを売った。
10万円の封筒を受け取る芹田はユダなのか?
尾花の態度にムカついたのか?
リンダは三年前の事件のことをコラムに書いた。
尾花、もう少し気を使っとけば良かったのに!!とツッコミ入れたくなりましたが
いつまでも隠し通す事はできないし、膿を出し切らないと傷は塞がらない。
それにリンダが私情だけであれを書くはずないですもん。
gakuで丹後に粉をかけるリンダ。
犯人は誰だ?
尾花に一番嫉妬している人間。
丹後か?それとも京野?
いや、ここまで手の込んだ脚本ですから全てがミスリードの罠かも。
しかし次回5話ですよ。
全9話で今のペースで三つ星は難しいんじゃないでしょうか?
いきなり「数年後」にジャンプする展開なんて無さそうですし。
個人的にアレ、いいなぁ。と思ってるのが尾花のナイフケース。
クルクルっと広げてシャキーン!ってナイフを取り出すのがカッコいい。
四六時中料理のことを考えている尾花らしい。
いつも手元にあるナイフたち。
いつでもどこでもすぐに料理に取りかかれる。
さすらいのガンマンならぬ、さすらいの料理人。
いや、むしろ武士の刀か。
尾花夏樹のストイックな拘りも自分を律する態度も。
とすると、今の彼は浪人の身。
キリストで浪人な料理人の尾花夏樹は、果たしてグランメゾン東京を
終の住処に選ぶのだろうか。
うまいもんさえ作れれば。
だけど それがなかなかできないから、
世界中の料理人は必死になって料理のことを考えてる。
才能とセンスがあれば料理なんてすぐできる、と言い放った萌絵に
この尾花の返し。
これが最後に
どれだけ努力したかなんてお客様には関係ない。
お客様を喜ばせたか。それが全て。
へと見事に繋がっていく気持ち良さ。
そう、これなんだよね。
グランメゾン東京の、毎回スカッとしてやる気が湧いてくるあの感じ。
この尾花の言葉はグランメゾン東京というドラマに関わっている人たち全員への
エールというか決意というか指針でもある。
そして一見当たり前すぎてステレオタイプになりそうな言葉の一つ一つが
絶対的な強さとリアリティでこちらへ伝わってくるのはたぶん
木村拓哉の口から、全身から語られているから。
彼自身、インタビューで同じことを言っていた。
「それは見てくださる方は知らなくていいことなので。」
「そんな姿、求められてないでしょう?」と。
彼の、エンタメと向き合う姿勢とピタリと重なる。
お客様を喜ばせたか。それが全て。
回を重ねるごとに愛おしさが増すメンバーたち。
万能のギャルソン、京野。
とても賢くて人を「その気」にさせる彼は、優しくて強か。
ムードメーカーの相沢。
時折挟むフランス語がいいスパイスになっている。
雲丹のグラニテを味わった平古と拳を交わすシーンはジーンとした。
そして、平古。
「尾花にはお前の力が必要なんだ。」と京野の言葉に心が揺れる。
そんなはずない。
あの人は俺を一度も評価してくれなかった。
でも・・・
尾花がこちらへ歩いてくる。
その目線がチラリと自分を捉える。
あの尾花が?
と
あの尾花さんが!
の、二つの相反する感情が交互に現れる。
半信半疑でその目線を受け止めた彼…
尾花が目を逸らし萌絵に声をかけた瞬間の心の内は。
このシーンの平古=玉森くんのお芝居、素晴らしかったなぁ。
前回の鹿肉を食べるところ同様、瞬間ごとに揺れ動く感情が見事に。
ああいうのは理屈じゃないんですよね。
萌絵のセリフじゃないですが、出来る人には出来てしまう。
ただし才能とセンスだけでは続かない。
尾花=木村の言う通り、彼もまた努力を重ねる人なんでしょうね。
京野には分かってたんでしょうね、尾花の本当の気持ち。
「やれやれ。」って顔に描いてあった 笑
「面倒くさい奴だから。」とも言ってたし。
だから萌絵のモンブランの話をわざわざ教えて、勝負してみろとけしかける。
いや、平古も結構面倒臭いんだけど 笑
尾花に心酔してるからこそ、一歩を踏み出せない。
夢中になって何もかも投げ出してのめり込むと分かっているから、かも。
京野から見たらきっと二人は似た者同士。
だからこそ、一度組めば最強のコンビになるはず。
尾花も平古も否定してたけど、二人は紛れもなく師弟関係にある。
尾花イズムとでも言うべきもの、料理のセンス。向き合う態度。
3話で別々の場所で鹿肉を調理する倫子と尾花がシンクロする見せ方、
4話では平古と尾花で同じ見せ方が使われてましたけど、状況は少し違う。
倫子は尾花のやり方をそのまま引き継いだけれど、
平古は打ち合わせ無しで、尾花と全く同じ発想でモンブランに挑む。
萌絵のモンブランの弱点を指摘する言葉も全く同じ。
言葉でなく、目の前でやってみせる必要すらない。
ただ素材を前に必死に考えた結果、同じ結果にたどり着く。
平古翔平が受け継いだのは尾花夏樹のスピリットそのもの。
・・・なんと胸熱な展開でしょう。
完成したモンブラン。
焼き栗の香ばしさを放つマロンクリームなんて食べた事がない。
味わってみたい…。
そして鼻っぱしをへし折られた形の萌絵だけど、
倫子が彼女のモンブランを選んだのはまさに彼女の武器:センスによるもの。
リンダが褒めちぎってたのも「魅せ方」だったのだから。
師弟対決は弟子チームの勝利。
勝因は、新しいセンス。
京野と相沢も話してたよね。彼女のセンスは尾花にはないと。
作品を即座にインスタにアップして反応を探る発想、大人チームにはないし。
前回の相沢が家庭と仕事の両立というまさに今の働き方のテーマを提示し、
萌絵はSNSを使った「映える」パティスリーという新鮮な風を吹き込む。
天才料理人の尾花ですら、変化して行くしかない。
でも、時代の風を感じて変わって行くことは悪いことではない。
変化といえば、倫子の尾花への態度が微妙に変わった気がしたんですけど。
仕掛けたのはリンダ。
超絶プロポーションの彼女がスーパーモデルよろしく(実際そうなんだけど)
倫子の前に立ち、女の目で女を値踏みする目線。(威嚇ともいう)
これが尾花の昔の恋人か。
(相沢曰く尾花は「ただの女好きの料理人」らしいけど 笑)
と、リンダの目線を跳ね返すような倫子の目線。
あの瞬間、倫子は改めて尾花を男として認識した気がする。
「ずいぶんあの女(ひと)を買ってるのね?」って、
リンダも倫子も尾花に言ってるんですよね。
尾花は・・・どう思っているのか。
あの時点では脳内には料理と平古の事しかなさそうですけど。
萌絵の失礼な態度への反応も微妙に女目線が入ってる感じで面白かったな。
「うち、厳しいわよ?」からの微笑みはいつもの倫子姐さん!でしたね。
「雲丹、出とるやないかい!!」
がトレンドにまでなったけど、
ああいう盛り上がり方ができるのはドラマが浸透してる証拠。
見てないと笑えないですもん。
また江藤オーナーが絵に描いたような悪代官っぷりで 笑。
ここで思い出すのが初回冒頭の教会の絵、「最後の晩餐」
これは私の血。これは私の肉。とイエスは弟子に語りかけ、
「お前は行ってやるべきことをしなさい。」とユダを行かせた。
金と引き換えにユダはピラートーにキリストを売った。
10万円の封筒を受け取る芹田はユダなのか?
尾花の態度にムカついたのか?
リンダは三年前の事件のことをコラムに書いた。
尾花、もう少し気を使っとけば良かったのに!!とツッコミ入れたくなりましたが
いつまでも隠し通す事はできないし、膿を出し切らないと傷は塞がらない。
それにリンダが私情だけであれを書くはずないですもん。
gakuで丹後に粉をかけるリンダ。
犯人は誰だ?
尾花に一番嫉妬している人間。
丹後か?それとも京野?
いや、ここまで手の込んだ脚本ですから全てがミスリードの罠かも。
しかし次回5話ですよ。
全9話で今のペースで三つ星は難しいんじゃないでしょうか?
いきなり「数年後」にジャンプする展開なんて無さそうですし。
個人的にアレ、いいなぁ。と思ってるのが尾花のナイフケース。
クルクルっと広げてシャキーン!ってナイフを取り出すのがカッコいい。
四六時中料理のことを考えている尾花らしい。
いつも手元にあるナイフたち。
いつでもどこでもすぐに料理に取りかかれる。
さすらいのガンマンならぬ、さすらいの料理人。
いや、むしろ武士の刀か。
尾花夏樹のストイックな拘りも自分を律する態度も。
とすると、今の彼は浪人の身。
キリストで浪人な料理人の尾花夏樹は、果たしてグランメゾン東京を
終の住処に選ぶのだろうか。
グランメゾン東京 3
2019年11月7日 キムラさん コメント (6)「俺の取ってきた命を最高の料理にして欲しい。 」
「頼んだぞ。」
「生きとし生けるもの、いただいた命は余すところなく美味しくいただく。
そのために料理人がいるんです。」
もう何も言うことはないですよね。
その通りです。
食べる、は、命をいただくこと。
「食と命」が3話の大きなテーマでした。
ジビエ( gibier)=食材として捕獲された野生の鳥獣を指す。
*wikipediaより引用
野山で過酷な生を生き抜いたケモノ。
その肉を食す時、命を頂いているのを意識する。
食べ慣れた牛・豚・鶏と明らかに違う風味。
その肉が皿に乗るまで、どれだけたくさんの人の手が加わったのか。
一皿の起源を遡る。
こだわりのジビエ料理人は猟師でもある。
銃を使わず罠で生け捕り、山で解体せず家に連れてくる。
(持ってくる、ではなく連れてくる、の言い方も印象的)
作業場に神棚をしつらえ、山の神に手を合わせる。
彼のジビエ料理は、あの尾花がひっくり返りそうになる味。
最高に美味しい料理で提供するのが礼儀。
冒頭のセリフを聞いた時、命への畏敬と尊敬の念が伝わってきて
じわっと涙が溢れました。
その思いの重さを、礼儀を尽くして受け止め、料理に生かす。
尾花の言葉もまた、一点の曇りもない。
gakuの凝りに凝った一皿。
まさに皿の上のアート。
パッと見ではどんな料理なのか想像すらつかない。
ここでは極上のロース肉はあくまでも素材。
シェフはアーティスト。
素材の良さを生かす手立てはちゃんとある。
が、店としてのコンセプト、驚きと意外性を優先させる。
グランメゾン東京の一皿。
直球で肉を主役に持ってくる。
でも味付けは斬新で新鮮。
ソースの野生的な風味の元が鹿の生き血だと審査員は気づいたろうか?
ドラマを見ている私はその一皿に辿り着く長く困難な道のりを知っている。
この一皿はこうでなければならなかったんだなと心から納得する。
食べてみたい。どんな歯ごたえで味わいで香りなんだろう?と。
「お前にはこの料理のすごさがわかるはずだ。」
京野から受け取ったロティを食べる平古。
パリ時代の尾花の完璧主義を知っているからこそ、あの味に辿り着くまでの
困難は容易に想像できる。
良いロースが手に入らなかった事実もわかっている。
モモ肉を用意した彼だから自分が関わった料理でもある。
チームワークの力。
それぞれが個性を生かし、諦めず全力で取り組むことの尊さ。
色んな気持ちや知恵が詰まっている。
今の自分と比較する。
様々な思いが極上の味わいと共に口の中に広がり、喜びと切なさと愛おしさが
心をかき乱し、涙になって溢れる。胸が痛くなるような表情。
尾花と倫子のチーム、その味に心惹かれている。
借入金も鹿肉も平古無しでは成立しなかったから、尚更だ。
しかし彼には彼の立場がある。
パティシエの萌絵、画鋲娘wの美優との関係も気になります。
ジビエ対決。
勝利したのは極上の素材を使い(恐らくは)ロビー活動で先手を打ったgaku。
しかし丹後シェフのプライドは大きく傷ついた。
知恵を出し合い試行錯誤しながら仕上げたグラメチームと対照的。
こういうところも見せ方めちゃくちゃ上手いんだよなぁ。
善悪といった単純な構図になりそうでならないのも好き。
ツイッターで拝見したフレンチ料理界隈の方のお話によると
丹後シェフとオーナーのような関係性は現実でも良くあるそうです。
対照的と言えば尾花と倫子。
星を獲るなら人生の全てを料理に捧げろのスタンスの尾花。
その彼に倫子が言う。
「自分の家族や店の仲間を幸せに出来ない人がお客さんを幸せにできるはずない」
尾花は納得できない顔をしてましたけど…本当は分かっていると思う。
アメリの寂しそうな姿を見逃さない細やかさが彼にはあるから。
アメリに話しかける時の顔がね、ほんと、きゅんとなっちゃいました。
まるで少年みたいなんだもん。
バラの実を「アメリも食べる?」って。
子供には酸っぱいし渋いだろう!
と突っ込む前に「大人の味だもんな。」って言ってましたけど 笑
相沢のお母様に起床時間を聞いてたから何かあるなと思ったけど。
超ハイレベルのキャラ弁!
二つ星レストランのシェフはキャラ弁も完璧な出来栄えw
寝る間も惜しんでメニュー開発に全力を注ぎつつどこにそんな余裕が?
いや、でも正にこれは「彼の作る料理には人を動かす力がある」ですよ。
食べる人の顔を想像せずに作ったものにそんな力はないはず。
尾花は素直じゃないのよね。
気持ちと建前の違いを自分を厳しく律することで折り合いをつけてきた。
正論でぶつかる倫子に反発はするけど、本音はホッとしてる気がする。
今までのやり方じゃダメなのは分かってるけど、自分じゃ変えられない。
そこを指摘されて受け入れて、尾花自身も自由になっていくんじゃないかな。
相沢が定時上がりの働き方を選択できたの、本当によかった。
古臭い価値観に迎合するよりよっぽど現実的で前向きだから。
コンテストの当日、調理は倫子に任せて一人、根岸の元へ向かった尾花。
倫子と尾花が同じ料理を全く違う場所で作る。
二人の姿がシンクロしていく見せ方もお見事でした。
コンテストの結果、尾花には分かってた気がします。
gakuのオーナーが丹後に言い放った言葉がまさにで、
「お客はシェフに着くんやない。店に着くんや。」
グランメゾン東京は未だオープンすらしていない。
「二つ星レストランのシェフが作った料理」のイメージはやはり強烈。
だから、「俺にはこっちの方が大事なんで。」になったのかなと。
尾花が目指すのは三つ星のフレンチレストラン。
コンテストに優勝するよりも最高のジビエや山の幸を安定して手に入れる
パイプ作りの方がよっぽど重要だったんでしょうね。
わざわざあの日に行かなくても・・・ではありますが、いやいや。
根岸氏を説得するのにはコンテスト当日こそがベスト。
「コンテストで優勝する為じゃなかったのか?」って言ってましたもんね。
さすがです。
倫子曰く「人誑しのおじさん」尾花の面目躍如w
白い皿に盛られた一切れの肉。
小洒落た料理にしやがって、と言いつつ口にした時の驚きと感動。
ソースの味を確かめる。「鹿の血か?」
あの時の尾花の顔。
まさにしてやったり!ですよ。
狡い男。
でも、その前提には職人とその仕事への敬意がある。
自分もまた根岸と同じ種類の人間だから。
自分の仕事を心から愛せる人は他人のそれをも尊重できる。
そのスタンスが伝わったからこそ実現した未来への一歩。
「最高のチームになりそうだな。」と呟く京野の顔に一瞬陰が差したような。
気のせいかしら。
彼が倫子を激励する言葉もジーンとしました。
「自分を信じられない料理人に星は獲れません。」
倫子と京野の距離感って男女じゃなくチームメイトのそれですよね。
だから相沢が京野に言った一言がとても気になる。
「倫子さんのこと気にしてるんだ?」
京野をモヤモヤさせているのは尾花か倫子か。
京野は尾花の才能と人として愛している。って沢村さん語ってましたよね?
その気持ちに尾花は気づいているのか、いないのか。
そしてパリからやってきた超絶完璧プロポーションの編集長。
やっぱりねな尾花の元恋人。
尾花の動揺っぷりが分かりやすすぎて可笑しい。
京野の表情はよく見えなかったけど(残念w)
手強そうなのはビシバシ伝わってきました。
さすが、パリコレモデルの冨永愛。最高です。
Bienvenue au diner!
ようこそ、ディナーへ。
そしてウィンク。
女に手が早い設定の片鱗がほんのちょっと、見えた気がしました。
「頼んだぞ。」
「生きとし生けるもの、いただいた命は余すところなく美味しくいただく。
そのために料理人がいるんです。」
もう何も言うことはないですよね。
その通りです。
食べる、は、命をいただくこと。
「食と命」が3話の大きなテーマでした。
ジビエ( gibier)=食材として捕獲された野生の鳥獣を指す。
*wikipediaより引用
野山で過酷な生を生き抜いたケモノ。
その肉を食す時、命を頂いているのを意識する。
食べ慣れた牛・豚・鶏と明らかに違う風味。
その肉が皿に乗るまで、どれだけたくさんの人の手が加わったのか。
一皿の起源を遡る。
こだわりのジビエ料理人は猟師でもある。
銃を使わず罠で生け捕り、山で解体せず家に連れてくる。
(持ってくる、ではなく連れてくる、の言い方も印象的)
作業場に神棚をしつらえ、山の神に手を合わせる。
彼のジビエ料理は、あの尾花がひっくり返りそうになる味。
最高に美味しい料理で提供するのが礼儀。
冒頭のセリフを聞いた時、命への畏敬と尊敬の念が伝わってきて
じわっと涙が溢れました。
その思いの重さを、礼儀を尽くして受け止め、料理に生かす。
尾花の言葉もまた、一点の曇りもない。
gakuの凝りに凝った一皿。
まさに皿の上のアート。
パッと見ではどんな料理なのか想像すらつかない。
ここでは極上のロース肉はあくまでも素材。
シェフはアーティスト。
素材の良さを生かす手立てはちゃんとある。
が、店としてのコンセプト、驚きと意外性を優先させる。
グランメゾン東京の一皿。
直球で肉を主役に持ってくる。
でも味付けは斬新で新鮮。
ソースの野生的な風味の元が鹿の生き血だと審査員は気づいたろうか?
ドラマを見ている私はその一皿に辿り着く長く困難な道のりを知っている。
この一皿はこうでなければならなかったんだなと心から納得する。
食べてみたい。どんな歯ごたえで味わいで香りなんだろう?と。
「お前にはこの料理のすごさがわかるはずだ。」
京野から受け取ったロティを食べる平古。
パリ時代の尾花の完璧主義を知っているからこそ、あの味に辿り着くまでの
困難は容易に想像できる。
良いロースが手に入らなかった事実もわかっている。
モモ肉を用意した彼だから自分が関わった料理でもある。
チームワークの力。
それぞれが個性を生かし、諦めず全力で取り組むことの尊さ。
色んな気持ちや知恵が詰まっている。
今の自分と比較する。
様々な思いが極上の味わいと共に口の中に広がり、喜びと切なさと愛おしさが
心をかき乱し、涙になって溢れる。胸が痛くなるような表情。
尾花と倫子のチーム、その味に心惹かれている。
借入金も鹿肉も平古無しでは成立しなかったから、尚更だ。
しかし彼には彼の立場がある。
パティシエの萌絵、画鋲娘wの美優との関係も気になります。
ジビエ対決。
勝利したのは極上の素材を使い(恐らくは)ロビー活動で先手を打ったgaku。
しかし丹後シェフのプライドは大きく傷ついた。
知恵を出し合い試行錯誤しながら仕上げたグラメチームと対照的。
こういうところも見せ方めちゃくちゃ上手いんだよなぁ。
善悪といった単純な構図になりそうでならないのも好き。
ツイッターで拝見したフレンチ料理界隈の方のお話によると
丹後シェフとオーナーのような関係性は現実でも良くあるそうです。
対照的と言えば尾花と倫子。
星を獲るなら人生の全てを料理に捧げろのスタンスの尾花。
その彼に倫子が言う。
「自分の家族や店の仲間を幸せに出来ない人がお客さんを幸せにできるはずない」
尾花は納得できない顔をしてましたけど…本当は分かっていると思う。
アメリの寂しそうな姿を見逃さない細やかさが彼にはあるから。
アメリに話しかける時の顔がね、ほんと、きゅんとなっちゃいました。
まるで少年みたいなんだもん。
バラの実を「アメリも食べる?」って。
子供には酸っぱいし渋いだろう!
と突っ込む前に「大人の味だもんな。」って言ってましたけど 笑
相沢のお母様に起床時間を聞いてたから何かあるなと思ったけど。
超ハイレベルのキャラ弁!
二つ星レストランのシェフはキャラ弁も完璧な出来栄えw
寝る間も惜しんでメニュー開発に全力を注ぎつつどこにそんな余裕が?
いや、でも正にこれは「彼の作る料理には人を動かす力がある」ですよ。
食べる人の顔を想像せずに作ったものにそんな力はないはず。
尾花は素直じゃないのよね。
気持ちと建前の違いを自分を厳しく律することで折り合いをつけてきた。
正論でぶつかる倫子に反発はするけど、本音はホッとしてる気がする。
今までのやり方じゃダメなのは分かってるけど、自分じゃ変えられない。
そこを指摘されて受け入れて、尾花自身も自由になっていくんじゃないかな。
相沢が定時上がりの働き方を選択できたの、本当によかった。
古臭い価値観に迎合するよりよっぽど現実的で前向きだから。
コンテストの当日、調理は倫子に任せて一人、根岸の元へ向かった尾花。
倫子と尾花が同じ料理を全く違う場所で作る。
二人の姿がシンクロしていく見せ方もお見事でした。
コンテストの結果、尾花には分かってた気がします。
gakuのオーナーが丹後に言い放った言葉がまさにで、
「お客はシェフに着くんやない。店に着くんや。」
グランメゾン東京は未だオープンすらしていない。
「二つ星レストランのシェフが作った料理」のイメージはやはり強烈。
だから、「俺にはこっちの方が大事なんで。」になったのかなと。
尾花が目指すのは三つ星のフレンチレストラン。
コンテストに優勝するよりも最高のジビエや山の幸を安定して手に入れる
パイプ作りの方がよっぽど重要だったんでしょうね。
わざわざあの日に行かなくても・・・ではありますが、いやいや。
根岸氏を説得するのにはコンテスト当日こそがベスト。
「コンテストで優勝する為じゃなかったのか?」って言ってましたもんね。
さすがです。
倫子曰く「人誑しのおじさん」尾花の面目躍如w
白い皿に盛られた一切れの肉。
小洒落た料理にしやがって、と言いつつ口にした時の驚きと感動。
ソースの味を確かめる。「鹿の血か?」
あの時の尾花の顔。
まさにしてやったり!ですよ。
狡い男。
でも、その前提には職人とその仕事への敬意がある。
自分もまた根岸と同じ種類の人間だから。
自分の仕事を心から愛せる人は他人のそれをも尊重できる。
そのスタンスが伝わったからこそ実現した未来への一歩。
「最高のチームになりそうだな。」と呟く京野の顔に一瞬陰が差したような。
気のせいかしら。
彼が倫子を激励する言葉もジーンとしました。
「自分を信じられない料理人に星は獲れません。」
倫子と京野の距離感って男女じゃなくチームメイトのそれですよね。
だから相沢が京野に言った一言がとても気になる。
「倫子さんのこと気にしてるんだ?」
京野をモヤモヤさせているのは尾花か倫子か。
京野は尾花の才能と人として愛している。って沢村さん語ってましたよね?
その気持ちに尾花は気づいているのか、いないのか。
そしてパリからやってきた超絶完璧プロポーションの編集長。
やっぱりねな尾花の元恋人。
尾花の動揺っぷりが分かりやすすぎて可笑しい。
京野の表情はよく見えなかったけど(残念w)
手強そうなのはビシバシ伝わってきました。
さすが、パリコレモデルの冨永愛。最高です。
Bienvenue au diner!
ようこそ、ディナーへ。
そしてウィンク。
女に手が早い設定の片鱗がほんのちょっと、見えた気がしました。
グランメゾン東京 2
2019年10月31日 キムラさん コメント (6)もう。
尾花ときたら想像以上にクズい男。
倫子のお母様の保険金をあてにしたり。
(すでに京野のスカウト料に化けていた)
大事な思い出の家を抵当に入れたらどうかと提案したり。
(いい加減にしろよ!と京野に咎められたけど)
いたいけな幼女までダシに使う。
(あのアヒル口と可愛ぶった小首の傾げ方はズルすぎ)
人の仕事場にズケズケ踏み込んでケチをつける。
(グレーヴィーソースを捨てた平古君の気持ち、分かるよ)
倫子も京野も相沢も平古も尾花に腹をたて厚かましい提案を否定する。
(当然だ)
でも、気づいたらぜんぶ尾花の思うツボ。
強引にではない。
いつの間にかペースに呑み込まれてしまう。
京野が倫子に言ったことば通りに、だ。
「それを決めたのはあなたでしょう?」
なぜだろう?
文字通り手段を選ばない男。
人からどう思われるか?に頓着しない男。
嫌われるとか、道義的に間違ってるとか、恥ずかしいとか、は優先順位が低い。
天才=天賦の才能を持つ人。
食のプロフェッショナルな倫子や京野を強烈に惹きつける絶対的な説得力。
それが反面、グランメゾン東京の設立の障害になる。
料理人は自分のスタンスを変えない。
最上の食材あっての最高の一皿。
採算が合わないと銀行はお金を貸さない。
しかし尾花の腕がないとグランメゾン東京の計画はそもそも存在しない。
フレンチで人を呼ぶには有名シェフの名前は絶対に欠かせない。
ただし、マイナスポイントの場合もある。
尾花夏樹の名前は【日本の恥】。
「私が有名シェフだったらあなたには頼りません。」
ごもっとも。
食べてもらえば分かる。
でもまず、食べてもらわないと始まらない。
無名のシェフの店に一晩3万近く払う人は少ない。
まず、名前ありき。
とにかく食べてもらえば分かる。
尾花は絶対の自信があったはずだ。
パリで倫子を。
東京で京野を。
半信半疑の二人をその一口で納得させたのだから。
その天賦の才は一度は関わるのを拒否した相沢に対しても発揮される。
幼い娘をフランボワーズのムースで懐柔し、相沢家のキッチンにまんまと収まる。
そこで彼は初めて新しい料理のカルチャーと出会う。
動画時代の料理人はアイデアで勝負する。
動画で味は伝わらない。
半ば揶揄するような失敬な言葉にムカつきながらも大人の対応の相沢。
僕は尾花にはなれないよ。
パリ時代の苦い思いが彼を支配する。
フランス産の高級食材に拘って倫子に
「浦島太郎!」「高級志向のロココさん」←最高w
「ソースでお皿に絵でも描くの?」と皮肉られ、
相沢に「宮廷風料理は今は時代遅れだ。」と言われても意に介さない尾花を、
180度方向転換させたのが
「人気ブロガーのお料理教室に集まった主婦の意見」だったのは、
ある意味、今の東京のリアルな食を敏感に反映させていると思う。
まず、彼女たちは尾花が誰か知らない。
ミシュラン二つ星の料理人のバイアスなしで主婦の目で見れば、
高級フレンチ食材は非日常的すぎる。
より身近な食材を新鮮な組み合わせで。
高度な料理人のセンスと特別な素材より、アレンジの妙で魅せる面白さ。
「だって高級食材なんてありきたりだから。」
忖度ない主婦の言葉は尾花にストレートに突き刺さる。
倫子と相沢の言葉の意味を、肌で感じ取った瞬間。
どん底の3年。
フリーズしてたのは自分だけ。
世界は勝手に回っていた。
衝撃。
挫折して全てを投げ出す。
または、自説に固執してドツボにハマって行く。
のどちらかになってもおかしくないのだが。
尾花の切り替えの早さに驚く。
長い時間と努力で築いたであろう、素材・味への拘りをリセットする。
迷ってるヒマがあったら料理を作る。
落ち込む時間があったらどんどん試してみる。
ここですよ。
天才といわれる人の特性か?
もうだめかもしれない、なんて考えない。
リセットした瞬間からアイデアが湧いてくる。
相沢家のキッチンで何種類もの味噌と醤油を並べて構想を練る。
「バカみたいに料理が好きだ。」
京野のことを、彼はそう言ったけど、それ、実は自分のことだったよね?
誰かに頼まれたわけじゃない。
結果を出せるかも分からない。
それでも調合を変え、調味料を混ぜ、何度でもトライする。
気がつけば朝。
徹夜でソース作りに取り組んだ姿を、相沢は偶然見てしまう。
「寝ている時も起きてる時も女といる時も四六時中料理のことを考えろ。」
かつて言い放った言葉通りに、一ミリもブレない尾花の後ろ姿を。
あんなのめり込む姿を間近で見たら心動きますよね。
ふわっとしたくせっ毛に清潔感漂う襟足からほっそり伸びた長い首。
態度は最悪。
だけど料理のことになるとピュアな少年のよう。
おまけに天才。
嵐を呼ぶ男。
一方、倫子も京野も相沢も、人の痛みに敏感な優しい大人たち。
だから彼らは、尾花を突き放せない。
いや、そこも尾花には織り込み済みだったりして。
・・・やっぱりクズ。
尾花がロココ風宮廷料理から日本の食材を使った味に方向転換するのは、
決して唐突な発想じゃない。
グレーヴィーソースの試作品に味噌と醤油。
日本の味に欠かせない発酵調味料。
ここで思い出すのが1話の朝食。
味噌汁と卵焼き、漬物と焼き鮭。
帰国早々、日本食の素晴らしさをすでに再確認していたこと。
そして、「この家のぬか床は素晴らしい。」のぬか漬けも発酵食品。
東京でフレンチ。
その国で生まれた人たちが食べたいと思う味は何か?
日本の土と土着の微生物から育まれたたべもの。
そして倫子の母が「愛する人を引き寄せる」為に作った秘伝の鶏そぼろ丼。
作る人の思いと工夫こそが毎日のご飯としての食を育む。
ナスの根元に生えたカタバミをハーブとして扱う発想。
同じ土に生えたものは相性がいいのは、フランスも日本も同じこと。
食べること。
は、日々の生活と根っこで繋がっている。
地に足を着けるところから始めよう。
と、尾花が意識したかどうか?は謎。
でも、倫子のキッチンは料理の原点を思い出させた。
孤高のアーティストだった尾花が、料理人として新たなスタートラインに立つ。
仲間と協力してアイデアを出し合い進化する。
一人で行き詰まったら、みんなで考えればいいのだ、と。
ナスの前菜を試食した汐野の、美味しい!の顔。
尾花一人では引き出す事の出来なかった顔。
尾花がいなければ仕上げられなかった一皿。
しょうもない狡い男だけど、彼の才能を愛し、信じている仲間。
倫子は男前で実行力もある。
大地にどっしりと根をおろした大きな木のような女。
彼女に星を取らせると決意して尾花は変わった。
と、木村が語っていたのはまさにそういうことなんでしょうね。
相沢の選択が素敵。
幼い娘を悲しませる事はしないと決め、送り迎えできる仕事を選ぶ。
この先どうなるか分からないけれど、
そのスタンスを貫きながら、グランメゾン東京に参加できますように。
アメリちゃん、すごく可愛いし。
彼女の扱いが尾花らしい。
フランボワーズのムースをダシにするの、本当に狡いんだけど、
あの話しかけ方や扱い方。幼くても女性として接する。
少年みたいな素敵な男性が優しい声で、キラッキラの笑顔で。
反則でしょ?
「パパァ。いいよね?」の声の甘さに相沢はノックアウト。
まんまと尾花はキッチンに居座る。
相沢と倫子のキッチンの対比が興味深い。
相沢のキッチンはまんま料理教室仕様。
最新の機械と食材が揃ってる。が、生活感がほとんどない。
ユニークなアイディアが生まれる仕事場ではあるが。
かつて台所の床は三和土だった。
かまどで薪を燃してご飯を炊いていた。
文字通り、キッチンは地面の続きだったのだ。
倫子のキッチンはなんだか、地面に近い感じがある。
平古。
彼女のお父様に尾花のために融資を頼むとは…絵に描いたようなツンデレ笑
尾花はパティシエの松井萌を引き抜きにかかる予感。
平古はたぶん尾花のパワーに抗いきれない。
そうなると、松井と平古の距離感は今よりぐっと近づきそう。
今の彼女より根っこのところで理解しあえそうなんだけどね。
料理人同士での関係性もあるから一筋縄ではいかなそう。
(グラグラメゾン東京のあらすじ、TVerで見れます)
一番秘密を抱えてそうなのは京野。
彼はもしかしたら時限爆弾だったり?
イスカリオテのユダは彼?
借金を肩代わりしてもらった義理もあるんだろう。が、あの献身っぷり。
どこか心の奥底に罪悪感と贖罪の意識があったりとか?
主要キャラクターの誰でも、一本作品が撮れそうな位、それぞれ物語がある。
それにしても木村のビジュアルが良すぎ。
華奢でスラリ。
大きな目はキラッキラ。
2話のラスト近く。
倫子の言葉につい目が潤む。
とてもお芝居とは思えない。いや、もちろんお芝居してるんだけど、
でも、尾花夏樹としての感情がひしひしと伝わる。
それを逃さずしっかりと切り取ったカメラ。
ところで尾花は王道のキムタクとか言われてますが、今まであんな役あったっけ?
キャラクター的に一番近いのはたぶん久利生。
だけど、一つ間違えるととんでもないクズ野郎で嫌なやつに成り下がる、
リスキーな役。
それを感じさせないのは演出のうまさ。
引きとアップを自在に使い分け、細やかにお芝居を拾って行く。
そして。
全員巧い役者さんで、美男美女ばかりで声も良く、同じモチベーションで
同じテンションで、がこれほど心地よいとは。
ナス料理のシーンでの
「やけどしなかった?」からの京野と倫子のやり取り。
「レバー買ってるくわ。」「俺も行こうか?」「うん、大丈夫!」とか。
ちょっとしたシーンの会話の絶妙なやり取り。
こういう繊細な、細部まで神経の行き届いた表現。
神は細部に宿る。
お料理や食材の圧倒的な美しさ。
(スパッときれたナスの断面の美しい事!)
このテンションで最後まで突っ走って欲しい。
尾花ときたら想像以上にクズい男。
倫子のお母様の保険金をあてにしたり。
(すでに京野のスカウト料に化けていた)
大事な思い出の家を抵当に入れたらどうかと提案したり。
(いい加減にしろよ!と京野に咎められたけど)
いたいけな幼女までダシに使う。
(あのアヒル口と可愛ぶった小首の傾げ方はズルすぎ)
人の仕事場にズケズケ踏み込んでケチをつける。
(グレーヴィーソースを捨てた平古君の気持ち、分かるよ)
倫子も京野も相沢も平古も尾花に腹をたて厚かましい提案を否定する。
(当然だ)
でも、気づいたらぜんぶ尾花の思うツボ。
強引にではない。
いつの間にかペースに呑み込まれてしまう。
京野が倫子に言ったことば通りに、だ。
「それを決めたのはあなたでしょう?」
なぜだろう?
文字通り手段を選ばない男。
人からどう思われるか?に頓着しない男。
嫌われるとか、道義的に間違ってるとか、恥ずかしいとか、は優先順位が低い。
天才=天賦の才能を持つ人。
食のプロフェッショナルな倫子や京野を強烈に惹きつける絶対的な説得力。
それが反面、グランメゾン東京の設立の障害になる。
料理人は自分のスタンスを変えない。
最上の食材あっての最高の一皿。
採算が合わないと銀行はお金を貸さない。
しかし尾花の腕がないとグランメゾン東京の計画はそもそも存在しない。
フレンチで人を呼ぶには有名シェフの名前は絶対に欠かせない。
ただし、マイナスポイントの場合もある。
尾花夏樹の名前は【日本の恥】。
「私が有名シェフだったらあなたには頼りません。」
ごもっとも。
食べてもらえば分かる。
でもまず、食べてもらわないと始まらない。
無名のシェフの店に一晩3万近く払う人は少ない。
まず、名前ありき。
とにかく食べてもらえば分かる。
尾花は絶対の自信があったはずだ。
パリで倫子を。
東京で京野を。
半信半疑の二人をその一口で納得させたのだから。
その天賦の才は一度は関わるのを拒否した相沢に対しても発揮される。
幼い娘をフランボワーズのムースで懐柔し、相沢家のキッチンにまんまと収まる。
そこで彼は初めて新しい料理のカルチャーと出会う。
動画時代の料理人はアイデアで勝負する。
動画で味は伝わらない。
半ば揶揄するような失敬な言葉にムカつきながらも大人の対応の相沢。
僕は尾花にはなれないよ。
パリ時代の苦い思いが彼を支配する。
フランス産の高級食材に拘って倫子に
「浦島太郎!」「高級志向のロココさん」←最高w
「ソースでお皿に絵でも描くの?」と皮肉られ、
相沢に「宮廷風料理は今は時代遅れだ。」と言われても意に介さない尾花を、
180度方向転換させたのが
「人気ブロガーのお料理教室に集まった主婦の意見」だったのは、
ある意味、今の東京のリアルな食を敏感に反映させていると思う。
まず、彼女たちは尾花が誰か知らない。
ミシュラン二つ星の料理人のバイアスなしで主婦の目で見れば、
高級フレンチ食材は非日常的すぎる。
より身近な食材を新鮮な組み合わせで。
高度な料理人のセンスと特別な素材より、アレンジの妙で魅せる面白さ。
「だって高級食材なんてありきたりだから。」
忖度ない主婦の言葉は尾花にストレートに突き刺さる。
倫子と相沢の言葉の意味を、肌で感じ取った瞬間。
どん底の3年。
フリーズしてたのは自分だけ。
世界は勝手に回っていた。
衝撃。
挫折して全てを投げ出す。
または、自説に固執してドツボにハマって行く。
のどちらかになってもおかしくないのだが。
尾花の切り替えの早さに驚く。
長い時間と努力で築いたであろう、素材・味への拘りをリセットする。
迷ってるヒマがあったら料理を作る。
落ち込む時間があったらどんどん試してみる。
ここですよ。
天才といわれる人の特性か?
もうだめかもしれない、なんて考えない。
リセットした瞬間からアイデアが湧いてくる。
相沢家のキッチンで何種類もの味噌と醤油を並べて構想を練る。
「バカみたいに料理が好きだ。」
京野のことを、彼はそう言ったけど、それ、実は自分のことだったよね?
誰かに頼まれたわけじゃない。
結果を出せるかも分からない。
それでも調合を変え、調味料を混ぜ、何度でもトライする。
気がつけば朝。
徹夜でソース作りに取り組んだ姿を、相沢は偶然見てしまう。
「寝ている時も起きてる時も女といる時も四六時中料理のことを考えろ。」
かつて言い放った言葉通りに、一ミリもブレない尾花の後ろ姿を。
あんなのめり込む姿を間近で見たら心動きますよね。
ふわっとしたくせっ毛に清潔感漂う襟足からほっそり伸びた長い首。
態度は最悪。
だけど料理のことになるとピュアな少年のよう。
おまけに天才。
嵐を呼ぶ男。
一方、倫子も京野も相沢も、人の痛みに敏感な優しい大人たち。
だから彼らは、尾花を突き放せない。
いや、そこも尾花には織り込み済みだったりして。
・・・やっぱりクズ。
尾花がロココ風宮廷料理から日本の食材を使った味に方向転換するのは、
決して唐突な発想じゃない。
グレーヴィーソースの試作品に味噌と醤油。
日本の味に欠かせない発酵調味料。
ここで思い出すのが1話の朝食。
味噌汁と卵焼き、漬物と焼き鮭。
帰国早々、日本食の素晴らしさをすでに再確認していたこと。
そして、「この家のぬか床は素晴らしい。」のぬか漬けも発酵食品。
東京でフレンチ。
その国で生まれた人たちが食べたいと思う味は何か?
日本の土と土着の微生物から育まれたたべもの。
そして倫子の母が「愛する人を引き寄せる」為に作った秘伝の鶏そぼろ丼。
作る人の思いと工夫こそが毎日のご飯としての食を育む。
ナスの根元に生えたカタバミをハーブとして扱う発想。
同じ土に生えたものは相性がいいのは、フランスも日本も同じこと。
食べること。
は、日々の生活と根っこで繋がっている。
地に足を着けるところから始めよう。
と、尾花が意識したかどうか?は謎。
でも、倫子のキッチンは料理の原点を思い出させた。
孤高のアーティストだった尾花が、料理人として新たなスタートラインに立つ。
仲間と協力してアイデアを出し合い進化する。
一人で行き詰まったら、みんなで考えればいいのだ、と。
ナスの前菜を試食した汐野の、美味しい!の顔。
尾花一人では引き出す事の出来なかった顔。
尾花がいなければ仕上げられなかった一皿。
しょうもない狡い男だけど、彼の才能を愛し、信じている仲間。
倫子は男前で実行力もある。
大地にどっしりと根をおろした大きな木のような女。
彼女に星を取らせると決意して尾花は変わった。
と、木村が語っていたのはまさにそういうことなんでしょうね。
相沢の選択が素敵。
幼い娘を悲しませる事はしないと決め、送り迎えできる仕事を選ぶ。
この先どうなるか分からないけれど、
そのスタンスを貫きながら、グランメゾン東京に参加できますように。
アメリちゃん、すごく可愛いし。
彼女の扱いが尾花らしい。
フランボワーズのムースをダシにするの、本当に狡いんだけど、
あの話しかけ方や扱い方。幼くても女性として接する。
少年みたいな素敵な男性が優しい声で、キラッキラの笑顔で。
反則でしょ?
「パパァ。いいよね?」の声の甘さに相沢はノックアウト。
まんまと尾花はキッチンに居座る。
相沢と倫子のキッチンの対比が興味深い。
相沢のキッチンはまんま料理教室仕様。
最新の機械と食材が揃ってる。が、生活感がほとんどない。
ユニークなアイディアが生まれる仕事場ではあるが。
かつて台所の床は三和土だった。
かまどで薪を燃してご飯を炊いていた。
文字通り、キッチンは地面の続きだったのだ。
倫子のキッチンはなんだか、地面に近い感じがある。
平古。
彼女のお父様に尾花のために融資を頼むとは…絵に描いたようなツンデレ笑
尾花はパティシエの松井萌を引き抜きにかかる予感。
平古はたぶん尾花のパワーに抗いきれない。
そうなると、松井と平古の距離感は今よりぐっと近づきそう。
今の彼女より根っこのところで理解しあえそうなんだけどね。
料理人同士での関係性もあるから一筋縄ではいかなそう。
(グラグラメゾン東京のあらすじ、TVerで見れます)
一番秘密を抱えてそうなのは京野。
彼はもしかしたら時限爆弾だったり?
イスカリオテのユダは彼?
借金を肩代わりしてもらった義理もあるんだろう。が、あの献身っぷり。
どこか心の奥底に罪悪感と贖罪の意識があったりとか?
主要キャラクターの誰でも、一本作品が撮れそうな位、それぞれ物語がある。
それにしても木村のビジュアルが良すぎ。
華奢でスラリ。
大きな目はキラッキラ。
2話のラスト近く。
倫子の言葉につい目が潤む。
とてもお芝居とは思えない。いや、もちろんお芝居してるんだけど、
でも、尾花夏樹としての感情がひしひしと伝わる。
それを逃さずしっかりと切り取ったカメラ。
ところで尾花は王道のキムタクとか言われてますが、今まであんな役あったっけ?
キャラクター的に一番近いのはたぶん久利生。
だけど、一つ間違えるととんでもないクズ野郎で嫌なやつに成り下がる、
リスキーな役。
それを感じさせないのは演出のうまさ。
引きとアップを自在に使い分け、細やかにお芝居を拾って行く。
そして。
全員巧い役者さんで、美男美女ばかりで声も良く、同じモチベーションで
同じテンションで、がこれほど心地よいとは。
ナス料理のシーンでの
「やけどしなかった?」からの京野と倫子のやり取り。
「レバー買ってるくわ。」「俺も行こうか?」「うん、大丈夫!」とか。
ちょっとしたシーンの会話の絶妙なやり取り。
こういう繊細な、細部まで神経の行き届いた表現。
神は細部に宿る。
お料理や食材の圧倒的な美しさ。
(スパッときれたナスの断面の美しい事!)
このテンションで最後まで突っ走って欲しい。
グランメゾン東京 (追記あり)
2019年10月25日 キムラさん コメント (6)料理って何だろう。
私は主婦でもあるので毎日料理を作る。
うちの旦那は飲めないのもあって帰りに一杯飲みながらご飯を食べる。
なんて事は皆無で、どんなに遅くても家で夕飯を食べる。
毎日のローテーションで作る料理は、正直面倒くさい。
じゃあコンビニでもスーパーでもお惣菜買ってくれば良いのだけど、
たまーにならともかく、なんか味気ない。
だから、作る。
自分のため。家族のため。
今日も料理をする。
冒頭はパリの二つ星レストラン「エスコフィユ」の厨房から始まる。
日仏首脳会談の要人を迎える準備が最高潮のそこはピリピリした空気が漂う。
前菜のウニの下処理が自分の指示と違うと、料理長の尾花は担当者を叱りつける。
「なぜ言った通りにしないんだ?」
「やりたいなら自分の店でやれ。」
「出ていけ!」
・・・何とまぁ傲慢な男だろう。
と思ったけど、自分の店で出す料理の全責任は自分が背負うのだから、
2つ星を戴く自分の店で、勝手な振る舞いは許さない、のも一理ある。
尾花はすでに相当数処理を終えていたウニを全て手直しする。
すでに時間はギリギリ。それでもきっちりやり終える。
卓越したセンスだけでなく、人一倍の集中力と努力をしてきた男と分かる。
彼はソースに取り掛かる。
生のウニにソバの実とオイルを合わせた料理だから、ソースは味の要だ。
渡された皿の中身をミキサーにかけ、一口すくって口に含む。
舌で味わい、鼻に抜ける風味を確かめるようにクッと顎を上げて天井を見上げる。
満足げな表情。
うん、いつも通りに素晴らしい。
自信と確信。
ソースはパーフェクト。ウニも完璧。
仕上げに白いマーガレットの花びら。
食べるのが惜しいような美しい一皿。
目で見、鼻で嗅ぎ、舌で味わうアート。
表現のために心を砕き、時間をかけて、全てのエネルギーを注ぎ込む。
尾花はアーティスト。
京野の完璧なテーブルセッティングはキャンバス。
皿の上には完璧に調和のとれた小さな宇宙。
味わい、深みを理解できるだけの、高度に洗練された人たちの為の料理。
3年後。
店を失い、仲間を失い、借金を背負って逃げ回る尾花は
昔のフランス映画に出てくる労働者階級の少年のような服にキャスケット。
見た目だけでなく話し方も振る舞いもまるで別人。
ランブロワジーで再び働くのを拒否され、締め出され、途方に暮れる。
その彼に願っても無いチャンス。
テストを受けに来た倫子を利用して昔の仕事場へこっそり無理やり潜り込む。
呆気にとられる倫子の横で神業の早さで仕上げるサフラン入りオイルのソース。
スプーンの柄を浸し、味を確かめる。
鼻から大きく息を吸い込む。芳醇でパンチの効いたオイルの風味。
天を仰ぐ横顔が逆光の中でアップになる。
深いため息と思わず漏れる愉悦の呻き。
選び抜かれた食材で作る完璧なハーモニー。
それは官能とエクスタシーの瞬間。
どれだけ長い時間、彼はこれに恋い焦がれていたのだろう。
倫子を助けるは名目で、尾花は自分の、快楽の為に料理した。
狭いキッチンの閉ざされた空間だけが、今の彼に相応しい神殿。
だからこそ手長エビのエチュべのシークエンスが象徴的な意味を持つ。
たぶんマルシェで調達した新鮮な食材。
町のビストロのこじんまりしたキッチンで尾花は腕を振るう。
ワインレッドの柄にダークグレイの鋼の包丁。
その色、形の美しさ。それは彼の美意識そのもの。
手長エビの背からスパッと入れた刃先に迷いは無い。
完璧に美しい切り口。
洗練された優雅な手つき。
食材への真摯な向き合い方、見つめるまなざし。
倫子のために料理を作る。
自分の助言を無視した彼女に見せつけるためだったとしても。
(尾花が調理する様子を見た倫子の表情…)
夕暮れのパリのビストロの店先。
出された一皿は、色といい盛り付けといい、
立ち上る香りに口元を綻ばせる倫子の表情と相まって、
香ばしい匂いが画面から溢れてくるようだった。
「美味しい。すっっごく、美味しい。」
その頬に涙がひとすじ。
一瞬、雑踏のざわめきが消えた。
オレンジ色に染まった空気の中、皿を前に目を閉じ、涙を流す美しい女。
見つめる尾花の目に何か新たな感情が宿る。
「誰かのために料理を作る」喜びを想いだした瞬間。
しかし彼は、身勝手で歯に衣着せぬ物言いの傲慢な男。
女に手が早く借金を踏み倒す。
店を出そうと誘ったのは本気かもだが具体的なプランは皆無。
人の心の柔らかい場所に、料理を武器に入り込んで引っ掻き回す夢想家。
魅力的な外見と声を持ち、腕前と天才的な閃きは神様のギフト。
人は彼を、クズと呼ぶ。
倫子の家のダイニングキッチンは本当に素敵。
リビングと一続きになった開放的な造りに、
どこか昭和の香りのする椅子とテーブル、食器棚。
棚の上に食器やキッチン用品が収められてそうな箱や籠が見える。
自然光の入る備え付けのキッチンに年季の入ったガスコンロ。
程よい広さのシンク。壁は清潔な白いタイル。
梅干しの壺があって、尾花によるとぬか漬けも作っているらしい。
人の手で使い込まれ、磨き上げられ、気持ちよく年を重ねた物たち。
「暮らしの手帖」とかに出てきそうだなぁ。居心地が良くて温かくて。
亡くなったお母様と彼女がどんな時間を過ごしたのか。
あのキッチンが倫子そのものな気がする。
彼女の喜びと悲しみ、笑顔と涙、試行錯誤の時間が、セピア色のヴェールのように
そこここにふり積もっている。
そのキッチンで尾花が最初に作った料理は和食。
ご飯、卵焼き。里芋と椎茸とカボスのお味噌汁。
「フレンチのシェフが和食?」
「日本人はお米でしょう。」
帰国してお米の良さを再確認するのはフレンチシェフあるあるだそう。
でも、尾花の料理魂が倫子の醸し出す空気に共鳴したとも思える。
冷蔵庫にあるものを集めて作ったような、正しく家庭的なメニュー。
それは「特別な愉しみ」のための芸術的な一皿ではない。
空腹を満たし、元気で健やかな1日を始めるための糧。
かつて名店・エスコフィユの厨房で唯我独尊なアーティストとして振る舞い、
落魄れて小さなキッチンでただ自分の悦びの為にソースを作った男が、
町のビストロでその日出会ったばかりの女の為に手長エビのエチュベを作った。
そして今、彼は彼女のキッチンで二人の為に料理を作る。
尾花は白いタイルをホワイトボードに見立て、そこに「京野」と大きく書いた。
本日のメニューは「クスクス・ア・ラ・メゾン」
A’laMaison=「自家製」
ランブロワジーの賄い飯。
京野と尾花の思い出の味。
そして京野の大好物。
「人の心を掴むには胃袋から」という諺があるけれど、まさにそれ。
鳩の骨つき肉や内臓なんて簡単に手に入るものじゃない。
「あの味」を再現するのにあちこち探し歩いただろう。
肉も野菜もスパイスも豪快に放り込みグツグツ煮込む。
ボーダーTシャツにキュッと白いエプロン。
明かり取りの窓の柔らかい光。
尾花の表情はどことなくイタズラを仕掛ける少年のように楽しそうで、
この一品に絶対の自信もうかがえる。
半ば騙されるようにして連れてこられた京野が鍋の中身を知った時の顔。
まさか、アレがまた食べられるなんて!
思わず駆け寄って鍋を覗き込む。
手に取るように心の動きが分かって、尾花はしてやったりだ。
美味しい不意打ちは、怒りさえ吹き飛ばすものらしい。
「ボナペティ。」
勧められるまま、掬って、ひとさじ口にする。
目を閉じゆっくり味わう。
喜びが彼の口の中から身体中に広がって思わず顔が緩む。
幸せを、余すことなく、大事に味わう。
尾花は目論見通りに「胃袋を掴んだ」。
がっしりと。
ストレートで無邪気で、彼にしかできない、一番効果的なやり方で。
悪魔の誘惑は美味と決まってる。
企みからのメニューだが、喜んで欲しくもあったはず。
京野はかけがえのないパートナー。
料理に全てを賭けた尾花にとって京野は夢の半身ですらあったはず。
だから倫子の「柚子」と「ご飯」の無邪気な提案を「論外。」と受け流す。
これは俺と京野の思い出のメニュー。
一緒に重ねた経験と感情が、食べるたびに蘇る、かけがえのない記憶装置。
アンタの為じゃない、と。
京野には手に取るようにわかっていたはずだ。
もちろんお詫びのつもりもあっただろうけど、動機は不純。
狡い男。
散々振り回して酷い目に合わせた癖にシレッと人の懐に飛び込んでくる。
俺が、お前の腕に惚れ込んでるのを知ってるくせに。
分かっている。
これは罠だ。
でも、彼の才能は本物だ。神様に愛された者。
どうしようもなく尾花に惚れている。
尾花は確信する。
あと一押しで、京野はこちらへ戻ってくる。
なのに尾花はとんでもないミスを犯す。
千載一遇のチャンスを、自ら台無しにするのも尾花らしいのかもしれない。
インスピレーションと魅力に溢れた尾花はしかし欠陥だらけの人間で、
俯瞰の目とか人の心の襞を感じ取る能力をてんで持ち合わせていない。
純粋と言えば純粋。ナイーブ。でも、あまりに子供っぽい。
倫子は絶対音感ならぬ絶対味覚で料理をたちどころに分析する。
「今の年齢ならあなたたちも絶対柚子だって。」
「日本で作るならクスクスよりご飯だなぁ。」
論理的で実際的。
天才的な料理の腕はないが、鋭い分析力がある。
1000万円を用意して京野をスカウトする実行力もある。
まさに破れ鍋に綴じ蓋。
急に料理したくなっちゃって、と言い訳しながら、倫子の言葉通りに
すりおろした柚子を使った尾花は、やっぱり彼女の舌を信じている。
京野と一緒に夢を再び叶えるには、彼女の力が必要だ。
柚子入りのクスクスアラメゾンは、尾花と倫子の初めての合作メニューだ。
京野の為の一皿が、3人のための一皿になる。
グランメゾン東京が生まれるべき場所にはまだ何もない。
しかも3年前のアレルギー食材混入の件は、過失でなく故意でもあるらしい。
尾花と倫子と京野。
夢を描く3人の前には想像以上の闇と困難が待っているのかもしれない。
3人はどんなキッチンを作り上げるんだろう。
追記)
キムタクがキムタクらしくて嬉しい!!
という声がたくさん流れてきて、ああーやっぱり。
きっと振り子が反対側に触れる日がくると思ってた。と一人で悦に入りつつ、ふと。
キムタクらしさ、ってなんだろう?
キムタクドラマで一番好きなのは?の質問に複数の答えが返ってくるように、
キムタクらしさもひとそれぞれのよう。
そんな中、女子SPA!のみきーるさんの言葉を見つけた。
これこそキムタクらしさの共通概念、正解でなくても最適解かと思う。
読んでみてくださいませ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191023-00961172-jspa-life
こういう分析はヲタには出来ませんね。
ちょうど良い距離感というものがあるのだなぁ。
そして木村の中のキムタクは、もしかしたら新たな局面に入ったのではないか?
と、尾花夏樹の純粋で眩しいようなクズっぷりを見ながらふと思う。
その直感が正しいか否かは、回を重ねるごとに分かってくるのだろうか。
私は主婦でもあるので毎日料理を作る。
うちの旦那は飲めないのもあって帰りに一杯飲みながらご飯を食べる。
なんて事は皆無で、どんなに遅くても家で夕飯を食べる。
毎日のローテーションで作る料理は、正直面倒くさい。
じゃあコンビニでもスーパーでもお惣菜買ってくれば良いのだけど、
たまーにならともかく、なんか味気ない。
だから、作る。
自分のため。家族のため。
今日も料理をする。
冒頭はパリの二つ星レストラン「エスコフィユ」の厨房から始まる。
日仏首脳会談の要人を迎える準備が最高潮のそこはピリピリした空気が漂う。
前菜のウニの下処理が自分の指示と違うと、料理長の尾花は担当者を叱りつける。
「なぜ言った通りにしないんだ?」
「やりたいなら自分の店でやれ。」
「出ていけ!」
・・・何とまぁ傲慢な男だろう。
と思ったけど、自分の店で出す料理の全責任は自分が背負うのだから、
2つ星を戴く自分の店で、勝手な振る舞いは許さない、のも一理ある。
尾花はすでに相当数処理を終えていたウニを全て手直しする。
すでに時間はギリギリ。それでもきっちりやり終える。
卓越したセンスだけでなく、人一倍の集中力と努力をしてきた男と分かる。
彼はソースに取り掛かる。
生のウニにソバの実とオイルを合わせた料理だから、ソースは味の要だ。
渡された皿の中身をミキサーにかけ、一口すくって口に含む。
舌で味わい、鼻に抜ける風味を確かめるようにクッと顎を上げて天井を見上げる。
満足げな表情。
うん、いつも通りに素晴らしい。
自信と確信。
ソースはパーフェクト。ウニも完璧。
仕上げに白いマーガレットの花びら。
食べるのが惜しいような美しい一皿。
目で見、鼻で嗅ぎ、舌で味わうアート。
表現のために心を砕き、時間をかけて、全てのエネルギーを注ぎ込む。
尾花はアーティスト。
京野の完璧なテーブルセッティングはキャンバス。
皿の上には完璧に調和のとれた小さな宇宙。
味わい、深みを理解できるだけの、高度に洗練された人たちの為の料理。
3年後。
店を失い、仲間を失い、借金を背負って逃げ回る尾花は
昔のフランス映画に出てくる労働者階級の少年のような服にキャスケット。
見た目だけでなく話し方も振る舞いもまるで別人。
ランブロワジーで再び働くのを拒否され、締め出され、途方に暮れる。
その彼に願っても無いチャンス。
テストを受けに来た倫子を利用して昔の仕事場へこっそり無理やり潜り込む。
呆気にとられる倫子の横で神業の早さで仕上げるサフラン入りオイルのソース。
スプーンの柄を浸し、味を確かめる。
鼻から大きく息を吸い込む。芳醇でパンチの効いたオイルの風味。
天を仰ぐ横顔が逆光の中でアップになる。
深いため息と思わず漏れる愉悦の呻き。
選び抜かれた食材で作る完璧なハーモニー。
それは官能とエクスタシーの瞬間。
どれだけ長い時間、彼はこれに恋い焦がれていたのだろう。
倫子を助けるは名目で、尾花は自分の、快楽の為に料理した。
狭いキッチンの閉ざされた空間だけが、今の彼に相応しい神殿。
だからこそ手長エビのエチュべのシークエンスが象徴的な意味を持つ。
たぶんマルシェで調達した新鮮な食材。
町のビストロのこじんまりしたキッチンで尾花は腕を振るう。
ワインレッドの柄にダークグレイの鋼の包丁。
その色、形の美しさ。それは彼の美意識そのもの。
手長エビの背からスパッと入れた刃先に迷いは無い。
完璧に美しい切り口。
洗練された優雅な手つき。
食材への真摯な向き合い方、見つめるまなざし。
倫子のために料理を作る。
自分の助言を無視した彼女に見せつけるためだったとしても。
(尾花が調理する様子を見た倫子の表情…)
夕暮れのパリのビストロの店先。
出された一皿は、色といい盛り付けといい、
立ち上る香りに口元を綻ばせる倫子の表情と相まって、
香ばしい匂いが画面から溢れてくるようだった。
「美味しい。すっっごく、美味しい。」
その頬に涙がひとすじ。
一瞬、雑踏のざわめきが消えた。
オレンジ色に染まった空気の中、皿を前に目を閉じ、涙を流す美しい女。
見つめる尾花の目に何か新たな感情が宿る。
「誰かのために料理を作る」喜びを想いだした瞬間。
しかし彼は、身勝手で歯に衣着せぬ物言いの傲慢な男。
女に手が早く借金を踏み倒す。
店を出そうと誘ったのは本気かもだが具体的なプランは皆無。
人の心の柔らかい場所に、料理を武器に入り込んで引っ掻き回す夢想家。
魅力的な外見と声を持ち、腕前と天才的な閃きは神様のギフト。
人は彼を、クズと呼ぶ。
倫子の家のダイニングキッチンは本当に素敵。
リビングと一続きになった開放的な造りに、
どこか昭和の香りのする椅子とテーブル、食器棚。
棚の上に食器やキッチン用品が収められてそうな箱や籠が見える。
自然光の入る備え付けのキッチンに年季の入ったガスコンロ。
程よい広さのシンク。壁は清潔な白いタイル。
梅干しの壺があって、尾花によるとぬか漬けも作っているらしい。
人の手で使い込まれ、磨き上げられ、気持ちよく年を重ねた物たち。
「暮らしの手帖」とかに出てきそうだなぁ。居心地が良くて温かくて。
亡くなったお母様と彼女がどんな時間を過ごしたのか。
あのキッチンが倫子そのものな気がする。
彼女の喜びと悲しみ、笑顔と涙、試行錯誤の時間が、セピア色のヴェールのように
そこここにふり積もっている。
そのキッチンで尾花が最初に作った料理は和食。
ご飯、卵焼き。里芋と椎茸とカボスのお味噌汁。
「フレンチのシェフが和食?」
「日本人はお米でしょう。」
帰国してお米の良さを再確認するのはフレンチシェフあるあるだそう。
でも、尾花の料理魂が倫子の醸し出す空気に共鳴したとも思える。
冷蔵庫にあるものを集めて作ったような、正しく家庭的なメニュー。
それは「特別な愉しみ」のための芸術的な一皿ではない。
空腹を満たし、元気で健やかな1日を始めるための糧。
かつて名店・エスコフィユの厨房で唯我独尊なアーティストとして振る舞い、
落魄れて小さなキッチンでただ自分の悦びの為にソースを作った男が、
町のビストロでその日出会ったばかりの女の為に手長エビのエチュベを作った。
そして今、彼は彼女のキッチンで二人の為に料理を作る。
尾花は白いタイルをホワイトボードに見立て、そこに「京野」と大きく書いた。
本日のメニューは「クスクス・ア・ラ・メゾン」
A’laMaison=「自家製」
ランブロワジーの賄い飯。
京野と尾花の思い出の味。
そして京野の大好物。
「人の心を掴むには胃袋から」という諺があるけれど、まさにそれ。
鳩の骨つき肉や内臓なんて簡単に手に入るものじゃない。
「あの味」を再現するのにあちこち探し歩いただろう。
肉も野菜もスパイスも豪快に放り込みグツグツ煮込む。
ボーダーTシャツにキュッと白いエプロン。
明かり取りの窓の柔らかい光。
尾花の表情はどことなくイタズラを仕掛ける少年のように楽しそうで、
この一品に絶対の自信もうかがえる。
半ば騙されるようにして連れてこられた京野が鍋の中身を知った時の顔。
まさか、アレがまた食べられるなんて!
思わず駆け寄って鍋を覗き込む。
手に取るように心の動きが分かって、尾花はしてやったりだ。
美味しい不意打ちは、怒りさえ吹き飛ばすものらしい。
「ボナペティ。」
勧められるまま、掬って、ひとさじ口にする。
目を閉じゆっくり味わう。
喜びが彼の口の中から身体中に広がって思わず顔が緩む。
幸せを、余すことなく、大事に味わう。
尾花は目論見通りに「胃袋を掴んだ」。
がっしりと。
ストレートで無邪気で、彼にしかできない、一番効果的なやり方で。
悪魔の誘惑は美味と決まってる。
企みからのメニューだが、喜んで欲しくもあったはず。
京野はかけがえのないパートナー。
料理に全てを賭けた尾花にとって京野は夢の半身ですらあったはず。
だから倫子の「柚子」と「ご飯」の無邪気な提案を「論外。」と受け流す。
これは俺と京野の思い出のメニュー。
一緒に重ねた経験と感情が、食べるたびに蘇る、かけがえのない記憶装置。
アンタの為じゃない、と。
京野には手に取るようにわかっていたはずだ。
もちろんお詫びのつもりもあっただろうけど、動機は不純。
狡い男。
散々振り回して酷い目に合わせた癖にシレッと人の懐に飛び込んでくる。
俺が、お前の腕に惚れ込んでるのを知ってるくせに。
分かっている。
これは罠だ。
でも、彼の才能は本物だ。神様に愛された者。
どうしようもなく尾花に惚れている。
尾花は確信する。
あと一押しで、京野はこちらへ戻ってくる。
なのに尾花はとんでもないミスを犯す。
千載一遇のチャンスを、自ら台無しにするのも尾花らしいのかもしれない。
インスピレーションと魅力に溢れた尾花はしかし欠陥だらけの人間で、
俯瞰の目とか人の心の襞を感じ取る能力をてんで持ち合わせていない。
純粋と言えば純粋。ナイーブ。でも、あまりに子供っぽい。
倫子は絶対音感ならぬ絶対味覚で料理をたちどころに分析する。
「今の年齢ならあなたたちも絶対柚子だって。」
「日本で作るならクスクスよりご飯だなぁ。」
論理的で実際的。
天才的な料理の腕はないが、鋭い分析力がある。
1000万円を用意して京野をスカウトする実行力もある。
まさに破れ鍋に綴じ蓋。
急に料理したくなっちゃって、と言い訳しながら、倫子の言葉通りに
すりおろした柚子を使った尾花は、やっぱり彼女の舌を信じている。
京野と一緒に夢を再び叶えるには、彼女の力が必要だ。
柚子入りのクスクスアラメゾンは、尾花と倫子の初めての合作メニューだ。
京野の為の一皿が、3人のための一皿になる。
グランメゾン東京が生まれるべき場所にはまだ何もない。
しかも3年前のアレルギー食材混入の件は、過失でなく故意でもあるらしい。
尾花と倫子と京野。
夢を描く3人の前には想像以上の闇と困難が待っているのかもしれない。
3人はどんなキッチンを作り上げるんだろう。
追記)
キムタクがキムタクらしくて嬉しい!!
という声がたくさん流れてきて、ああーやっぱり。
きっと振り子が反対側に触れる日がくると思ってた。と一人で悦に入りつつ、ふと。
キムタクらしさ、ってなんだろう?
キムタクドラマで一番好きなのは?の質問に複数の答えが返ってくるように、
キムタクらしさもひとそれぞれのよう。
そんな中、女子SPA!のみきーるさんの言葉を見つけた。
これこそキムタクらしさの共通概念、正解でなくても最適解かと思う。
読んでみてくださいませ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191023-00961172-jspa-life
こういう分析はヲタには出来ませんね。
ちょうど良い距離感というものがあるのだなぁ。
そして木村の中のキムタクは、もしかしたら新たな局面に入ったのではないか?
と、尾花夏樹の純粋で眩しいようなクズっぷりを見ながらふと思う。
その直感が正しいか否かは、回を重ねるごとに分かってくるのだろうか。
Go with the FLOW
2019年10月9日 キムラさん コメント (2)予期せぬ嬉しい便り。
彼が再び歌う日はもっともっと先かと思っていた。
なんどもいろんなアーティストの方々から誘われても何となくはぐらかすような。
困っているような。
そんな姿を見て、これはやはり役者に軸足を置くと決めたからには、
よほどのことがないと歌い出さないつもりなのではないか?と思っていた。
或いは。
いろんなことが起きて、無数の人の数えきれない思いを人知れず拾いあげて
掬いきれないその重さに一歩が踏み出せなかったのかも知れない。
きっかけは稲葉さんのことば。
背中を押してくれたのは、たくさんの人たちの「歌ってよ!」の気持ち。
って、木村らしいよね。
公開された映像と歌声は伸びやかで優しげで、少年のような眼差しが印象に残る。
Go with the flow。
波に乗って。時流に乗って。流れ行くままに。
こんなのもあった。
「心配せずにその流れに乗っていけ。」
・・・やっぱりコレが一番、らしい、かな。
その言葉は彼自身の決意でもあり、誰かが彼にかけたであろう言葉でもあり。
彼を遠くから見つめている人たちへの言葉でもあり、
これからその唄を聴くだろう不特定多数の人たちへ向けられてもいるだろう。
そしてFLOWは彼のラジオプログラムのタイトルで、
様々なゲストがどう人生をFLOWしてきたか、がテーマでもあり。
生きることは、FLOWすること。
アルバムタイトルを知った時、真っ先に浮かんだのは「サーフィン」だった。
サーファーの彼にとってFLOWは文字通り「波乗り」でもあるだろう。
天気図を見てポイントを決めたら後は良い波を待つだけ。
海は、人が太刀打ちできない自然のシステムの象徴でもある。
焦ってもイラついても仕方がない。
大事なのはタイミング。
それを逃さない反射神経と確実にライドするテクニック。
「その瞬間」の為に長い長い時間をかけて準備する。
それってまさに木村拓哉自身じゃないか?と気がつく。
Go with the Flow。
シンプルで分かりやすくて、奥深くて複雑。
彼が再び歌う日はもっともっと先かと思っていた。
なんどもいろんなアーティストの方々から誘われても何となくはぐらかすような。
困っているような。
そんな姿を見て、これはやはり役者に軸足を置くと決めたからには、
よほどのことがないと歌い出さないつもりなのではないか?と思っていた。
或いは。
いろんなことが起きて、無数の人の数えきれない思いを人知れず拾いあげて
掬いきれないその重さに一歩が踏み出せなかったのかも知れない。
きっかけは稲葉さんのことば。
背中を押してくれたのは、たくさんの人たちの「歌ってよ!」の気持ち。
って、木村らしいよね。
公開された映像と歌声は伸びやかで優しげで、少年のような眼差しが印象に残る。
Go with the flow。
波に乗って。時流に乗って。流れ行くままに。
こんなのもあった。
「心配せずにその流れに乗っていけ。」
・・・やっぱりコレが一番、らしい、かな。
その言葉は彼自身の決意でもあり、誰かが彼にかけたであろう言葉でもあり。
彼を遠くから見つめている人たちへの言葉でもあり、
これからその唄を聴くだろう不特定多数の人たちへ向けられてもいるだろう。
そしてFLOWは彼のラジオプログラムのタイトルで、
様々なゲストがどう人生をFLOWしてきたか、がテーマでもあり。
生きることは、FLOWすること。
アルバムタイトルを知った時、真っ先に浮かんだのは「サーフィン」だった。
サーファーの彼にとってFLOWは文字通り「波乗り」でもあるだろう。
天気図を見てポイントを決めたら後は良い波を待つだけ。
海は、人が太刀打ちできない自然のシステムの象徴でもある。
焦ってもイラついても仕方がない。
大事なのはタイミング。
それを逃さない反射神経と確実にライドするテクニック。
「その瞬間」の為に長い長い時間をかけて準備する。
それってまさに木村拓哉自身じゃないか?と気がつく。
Go with the Flow。
シンプルで分かりやすくて、奥深くて複雑。
マスカレードホテル、2回目。
楽しめたのは2回目かな。
初回は(風邪気味なのもあって)流れを追うのに持っていかれて余裕なし。
今日はディテールも見えてきて気づいたことが色々。
新田と山岸。
冒頭、タイトルが出てくるカットが象徴的だけど、背中合わせで距離感のある2人。
ラストでは目と目を合わせて向かい合い微笑み合う。
他にも印象深かったのが、夜のフロントで2人がお互いの決意を口にするシーン。
敢えて後ろから長回しで撮影されたのが、2人の表情を想像させる。
お芝居と後ろ姿の美しさを十二分に計算したカメラワーク。
だから、
「お客様に何かあったら(今の仕事を)やめます。」のアップがグッとくる。
新田が山岸に捜査状況を告げるシーンが屋上なのも面白い。
ホテルマンと刑事の距離感が一歩外に出たら一個人同士に変化するイメージで。
ウチとソト。
新田と能勢。
2人のシーンはほぼ横並びで、常に同じ方向を見ている。
新田の内面の変化がよく分かるのは能勢とのシーンで、最初は横柄だった新田が
教会で椅子に腰掛けて情報交換する場面ではホテルマンらしく敬語になる。
能勢は山岸とも同様のスタンスでいる。
彼は、ちょっと前は新田の相棒で、新田の人間性も見抜いている。
相棒=バディ。
山岸ー新田ー能勢。
過去と、今。
ラストで能勢は新田と山岸の間に座る。
三人は正三角形を描く。
ホテルに閉じ込められた新田と外の世界を繋ぎ、
ホテルを住処とする山岸と、外の世界に居た新田を繋いで、
新田と山岸が一つの線で繋がった時、能勢は身を引く。
過去と未来が繋がる。
木村と長澤まさみさんの相性抜群にいいですよね。
2人とも体のラインが美しくスーツが、時にセクシーに見える。
冒頭、濱田岳くん演じるわがままな客を、スイートルームに案内したシーン。
カツカツと歩いてくる山岸の、自信と威厳に満ちた足運び。
ラストの赤いドレス姿で歩いてくるときのエロス。
表情だけでなく、身体で、仕草で物語る女優さん。
木村とのやり取りの間の絶妙さで、クスッと笑わせたり。
「台本の読み方が同じ。」
・・・そうでないとああはいかないよね。
木村の新田。
いつもだけど、ちょっとした動きで印象をガラッと変えるんだよねぇ。
新田が大きく変化する場面は二つあって、
一つ目は目が不自由なふりをした老女・片桐の告白シーン。
二つ目は栗田の謝罪シーン。
そこを境に、新田の仕草や顔つきが微妙に変化する。
あまりにも自然過ぎるので、すぐには気づかないが、教会での能勢との会話で
横柄だった新田がごく自然に敬語を使っているのにハッとさせられる。
ラスト近く、ホテルマンの制服を脱いだ新田がホテルから出てくるとき。
軽やかで自由な奔放な足取り。
全身で語る役者だと仰ってたのは久世光彦さんだったか。
引きの画面でも表情がくっきり分かる。
マスカレードホテルは鈴木監督らしく、シンメトリーに拘った作りだが、
それは映像や小道具だけではない。
時間の流れ。
過去のバディと今のバディ。
真犯人とその動機。
過去の新田と今の新田。
もっと言うとキャスティングのとても重要なところで過去と未来が交差している。
マスカレードホテルのキャッチコピー「新HERO登場」。
深夜のぶっちゃけトークでお松が「また共演できますか?」と木村に質問したこと。
久利生から新田へ・・・バトンは渡されるのだろうか?
**************************
https://www.levi.jp
今日とつぜんTLに流れてきたリーバイスの新CM。
新しい予感が満ち満ちている。
でありながら、過去としっかり繋がっている。
リーバイス・エンジニアド・ジーンズ。
2000年、木村がイメージキャラクターを務めたCM。
2019年、再び。
今回の彼にはバディがいる。
2046で共演したフェイ・ウォンの娘さん。
CMのカッコよさに叫ばずに居られなかった。
22歳の女の子と、46歳の男。
久々に思い切りダンスする木村・・・歌筋もダンス筋も衰えず・笑
恋人でも親子でもない不思議な関係性に胸が高鳴る。
過去と今が繋がった。
あの頃の未来に、木村拓哉が戻ってきた。
楽しめたのは2回目かな。
初回は(風邪気味なのもあって)流れを追うのに持っていかれて余裕なし。
今日はディテールも見えてきて気づいたことが色々。
新田と山岸。
冒頭、タイトルが出てくるカットが象徴的だけど、背中合わせで距離感のある2人。
ラストでは目と目を合わせて向かい合い微笑み合う。
他にも印象深かったのが、夜のフロントで2人がお互いの決意を口にするシーン。
敢えて後ろから長回しで撮影されたのが、2人の表情を想像させる。
お芝居と後ろ姿の美しさを十二分に計算したカメラワーク。
だから、
「お客様に何かあったら(今の仕事を)やめます。」のアップがグッとくる。
新田が山岸に捜査状況を告げるシーンが屋上なのも面白い。
ホテルマンと刑事の距離感が一歩外に出たら一個人同士に変化するイメージで。
ウチとソト。
新田と能勢。
2人のシーンはほぼ横並びで、常に同じ方向を見ている。
新田の内面の変化がよく分かるのは能勢とのシーンで、最初は横柄だった新田が
教会で椅子に腰掛けて情報交換する場面ではホテルマンらしく敬語になる。
能勢は山岸とも同様のスタンスでいる。
彼は、ちょっと前は新田の相棒で、新田の人間性も見抜いている。
相棒=バディ。
山岸ー新田ー能勢。
過去と、今。
ラストで能勢は新田と山岸の間に座る。
三人は正三角形を描く。
ホテルに閉じ込められた新田と外の世界を繋ぎ、
ホテルを住処とする山岸と、外の世界に居た新田を繋いで、
新田と山岸が一つの線で繋がった時、能勢は身を引く。
過去と未来が繋がる。
木村と長澤まさみさんの相性抜群にいいですよね。
2人とも体のラインが美しくスーツが、時にセクシーに見える。
冒頭、濱田岳くん演じるわがままな客を、スイートルームに案内したシーン。
カツカツと歩いてくる山岸の、自信と威厳に満ちた足運び。
ラストの赤いドレス姿で歩いてくるときのエロス。
表情だけでなく、身体で、仕草で物語る女優さん。
木村とのやり取りの間の絶妙さで、クスッと笑わせたり。
「台本の読み方が同じ。」
・・・そうでないとああはいかないよね。
木村の新田。
いつもだけど、ちょっとした動きで印象をガラッと変えるんだよねぇ。
新田が大きく変化する場面は二つあって、
一つ目は目が不自由なふりをした老女・片桐の告白シーン。
二つ目は栗田の謝罪シーン。
そこを境に、新田の仕草や顔つきが微妙に変化する。
あまりにも自然過ぎるので、すぐには気づかないが、教会での能勢との会話で
横柄だった新田がごく自然に敬語を使っているのにハッとさせられる。
ラスト近く、ホテルマンの制服を脱いだ新田がホテルから出てくるとき。
軽やかで自由な奔放な足取り。
全身で語る役者だと仰ってたのは久世光彦さんだったか。
引きの画面でも表情がくっきり分かる。
マスカレードホテルは鈴木監督らしく、シンメトリーに拘った作りだが、
それは映像や小道具だけではない。
時間の流れ。
過去のバディと今のバディ。
真犯人とその動機。
過去の新田と今の新田。
もっと言うとキャスティングのとても重要なところで過去と未来が交差している。
マスカレードホテルのキャッチコピー「新HERO登場」。
深夜のぶっちゃけトークでお松が「また共演できますか?」と木村に質問したこと。
久利生から新田へ・・・バトンは渡されるのだろうか?
**************************
https://www.levi.jp
今日とつぜんTLに流れてきたリーバイスの新CM。
新しい予感が満ち満ちている。
でありながら、過去としっかり繋がっている。
リーバイス・エンジニアド・ジーンズ。
2000年、木村がイメージキャラクターを務めたCM。
2019年、再び。
今回の彼にはバディがいる。
2046で共演したフェイ・ウォンの娘さん。
CMのカッコよさに叫ばずに居られなかった。
22歳の女の子と、46歳の男。
久々に思い切りダンスする木村・・・歌筋もダンス筋も衰えず・笑
恋人でも親子でもない不思議な関係性に胸が高鳴る。
過去と今が繋がった。
あの頃の未来に、木村拓哉が戻ってきた。
初日、見ました。
細部まで作り込まれた豪華なセット。
煌びやかなキャスト。
鳴り響くオーケストラ。
遥か上空から急降下し、衝突寸前でふわりと着地したカメラは静止した次の瞬間、
前に後ろに左右自由自在に動き回りメリーゴーラウンドのように回転し、
軽い目眩を起こしそうなほどに揺れる。
何となく現実離れした虚飾と虚構の密室。
仮面を被って本音の見えない人たちが、ドアから入ってきては出て行く。
どことなく浮ついた人々の営み。
そんな空間に投げ込まれた密室殺人の予告。
精悍な顔立ちの目つきの悪い刑事は、美しく整えられた舞台に突然入り込んできた
無粋で不吉な灰色の現実。
虚構の舞台を守ろうとするホテルマンと役者の仮面を剥がそうとする刑事。
蜷川さんがかつて語ったという木村拓哉の放つ「ノイズ」を彼は、
髪を切ろうが制服を着ようが消えない「異物感」に巧みに変換した。
アップでも引きでも、真ん中でも隅っこでも、観客の目は彼を見つけ出す。
真っ白いシーツに付いた一点のしみのように。
新田と山岸は徐々にお互いを理解し尊重し合うが、最後の最後まで新田は
ホテルマンに成り切ることはできない。
すっと場に溶け込み馴染んでしまう能勢とは正反対に。
でも、それだからこそ、この映画は面白いし、刑事とホテルマンのバディという
突飛なペアリングが成立したんだと思う。
様々な人間模様が交差する。
交差しすぎるのと(原作がそうなのだから仕方ないが)、
カメラワークが奔放すぎるのと(細部を観察させてくれない)、
音楽が流れすぎるかな?と感じたのがマイナス要素。
欠点を差し引いても間違いなく映画館で見る価値がある面白さ。
・・・ネタバレしないで書くのに四苦八苦しますね。
長澤まさみちゃんの見事なプロポーションと凛とした佇まい。
ホテルマンの顔と女性としての顔の落差にハッとさせられます。
お松が共演ってのもいろんな意味で感無量。
2人ともメタルマクベスのマクベス夫人を演じてるんですよね。
新HERO誕生。
とても、とても意味深なコピーだなぁと。
何度も見たくなる。
細部まで作り込まれた豪華なセット。
煌びやかなキャスト。
鳴り響くオーケストラ。
遥か上空から急降下し、衝突寸前でふわりと着地したカメラは静止した次の瞬間、
前に後ろに左右自由自在に動き回りメリーゴーラウンドのように回転し、
軽い目眩を起こしそうなほどに揺れる。
何となく現実離れした虚飾と虚構の密室。
仮面を被って本音の見えない人たちが、ドアから入ってきては出て行く。
どことなく浮ついた人々の営み。
そんな空間に投げ込まれた密室殺人の予告。
精悍な顔立ちの目つきの悪い刑事は、美しく整えられた舞台に突然入り込んできた
無粋で不吉な灰色の現実。
虚構の舞台を守ろうとするホテルマンと役者の仮面を剥がそうとする刑事。
蜷川さんがかつて語ったという木村拓哉の放つ「ノイズ」を彼は、
髪を切ろうが制服を着ようが消えない「異物感」に巧みに変換した。
アップでも引きでも、真ん中でも隅っこでも、観客の目は彼を見つけ出す。
真っ白いシーツに付いた一点のしみのように。
新田と山岸は徐々にお互いを理解し尊重し合うが、最後の最後まで新田は
ホテルマンに成り切ることはできない。
すっと場に溶け込み馴染んでしまう能勢とは正反対に。
でも、それだからこそ、この映画は面白いし、刑事とホテルマンのバディという
突飛なペアリングが成立したんだと思う。
様々な人間模様が交差する。
交差しすぎるのと(原作がそうなのだから仕方ないが)、
カメラワークが奔放すぎるのと(細部を観察させてくれない)、
音楽が流れすぎるかな?と感じたのがマイナス要素。
欠点を差し引いても間違いなく映画館で見る価値がある面白さ。
・・・ネタバレしないで書くのに四苦八苦しますね。
長澤まさみちゃんの見事なプロポーションと凛とした佇まい。
ホテルマンの顔と女性としての顔の落差にハッとさせられます。
お松が共演ってのもいろんな意味で感無量。
2人ともメタルマクベスのマクベス夫人を演じてるんですよね。
新HERO誕生。
とても、とても意味深なコピーだなぁと。
何度も見たくなる。
来週の今ごろは「マスカレードホテル」見終わって感想書いてそうですね。
2018年、役者仕事はBG一本のみ。
一昨年は無限の住人が公開中なのに検察側の罪人が発表されて、撮り終わった?
くらいのタイミングでマスカレードホテルの発表があったので、
最低でも年にドラマ一本、映画一本(できたら二本)と勝手に思ってたので、
しょーじき・・・肩透かし食らった感は否めません。
でも毎週FLOWと木村さ〜〜ん!!があるので、不安感は無い。
ワッツが終わってFLOWが始まり、同時に木村さ〜〜ん!!が配信され、
検察側の罪人の公開に合わせて二宮くんとの怒涛のツーショット、
Netflixの「Jimmy」にカメオ出演し、ゲームの主人公になって、
台湾と韓国へ飛び、weiboを始めてすでにフォロワーが66万人突破。
そして今、マスカレードホテルで再び怒涛の露出。
そうそう、ネット配信のCMがとっても良かったんだよね。
西武そごうのハートのクリスマス。
なんども繰り返し見て泣きそうになってました。
笑顔に。
初見では子供使ったあざといやつ?と思ってたのだけど、ロングバージョンがね。
クリスマスの妖精とギターを抱えた魔法使いのプレゼント。
幸せしかない世界。
2017年「新人」と自ら名乗り再スタート切った彼は「役者になりたい」言葉通りに
立て続けに映画にのめり込み、自らの決意を示した。
2018年は事務所のネット解禁と連動するようにWeb番組に進出し、
FLOWで関わりの深い人たちとの会話で日頃は見えない姿を披露し、
ゲームで今までキムタクに関心の無かった層にアピールし、
アジアへ飛び、中国語圏へと活動の場を広げようとしている…
ジャッジアイズが決まった経緯が、無限の住人と同じような流れなのも興味深い。
ALEXANDROSのMVゲスト出演なんてまさにで、フットワークの軽さに驚く。
面白い!と思ったらすぐ実行できるよう、陰で支えてる人たちも優秀なんだろうし。
「求められれば赴く」の意味は、オファーがあるまでじっと待ってるというより、
オファーの中から本気で自分を求めているもの、必要とされる企画を選んで
積極的に参加していくって事なんだろうな。
2017年から2018年のお仕事を俯瞰で眺めて気づくのは、一貫して
「男っぽさ」「骨っぽさ」のあるものをチョイスしてること。
SMAP時代のチャラい感じは影を潜め、むしろ素の木村拓哉に近い気もする。
常に「むき身」で仮面を被らず時には傷つくけど前に進む。
先日のモニタリングで「何をやってもキムタクと言われる」との発言を見て、
ああ、もう木村の中では決着のついたことなんだろうなぁと思った。
アイドル降りたから、素のままで発言できるのだろうし。
スターと呼ばれるのが好きじゃないのも同じような理由かなと思うし。
キムタクでも木村拓哉でもいいから、肩書きのない自分を見て欲しい。かな?
2年かけて足元を固めてきて、いよいよエンジン全開になるのだろうか。
今朝Twitterで見かけて、これは!と思い、スポーツ報知を買ってきた。
インタビューで彼はこんなことを言っていた。
今までが古かった。
同じことをずっとやり続けていた、透明な壁があった。
「今が普通。」
そうそう!そうなのよ!
今の木村はすごく木村らしいと感じる。
アイドルの肩書きやジャニーズ事務所のステレオタイプに囚われず、
キムタク或いは木村拓哉というジャンルで居ると感じていた頃の。
こうも言えるかもしれない。
木村拓哉が居るべき場所に戻ってきたと。
2018年、役者仕事はBG一本のみ。
一昨年は無限の住人が公開中なのに検察側の罪人が発表されて、撮り終わった?
くらいのタイミングでマスカレードホテルの発表があったので、
最低でも年にドラマ一本、映画一本(できたら二本)と勝手に思ってたので、
しょーじき・・・肩透かし食らった感は否めません。
でも毎週FLOWと木村さ〜〜ん!!があるので、不安感は無い。
ワッツが終わってFLOWが始まり、同時に木村さ〜〜ん!!が配信され、
検察側の罪人の公開に合わせて二宮くんとの怒涛のツーショット、
Netflixの「Jimmy」にカメオ出演し、ゲームの主人公になって、
台湾と韓国へ飛び、weiboを始めてすでにフォロワーが66万人突破。
そして今、マスカレードホテルで再び怒涛の露出。
そうそう、ネット配信のCMがとっても良かったんだよね。
西武そごうのハートのクリスマス。
なんども繰り返し見て泣きそうになってました。
笑顔に。
初見では子供使ったあざといやつ?と思ってたのだけど、ロングバージョンがね。
クリスマスの妖精とギターを抱えた魔法使いのプレゼント。
幸せしかない世界。
2017年「新人」と自ら名乗り再スタート切った彼は「役者になりたい」言葉通りに
立て続けに映画にのめり込み、自らの決意を示した。
2018年は事務所のネット解禁と連動するようにWeb番組に進出し、
FLOWで関わりの深い人たちとの会話で日頃は見えない姿を披露し、
ゲームで今までキムタクに関心の無かった層にアピールし、
アジアへ飛び、中国語圏へと活動の場を広げようとしている…
ジャッジアイズが決まった経緯が、無限の住人と同じような流れなのも興味深い。
ALEXANDROSのMVゲスト出演なんてまさにで、フットワークの軽さに驚く。
面白い!と思ったらすぐ実行できるよう、陰で支えてる人たちも優秀なんだろうし。
「求められれば赴く」の意味は、オファーがあるまでじっと待ってるというより、
オファーの中から本気で自分を求めているもの、必要とされる企画を選んで
積極的に参加していくって事なんだろうな。
2017年から2018年のお仕事を俯瞰で眺めて気づくのは、一貫して
「男っぽさ」「骨っぽさ」のあるものをチョイスしてること。
SMAP時代のチャラい感じは影を潜め、むしろ素の木村拓哉に近い気もする。
常に「むき身」で仮面を被らず時には傷つくけど前に進む。
先日のモニタリングで「何をやってもキムタクと言われる」との発言を見て、
ああ、もう木村の中では決着のついたことなんだろうなぁと思った。
アイドル降りたから、素のままで発言できるのだろうし。
スターと呼ばれるのが好きじゃないのも同じような理由かなと思うし。
キムタクでも木村拓哉でもいいから、肩書きのない自分を見て欲しい。かな?
2年かけて足元を固めてきて、いよいよエンジン全開になるのだろうか。
今朝Twitterで見かけて、これは!と思い、スポーツ報知を買ってきた。
インタビューで彼はこんなことを言っていた。
今までが古かった。
同じことをずっとやり続けていた、透明な壁があった。
「今が普通。」
そうそう!そうなのよ!
今の木村はすごく木村らしいと感じる。
アイドルの肩書きやジャニーズ事務所のステレオタイプに囚われず、
キムタク或いは木村拓哉というジャンルで居ると感じていた頃の。
こうも言えるかもしれない。
木村拓哉が居るべき場所に戻ってきたと。
ハッピーバースデー、46歳。
2018年11月13日 キムラさん コメント (4)またこの日が巡ってきました。
木村拓哉が木村拓哉で居てくれるってことがどんなに尊くて素晴らしい、
奇蹟のようなことなのか。
毎年しみじみと幸せな気分とともに実感します。
今年はBG以外ドラマも映画も撮影がなかった(まだ一ヶ月半あるけど)けど、
FLOWが始まり木村さ〜〜ん!!が始まり、
ジャッジアイズでゲームキャラに変身して、
アレクサンドロスのMVに出演し。
西武そごうのクリスマスCMは素敵すぎて見るたびに涙が出そうになるし。
そして検察側の罪人ですよ。
同じ事務所の二宮くんと共演して話題になったばかりでなく、
最上という役がShitao以来の超弩級にハマってしまったキャラクターでした。
たぶん45歳は、新しいステップに軽やかに踏み出す年だったんだなぁと。
そして今朝、kokiちゃんが投稿したインスタの一枚が素晴らしすぎて。
澄んだ青空をバックに浮かび上がる男女のシルエット。
女は少し頭をそらせて高くてどこまでも広がる空を見ている。
男はその腰を抱いてしっかりと支えている。
二人がとても美しい姿をしているのは、その完璧なフォルムでよく分かる。
後光のように差し込む輝く光。
FunkyでFunnyなお父さん。
型破りでカッコよく、楽しくてちょっと風変わりな。
誰にも似てない、私の、パパ。
美しいひと、美しい情景。
木村拓哉は今、幸せなんだなぁ。
彼の未来に愛と希望が溢れますように。
https://youtu.be/Bf6waeFNGok
木村拓哉が木村拓哉で居てくれるってことがどんなに尊くて素晴らしい、
奇蹟のようなことなのか。
毎年しみじみと幸せな気分とともに実感します。
今年はBG以外ドラマも映画も撮影がなかった(まだ一ヶ月半あるけど)けど、
FLOWが始まり木村さ〜〜ん!!が始まり、
ジャッジアイズでゲームキャラに変身して、
アレクサンドロスのMVに出演し。
西武そごうのクリスマスCMは素敵すぎて見るたびに涙が出そうになるし。
そして検察側の罪人ですよ。
同じ事務所の二宮くんと共演して話題になったばかりでなく、
最上という役がShitao以来の超弩級にハマってしまったキャラクターでした。
たぶん45歳は、新しいステップに軽やかに踏み出す年だったんだなぁと。
そして今朝、kokiちゃんが投稿したインスタの一枚が素晴らしすぎて。
澄んだ青空をバックに浮かび上がる男女のシルエット。
女は少し頭をそらせて高くてどこまでも広がる空を見ている。
男はその腰を抱いてしっかりと支えている。
二人がとても美しい姿をしているのは、その完璧なフォルムでよく分かる。
後光のように差し込む輝く光。
FunkyでFunnyなお父さん。
型破りでカッコよく、楽しくてちょっと風変わりな。
誰にも似てない、私の、パパ。
美しいひと、美しい情景。
木村拓哉は今、幸せなんだなぁ。
彼の未来に愛と希望が溢れますように。
https://youtu.be/Bf6waeFNGok
ホームビデオの映像の中で制服姿の少女が笑う。
短いスカートの裾がふわりと翻ってカメラをからかうように駆け出す。
草の上に寝そべってこっちを見て微笑む。
少女は特別美しくもセクシーでもないけれど、気まぐれで屈託のない振る舞いは
ホームビデオで撮られたのであろうその映像の中で輝いている。
カメラは少女に恋してる。
彼女の名前は久住由季。
誕生日が同じという理由でダイナ・ワシントンの「Cry Me a River」に夢中になる。
15歳にしては大人びた、自分の世界を持っている女の子だったろう。
たぶん内気でロマンチストな最上には、自由奔放な由季は眩しすぎた。
四六時中いつもずっと眺めていたい。
細い指先からすらりと伸びた脚、弾む髪の先まで隈なく焼き付けたい。
カメラは最上の目になって由季を追いかける。
同じ寮に住む仲間との絆。
大家族みたいな寮生活。
輝くような日々の真ん中に、由季がいる。
胸に秘めた強い想いは日々強く確かに膨れ上がっていく。
最上の中で由季はもはやただの少女ではない。
最も輝かしい季節の笑顔と光と幸せの象徴だった。
検察側の罪人のパンフレットのインタビュー。
木村は最上の由季への気持ちを「すごく繊細でナイーブと感じた」という。
純白で、例えるなら自然に木になった果実のような存在だと。
この例えが最上の心理を見事に表現している。
彼の内的な世界をイメージする。
澄んだ空。広々とした緑の草地の真ん中に一本の樹。
日差しをきらきら反射する葉の陰に、熟しきっていない果実。
・・・木村の言葉のイメージはアダムとイヴの林檎を連想させる。
均整のとれた完璧な球形、わずかに赤みがかった艶やかな色。
林檎の樹の姿は完璧すぎ、その実をもぎ取るには最上は繊細すぎた。
それを松倉は枝ごと折り取って果実を踏みにじったのだ、と。
アダムとイヴは蛇に化身した悪魔に唆され、林檎を齧って楽園を追放された。
松倉はそれ以上のことをしたのだ。
一番美しかった思い出、幸せの記憶そのものが土足で踏みにじられたのだ。
その知らせを聞いた時、彼は駆け出しの検察官だったかもしれない。
法に携わり罪を暴き、罰する立場にありながら、何もできない無力感。
時効が成立した時、全てを破壊した怪物に裁きを下す望みも潰えた。
木村はこうも言っている。
「自分としては最上に賛成できないと演じるのが難しい。」
だから彼に同意できる感情を探していきました、と。
役の感情を「理解する」のと「同意する」のとは恐らく似て非なる感覚で、
木村のやり方は役の行動を理解し、伝わるようお芝居を組み立てるのではなく
役の感情に同意できる糸口を探し、その感情を手掛かりとして役の中に入り、
最上として感じ、考え、行動する。
その糸口になったのが由季への想いだと、彼は言う。
家族でも恋人でもなかった少女への、強い想いから人を殺める男。
彼を突き動かす怒りの原動力は、生身の久住由季という少女ではない。
彼女を中心に創造された幻の楽園。
最上の中にあった幸せの記憶そのものを、土足で踏みにじられた怒りだと
木村は感じ取ったのだと思う。
林檎の樹は枯れて褪せた灰色の白骨じみた姿。
最上の心の奥には荒廃した虚無の暗闇が広がっているのかも知れない。
美しい姿と深い声を持ち、ヤクザでさえ一目置く辣腕の検事でありながら、
女たちは彼をなんとなく敬遠し疎ましく感じ、距離をおく。
年上の妻。血の繋がっていない年頃の娘。沖野の事務官、橘。
人を愛せない男。
彼の中の闇を、女は本能的に嗅ぎ分けるのかも知れない。
男たちは彼に惹きつけられてゆく。
彼の抱えた孤独と闇の深さに。
「本当の正義を探せ。そして実現してくれ。俺の為にも。」
日本の政界を揺るがすだろう数冊のノートと、遺言代わりの映像。
それは丹野の信頼と愛情の証であり、もしかすると復讐かもしれない。
彼は結婚に反対した。
「結婚は出世の手段でしかない。」
「何が悲しくて子連れの年上の女など。」
汚れきって壊れかけた世界に絶望し、彼は命を絶った。
諏訪部。
「先生。俺がクイズを出す。エア麻雀で俺に勝ったら調書にサインしてやるよ。」
負けたら?
「その時は先生。私のポチになってもらうよ。」
彼は受けて立ち、そして勝った。
あれが。 と最上は考えるたかもしれない。
あの時・・・挑発に乗って勝負した時、運命が決まった。
諏訪部の父は太平洋戦争末期、悪名高きインパール作戦に参加し、生還した。
最上の祖父もその一人だ。
同じルーツを持ち同じ記憶を共有する二人。
夥しい血と白骨が散らばるジャングルの獣道を延々と歩き続ける、希望なき生。
生きながら死んでいる、心の闇を抱えながら。
諏訪部は知っている。
最上の中に終わりのない白骨街道が続いていることを。
彼はメフィストフェレスであり、最上の保護者である。
諏訪部が銃を用意し、丹野が引き金を引かせた。
法で裁けない怪物を裁きの場に引き出す為、は言い訳に過ぎない。
彼は復讐したのだ。
永遠に失われた楽園の面影が、それで少しは取り戻せるかもしれない、と。
命を賭けて自分の存在を刻み込んだ丹野。
望めばどんなことでも叶えてやると約束する諏訪部。
一線を超えさせたのは丹野と諏訪部の、最上への執着ではなかったか。
最上のささやかな希望を打ち砕いた沖野は皮肉にも由季と同じ誕生日だった。
かつては最上に憧れ、野心に燃えて赴任した彼を、最上は威圧し、利用した。
沖野は疲弊し、失望し、最後には絶望して彼の元を去った。
彼は自らの正義を信じ、最上に闘いを挑んで勝利する。
しかし松倉の事故死と共にその陶酔も無に帰す。
最上の誘いを、沖野はなぜ断らなかったのか。
悪魔の囁きと知りながら。
最上は知っていた。
沖野が自分を拒まないだろうと。
由季と沖野は同じ誕生日なのだから。
自分が由季と分かち難く結びついたように。
それは最上の内的世界の話であり、現実とはまた別の世界線の出来事な筈だが
徐々に正気を喪いつつある最上にはもうどうでもいい話である。
現実に沖野は最上を訪ねてくる。
弓岡と松倉の死の影に最上がいると知りながら。
彼もまた、最上の闇に惹きつけられて行く。
悪魔の囁きが彼を捉え、後戻りできない世界へ踏み入れた絶望が彼を叫ばせる。
三人の男が最上に吸い寄せられて分かち難く結ばれる。
しかし最上の目は、誰も見てはいない。
彼は自分の内なる虚無を見つめている。
枯れて乾ききった灰色の、白骨の色をした林檎の樹を。
短いスカートの裾がふわりと翻ってカメラをからかうように駆け出す。
草の上に寝そべってこっちを見て微笑む。
少女は特別美しくもセクシーでもないけれど、気まぐれで屈託のない振る舞いは
ホームビデオで撮られたのであろうその映像の中で輝いている。
カメラは少女に恋してる。
彼女の名前は久住由季。
誕生日が同じという理由でダイナ・ワシントンの「Cry Me a River」に夢中になる。
15歳にしては大人びた、自分の世界を持っている女の子だったろう。
たぶん内気でロマンチストな最上には、自由奔放な由季は眩しすぎた。
四六時中いつもずっと眺めていたい。
細い指先からすらりと伸びた脚、弾む髪の先まで隈なく焼き付けたい。
カメラは最上の目になって由季を追いかける。
同じ寮に住む仲間との絆。
大家族みたいな寮生活。
輝くような日々の真ん中に、由季がいる。
胸に秘めた強い想いは日々強く確かに膨れ上がっていく。
最上の中で由季はもはやただの少女ではない。
最も輝かしい季節の笑顔と光と幸せの象徴だった。
検察側の罪人のパンフレットのインタビュー。
木村は最上の由季への気持ちを「すごく繊細でナイーブと感じた」という。
純白で、例えるなら自然に木になった果実のような存在だと。
この例えが最上の心理を見事に表現している。
彼の内的な世界をイメージする。
澄んだ空。広々とした緑の草地の真ん中に一本の樹。
日差しをきらきら反射する葉の陰に、熟しきっていない果実。
・・・木村の言葉のイメージはアダムとイヴの林檎を連想させる。
均整のとれた完璧な球形、わずかに赤みがかった艶やかな色。
林檎の樹の姿は完璧すぎ、その実をもぎ取るには最上は繊細すぎた。
それを松倉は枝ごと折り取って果実を踏みにじったのだ、と。
アダムとイヴは蛇に化身した悪魔に唆され、林檎を齧って楽園を追放された。
松倉はそれ以上のことをしたのだ。
一番美しかった思い出、幸せの記憶そのものが土足で踏みにじられたのだ。
その知らせを聞いた時、彼は駆け出しの検察官だったかもしれない。
法に携わり罪を暴き、罰する立場にありながら、何もできない無力感。
時効が成立した時、全てを破壊した怪物に裁きを下す望みも潰えた。
木村はこうも言っている。
「自分としては最上に賛成できないと演じるのが難しい。」
だから彼に同意できる感情を探していきました、と。
役の感情を「理解する」のと「同意する」のとは恐らく似て非なる感覚で、
木村のやり方は役の行動を理解し、伝わるようお芝居を組み立てるのではなく
役の感情に同意できる糸口を探し、その感情を手掛かりとして役の中に入り、
最上として感じ、考え、行動する。
その糸口になったのが由季への想いだと、彼は言う。
家族でも恋人でもなかった少女への、強い想いから人を殺める男。
彼を突き動かす怒りの原動力は、生身の久住由季という少女ではない。
彼女を中心に創造された幻の楽園。
最上の中にあった幸せの記憶そのものを、土足で踏みにじられた怒りだと
木村は感じ取ったのだと思う。
林檎の樹は枯れて褪せた灰色の白骨じみた姿。
最上の心の奥には荒廃した虚無の暗闇が広がっているのかも知れない。
美しい姿と深い声を持ち、ヤクザでさえ一目置く辣腕の検事でありながら、
女たちは彼をなんとなく敬遠し疎ましく感じ、距離をおく。
年上の妻。血の繋がっていない年頃の娘。沖野の事務官、橘。
人を愛せない男。
彼の中の闇を、女は本能的に嗅ぎ分けるのかも知れない。
男たちは彼に惹きつけられてゆく。
彼の抱えた孤独と闇の深さに。
「本当の正義を探せ。そして実現してくれ。俺の為にも。」
日本の政界を揺るがすだろう数冊のノートと、遺言代わりの映像。
それは丹野の信頼と愛情の証であり、もしかすると復讐かもしれない。
彼は結婚に反対した。
「結婚は出世の手段でしかない。」
「何が悲しくて子連れの年上の女など。」
汚れきって壊れかけた世界に絶望し、彼は命を絶った。
諏訪部。
「先生。俺がクイズを出す。エア麻雀で俺に勝ったら調書にサインしてやるよ。」
負けたら?
「その時は先生。私のポチになってもらうよ。」
彼は受けて立ち、そして勝った。
あれが。 と最上は考えるたかもしれない。
あの時・・・挑発に乗って勝負した時、運命が決まった。
諏訪部の父は太平洋戦争末期、悪名高きインパール作戦に参加し、生還した。
最上の祖父もその一人だ。
同じルーツを持ち同じ記憶を共有する二人。
夥しい血と白骨が散らばるジャングルの獣道を延々と歩き続ける、希望なき生。
生きながら死んでいる、心の闇を抱えながら。
諏訪部は知っている。
最上の中に終わりのない白骨街道が続いていることを。
彼はメフィストフェレスであり、最上の保護者である。
諏訪部が銃を用意し、丹野が引き金を引かせた。
法で裁けない怪物を裁きの場に引き出す為、は言い訳に過ぎない。
彼は復讐したのだ。
永遠に失われた楽園の面影が、それで少しは取り戻せるかもしれない、と。
命を賭けて自分の存在を刻み込んだ丹野。
望めばどんなことでも叶えてやると約束する諏訪部。
一線を超えさせたのは丹野と諏訪部の、最上への執着ではなかったか。
最上のささやかな希望を打ち砕いた沖野は皮肉にも由季と同じ誕生日だった。
かつては最上に憧れ、野心に燃えて赴任した彼を、最上は威圧し、利用した。
沖野は疲弊し、失望し、最後には絶望して彼の元を去った。
彼は自らの正義を信じ、最上に闘いを挑んで勝利する。
しかし松倉の事故死と共にその陶酔も無に帰す。
最上の誘いを、沖野はなぜ断らなかったのか。
悪魔の囁きと知りながら。
最上は知っていた。
沖野が自分を拒まないだろうと。
由季と沖野は同じ誕生日なのだから。
自分が由季と分かち難く結びついたように。
それは最上の内的世界の話であり、現実とはまた別の世界線の出来事な筈だが
徐々に正気を喪いつつある最上にはもうどうでもいい話である。
現実に沖野は最上を訪ねてくる。
弓岡と松倉の死の影に最上がいると知りながら。
彼もまた、最上の闇に惹きつけられて行く。
悪魔の囁きが彼を捉え、後戻りできない世界へ踏み入れた絶望が彼を叫ばせる。
三人の男が最上に吸い寄せられて分かち難く結ばれる。
しかし最上の目は、誰も見てはいない。
彼は自分の内なる虚無を見つめている。
枯れて乾ききった灰色の、白骨の色をした林檎の樹を。
二宮和也さんは「ニノミヤ カズナリ」さんで「ニノミヤ カズヤ」さんは間違い。
私自身、ジャニーズの後輩諸氏については知識なかったですし、
検察側の罪人のお仕事が発表された時は「またよりによってややこしい・・・」
が本音でした。
が。
検察側の罪人のお芝居を見て、あー・・・なるほど。
良い役者さんなんだなぁと。
あの、例の取り調べシーンが話題ですけど、確かに凄いんだけど、
とっても舞台っぽいお芝居で、たぶん松倉役の酒向さんとのバランスでしょうけど、
全体から見たら何となく浮き上がってしまうかなー、なんて。
や、シーンだけで見たら全くそんな感じないですし、あのセリフを一気には
鍛錬を重ねた役者さんにしかできない鬼気迫るすごいお芝居ですし。
個人的には最上を見る沖野の目線の奥にある感情の揺らぎ・・・尊敬と畏怖が
疑問に変わり、不審と反感へ、そして絶望への動きの表現が素晴らしいなと。
二宮くんのフィルモグラフィでちらっとだけ見た「硫黄島からの手紙」
パンっと銃が発射され誰かが絶命する場面の、モノクロのバストアップで、
無表情のまま、頬にツーっと涙が流れるのを見て、素晴らしいなぁと思いました。
ああいう繊細なお芝居のうまい役者さんじゃないのかしら。
彼は「台本は自分のところだけ読む。」と聞いたことがあるんだけど、
いやいやいや。
映画監督を目指す人がそれはあり得ないでしょう?と思っていたら。
Switchインタビュー 達人達。
「波動の魔術師」落合陽一さんとの対談で、ぽろっと。
台本を読んで、どうしても違和感があるところは監督と話す。
・・・やっぱりきっちり読み込んでますよね、この方。
それを、ストレートに言わないとこも含めて、面白いなぁと思いました。
で、役が入るのは現場のみで引きずらないと。
そう自分で思いたいと・・・現場の前・後で役を引きずってる自分を感じると
何となく照れがある、と自己分析してました。
同じことを木村もずーっと言ってたなぁと思い出しました。
ヲタである私(たち)から見たら役に入ると空気感まで変わってるのに
本人は断固として認めなくて。
役を引きずると認めたのってたぶんここ3年くらいな気がします。
自分は嵐のメンバーなので「俳優」のカテゴリーに当てはまらない気がする。
アイドルであり俳優である。
そんな立場の自分(たち)を総称する呼称はまだない、と。
二宮くんの話を聞きながらどうしても木村の事を連想してしまう。
なので、私にとって彼の言葉は木村の内面を理解するとっかかりみたいな
・・・そんな気持ちすらありました。
映画の宣伝で二人で登場する機会が多いので、二人のやり取りを観察すると、
木村は、二宮くんとの出演の時は総じてリラックス度が高い。
例えば二宮くん、目の前に木村が居ても普通に褒めるんですけど、その時の
木村の反応を見て、アレ?と。
彼、褒められるとよく いやいや。って否定するように首を振ったり完全に無表情に
なってしまうパターンが多かった。
(そのせいで感じ悪い!と度々叩かれたり)
話の着地点によっては白々しい空気になるのが分かってただろうし、
腫れ物扱いされてるような気分になってたのかもしれないし。
(わざとそういう方向性に持って言ってると分かるのもしばしば)
・・・人の感情やその場の空気にものすごく敏感ですからね。木村は。
それが、二宮くんの褒め言葉には普通に聞き流してる感じで。
いたたまれないような、辛い空気感がない。
二宮くんも「本人は嫌がるだろうけど」ってちゃんと言ってるんだよね。
空気を悪くしないトークの持って生きかた・着地点を分かってるから、
木村も安心して聞いてられるんだろうなーと。
共演が実現して良かったです。
出なきゃ二宮くんが賢くて興味深い人だと知ることもなかったでしょう。
さて、明日はLV付きの「検察側の罪人」です。
二人でどんなやり取りをするのか。
楽しみ。
明日は3回目の鑑賞です。
観終わった後、どんな気持ちになるだろう。
あの濃密で秘めやかな・・・妖しくて悲しくて、やがて恐ろしいあの世界へ
どっぷり溺れてこようと思っています。
私自身、ジャニーズの後輩諸氏については知識なかったですし、
検察側の罪人のお仕事が発表された時は「またよりによってややこしい・・・」
が本音でした。
が。
検察側の罪人のお芝居を見て、あー・・・なるほど。
良い役者さんなんだなぁと。
あの、例の取り調べシーンが話題ですけど、確かに凄いんだけど、
とっても舞台っぽいお芝居で、たぶん松倉役の酒向さんとのバランスでしょうけど、
全体から見たら何となく浮き上がってしまうかなー、なんて。
や、シーンだけで見たら全くそんな感じないですし、あのセリフを一気には
鍛錬を重ねた役者さんにしかできない鬼気迫るすごいお芝居ですし。
個人的には最上を見る沖野の目線の奥にある感情の揺らぎ・・・尊敬と畏怖が
疑問に変わり、不審と反感へ、そして絶望への動きの表現が素晴らしいなと。
二宮くんのフィルモグラフィでちらっとだけ見た「硫黄島からの手紙」
パンっと銃が発射され誰かが絶命する場面の、モノクロのバストアップで、
無表情のまま、頬にツーっと涙が流れるのを見て、素晴らしいなぁと思いました。
ああいう繊細なお芝居のうまい役者さんじゃないのかしら。
彼は「台本は自分のところだけ読む。」と聞いたことがあるんだけど、
いやいやいや。
映画監督を目指す人がそれはあり得ないでしょう?と思っていたら。
Switchインタビュー 達人達。
「波動の魔術師」落合陽一さんとの対談で、ぽろっと。
台本を読んで、どうしても違和感があるところは監督と話す。
・・・やっぱりきっちり読み込んでますよね、この方。
それを、ストレートに言わないとこも含めて、面白いなぁと思いました。
で、役が入るのは現場のみで引きずらないと。
そう自分で思いたいと・・・現場の前・後で役を引きずってる自分を感じると
何となく照れがある、と自己分析してました。
同じことを木村もずーっと言ってたなぁと思い出しました。
ヲタである私(たち)から見たら役に入ると空気感まで変わってるのに
本人は断固として認めなくて。
役を引きずると認めたのってたぶんここ3年くらいな気がします。
自分は嵐のメンバーなので「俳優」のカテゴリーに当てはまらない気がする。
アイドルであり俳優である。
そんな立場の自分(たち)を総称する呼称はまだない、と。
二宮くんの話を聞きながらどうしても木村の事を連想してしまう。
なので、私にとって彼の言葉は木村の内面を理解するとっかかりみたいな
・・・そんな気持ちすらありました。
映画の宣伝で二人で登場する機会が多いので、二人のやり取りを観察すると、
木村は、二宮くんとの出演の時は総じてリラックス度が高い。
例えば二宮くん、目の前に木村が居ても普通に褒めるんですけど、その時の
木村の反応を見て、アレ?と。
彼、褒められるとよく いやいや。って否定するように首を振ったり完全に無表情に
なってしまうパターンが多かった。
(そのせいで感じ悪い!と度々叩かれたり)
話の着地点によっては白々しい空気になるのが分かってただろうし、
腫れ物扱いされてるような気分になってたのかもしれないし。
(わざとそういう方向性に持って言ってると分かるのもしばしば)
・・・人の感情やその場の空気にものすごく敏感ですからね。木村は。
それが、二宮くんの褒め言葉には普通に聞き流してる感じで。
いたたまれないような、辛い空気感がない。
二宮くんも「本人は嫌がるだろうけど」ってちゃんと言ってるんだよね。
空気を悪くしないトークの持って生きかた・着地点を分かってるから、
木村も安心して聞いてられるんだろうなーと。
共演が実現して良かったです。
出なきゃ二宮くんが賢くて興味深い人だと知ることもなかったでしょう。
さて、明日はLV付きの「検察側の罪人」です。
二人でどんなやり取りをするのか。
楽しみ。
明日は3回目の鑑賞です。
観終わった後、どんな気持ちになるだろう。
あの濃密で秘めやかな・・・妖しくて悲しくて、やがて恐ろしいあの世界へ
どっぷり溺れてこようと思っています。
いよいよ明日ですね。
昨日は秀逸なインタビュー二本。
宇多丸さんの「アフター6ジャンクション」
木村拓哉を「革命的アイドル」と呼び、その武器は声だと言い切る。
宇多丸さん自身がミュージシャンでもあるので例えが秀逸。
ラッパーだけあってトークのリズムも、言葉の響きも、ノリがいいせいか?
木村がいつもよりずっと軽やかに、歯切れよく話してくれてましたね。
彼の考える「キムタク感」、木村のお芝居が時に醸し出す「ノイズ」。
よくみてらっしゃるなぁ・・・役者としての木村拓哉を。
アドリブについての下りでの、「口パクじゃねーぞ!」には笑ってしまった。
ですよね。 そうだと思ってた。
この声。
すでにインタビューで読んだ話題でも、
高い音と低い音が重なったようなあの声で話されると、言葉に色が付く。
場面が浮かぶ。人が生き生きと描き出される。
とりわけ最上を「二刀流」だと。 ここ、すごく想像の膨らむ言葉のチョイス。
そうそう、宇多丸さんが「後悔・反省してる作品はないか?」と斬り込んだ時、
ヤマトだな。と思いました。しかし木村がすらっとかわしたので、意を決して真っ向
ぶつけたような気がします。
正直、「スポーツマン山田」の話題は当時は愉快なものではなかったけれど、
好き嫌いじゃないんだなぁとはっきりと分かりました。
役者の木村拓哉に期待する故のもどかしさかな、などと考えてみたり。
それも、木村の器の大きさを見定めてのことでしょうし。
相手の本気を、直感的に見抜く人ですから・・・本気のインタビュアーには
手加減なしで応える。
だから昨日のインタビューは手練れ同士の丁々発止の勝負のようでした。
ZERO。
二宮くんって割とトリッキーな投げかけする人だなぁと。
思いつきで喋ってるようで、しっかり計算してる。
「(木村は)カリスマ」 間髪入れずの「片付けただろ。」
先輩後輩の関係性に共演者。
そのバランスを正確に読みきって投げかけしてるなぁってとこと、
質問が直感的にチョイスしたっぽいのも、彼はクレバーだねぇ。
「ヒリヒリするの好きでしょ?」 ・・・すごく分かる。
最後の質問がね、来たな!と。
あれを聞いた人、初めてじゃ無いかしら。
「求められなくなったら俳優をやめる。」
サラッと。
きっぱりと。
言い切ったね。
二宮くんがやや焦って見えたんですけど、どうでしょう。
・・・実はある時期、考えてたんですよ。
SMAPが存在してた頃。
彼は、近い将来スパッと芸能界からもこの国からも消えてしまうかも、と。
青い海と深い緑に包まれた場所で自然と調和して心安らかに平和に生きる姿。
ananやAERAのグラビアのような・・・エネルギーに満ちた緑の中で。
でもまだまだ彼は大丈夫かな。
ヒリヒリ・ゾクゾクしたい人だから。
求める人は無数に居ますし。
それにしても。
会話に出て来るあのこと・このこと。
その答え合わせを明日、この目で見るのが楽しみであり怖くもあり。
初めてだよ。見るのが少し怖い映画なんて。
昨日は秀逸なインタビュー二本。
宇多丸さんの「アフター6ジャンクション」
木村拓哉を「革命的アイドル」と呼び、その武器は声だと言い切る。
宇多丸さん自身がミュージシャンでもあるので例えが秀逸。
ラッパーだけあってトークのリズムも、言葉の響きも、ノリがいいせいか?
木村がいつもよりずっと軽やかに、歯切れよく話してくれてましたね。
彼の考える「キムタク感」、木村のお芝居が時に醸し出す「ノイズ」。
よくみてらっしゃるなぁ・・・役者としての木村拓哉を。
アドリブについての下りでの、「口パクじゃねーぞ!」には笑ってしまった。
ですよね。 そうだと思ってた。
この声。
すでにインタビューで読んだ話題でも、
高い音と低い音が重なったようなあの声で話されると、言葉に色が付く。
場面が浮かぶ。人が生き生きと描き出される。
とりわけ最上を「二刀流」だと。 ここ、すごく想像の膨らむ言葉のチョイス。
そうそう、宇多丸さんが「後悔・反省してる作品はないか?」と斬り込んだ時、
ヤマトだな。と思いました。しかし木村がすらっとかわしたので、意を決して真っ向
ぶつけたような気がします。
正直、「スポーツマン山田」の話題は当時は愉快なものではなかったけれど、
好き嫌いじゃないんだなぁとはっきりと分かりました。
役者の木村拓哉に期待する故のもどかしさかな、などと考えてみたり。
それも、木村の器の大きさを見定めてのことでしょうし。
相手の本気を、直感的に見抜く人ですから・・・本気のインタビュアーには
手加減なしで応える。
だから昨日のインタビューは手練れ同士の丁々発止の勝負のようでした。
ZERO。
二宮くんって割とトリッキーな投げかけする人だなぁと。
思いつきで喋ってるようで、しっかり計算してる。
「(木村は)カリスマ」 間髪入れずの「片付けただろ。」
先輩後輩の関係性に共演者。
そのバランスを正確に読みきって投げかけしてるなぁってとこと、
質問が直感的にチョイスしたっぽいのも、彼はクレバーだねぇ。
「ヒリヒリするの好きでしょ?」 ・・・すごく分かる。
最後の質問がね、来たな!と。
あれを聞いた人、初めてじゃ無いかしら。
「求められなくなったら俳優をやめる。」
サラッと。
きっぱりと。
言い切ったね。
二宮くんがやや焦って見えたんですけど、どうでしょう。
・・・実はある時期、考えてたんですよ。
SMAPが存在してた頃。
彼は、近い将来スパッと芸能界からもこの国からも消えてしまうかも、と。
青い海と深い緑に包まれた場所で自然と調和して心安らかに平和に生きる姿。
ananやAERAのグラビアのような・・・エネルギーに満ちた緑の中で。
でもまだまだ彼は大丈夫かな。
ヒリヒリ・ゾクゾクしたい人だから。
求める人は無数に居ますし。
それにしても。
会話に出て来るあのこと・このこと。
その答え合わせを明日、この目で見るのが楽しみであり怖くもあり。
初めてだよ。見るのが少し怖い映画なんて。
竹を割った性格だが中に餅が入っている。
2018年8月19日 キムラさん コメント (4)https://news.yahoo.co.jp/feature/1054
この記事。
素晴らしい。
明快で一点の曇りもなく視界は広く、冷静で明晰なのに心は熱く脈打っている。
未来を、語っている気がしたんですよね。
そんなに遠くじゃない未来。
それから被災した方への炊き出しの部分で
「片方の手でカレーを受け取り、もう片方で握手を求めてきた」のところ。
ハッとしました。
理屈じゃなく、エンタメのチカラってこれなんだと。
木村の手と目で相手の方の体温を感じ取ったかのような瞬間。
検察側の罪人、キャンペーンがスタートしました。
ミヤネ屋、父として・人の親としての言葉。
とてもいい顔…穏やかで静かで深い愛情が見える。
子は親の背中を見て育つ。
「自立」が子育ての最終目的。共感しました。
主役は彼女、自分はサポーターに過ぎない。
選びながら話す言葉、声のトーンから伝わってきました。
押し付けでない優しさ。見守る心の強さ。
前へ出すぎずそっと様子を見るって言葉にすると簡単だけど難しい。
最高の男親だよなぁと胸がいっぱいになりました。
・・・でも父親の顔は本当にたまーにでいいかな。
役者・タレントとして夢を見させてくれる存在であり続けて欲しいので。
もう一つ、仕事環境の変化を「第1章、第2章」と表現したのも意味深。
個人的には結婚とSMAP解散だと解釈したんですけど。どうでしょう?
似たような状況になっちゃってたなぁと、振り返って思います。
渦中の人となり好奇心と批判の嵐の中でいくら反論しても言葉は届かない。
歯を食いしばって仕事で跳ね返していくしかない。
不安や恐怖も間違いなく、ある。
でもこの人は逃げない。
取り乱さない。諦めない。今できることに全力を注ぐ。
苦しい時にもそんな姿を見せ続けてくれた。
そして今、肩の力の抜けた自然な顔を見せてくれる。
ファンもまたこの人に守られているのかもしれないなぁと、ふと。
木村本人はそんなつもりは無いでしょうけど。
モニタリングとぴったんこカンカンは最高に楽しかった!
大の木村ファンの小杉さん、舞い上がってコメントが悉く不発・笑
でもファンとしては正しい姿ですよね。
本当に大好きなんだなーってよーく分かりましたから。
訪問先に事前にスタッフがアポイント取ってお邪魔する流れらしいけど、
誰が来るかは明かされてないので、みなさんのリアクションが一々面白い。
「え!?キムタク!?」って顔に出ちゃってます。
木村は至って普通。
だからかな?皆さん最初はびっくりしでも後は普通に会話していて、
たぶん木村が誰に対しても心理的な壁を作らずフラットに接するから。
もし、オレ様で威圧的な人なら態度に出るしああはいかない。
TVを見てる人たちには伝わるみたいで、
キムタクってこんな穏やかな人だった?って声多数でした。
そう、木村拓哉ってあんな人だったんですよね。
出演番組全部チェックしてインタビュー読み漁ってラジオもチェックしてる
我々のような濃いファンはみんな知ってる木村拓哉の姿。
スマスマ特別編やさんタクや、ソロで出演の番組では前からあんなだったし、
実はそっちの方が断然一般受けも良かったんですよ。
でもSMAPだとオレ様単純直情キャラを要求され、見事に体現してしまうから…
またすぐ上書きされてキャラクターが一人歩きしてしまう。
真っ白なシャツに染み付いた消えないシミのようで…
消えてしまえばいいのにとずーっと思ってました。
ソロになって一年半過ぎました。
いよいよ本格的に再始動だなと実感したのが、
そう、二宮くんとのぴったんこカンカン。
二宮くんはドラマを少し見た程度で人となりまでは知りませんでした。
長年の派閥煽り?もあり、正直、検察側の罪人の共演は不安感のが大きかったです。
いやぁ、一度染み付いた先入観を覆すのは難しいですね。
が、一つ前の文章で書いた通り、映画誌のインタビューで印象変わりました。
そこからの共演。
二宮くん、最高に面白かったなぁ。
頭の回転早くて言葉のチョイスが的確。
木村との会話、息がぴったり合っていて、見てて気持ちがいい。
ハラハラとかイライラとかモヤモヤが一切なく、ストレスフリーの気持ち良い時間。
木村と二宮くんて真逆だけど、方向性は似てる気がしたんですよね。
独自の世界を持っていて、他人に影響されない。
自分を曲げないけど、人の生き方も尊重する感じ。
だからあんなに正反対なのにお互いの世界を見せ合えて、自分なりに楽しめる感じ。
何より会話やボケ・ツッコミの息ぴったりなのがいいですよね。
きっとお芝居の相性もぴったりだろうなと。
ますます映画が楽しみになってきました。
今の木村のヘアスタイル、賛否両論みたいですけど、私は好き。
顔の印象が柔らかくて、目の大きさが強調されて、可愛くなるし。
あの無造作さがShitaoを連想させます・笑
何でしょう、あのホワンとした空気感。
「実はおっとりしたところがある。」とはジャニーさんの木村評ですが、まさに。
ガツガツもギラギラも好きだけど、見た目おっとり・来るもの拒まず、
それでいて流されずどっしりと器のデカさを感じる風情は若竹のようでもあり。
強風に竹は大きくしなって揺れ動きますが、びっしり張った地下茎のお陰で
根こそぎ倒れたり折れることはありません。
そんな竹のしぶとさに近いのかも。
そういえばさんまさんの木村評は
「竹を割った性格だが中に餅が入ってる」でした・笑
さて、最初のインタビュー。
どんなことを思いましたか?
実は昨日、ある方のツイートで
「今年の木村さんはずっとやりたかった事を実現させている」
というのを見かけて、それか!と膝を打つ思いでした。
船舶免許を取得し、ワッツがFLOWに変わり、Web番組を始めて、
Smile up Projectを立ち上げ、
嵐の二宮くんと映画で共演し、キャンペーンで番組に出る。
彼は実は一年半かけてSMAP時代の仕事を全て終わらせたんですよね。
名前を外し、垣根を取り払い、柵から自由になった。
自分の意思で動き、歩き、考えながら前に進む。
高らかに宣言はしないけれど行動がぜんぶ語っている。
PS. 最初に上げたインタビューの一部をGYAO!で配信しています。
文字で書くより生々しく、言葉が生きて脈打つ感じ。
特に最上を演じるに当たって感じたこと…「背負わされる」
役を生きるとは凄まじいものだなぁと。
心して受け取ります。
この記事。
素晴らしい。
明快で一点の曇りもなく視界は広く、冷静で明晰なのに心は熱く脈打っている。
未来を、語っている気がしたんですよね。
そんなに遠くじゃない未来。
それから被災した方への炊き出しの部分で
「片方の手でカレーを受け取り、もう片方で握手を求めてきた」のところ。
ハッとしました。
理屈じゃなく、エンタメのチカラってこれなんだと。
木村の手と目で相手の方の体温を感じ取ったかのような瞬間。
検察側の罪人、キャンペーンがスタートしました。
ミヤネ屋、父として・人の親としての言葉。
とてもいい顔…穏やかで静かで深い愛情が見える。
子は親の背中を見て育つ。
「自立」が子育ての最終目的。共感しました。
主役は彼女、自分はサポーターに過ぎない。
選びながら話す言葉、声のトーンから伝わってきました。
押し付けでない優しさ。見守る心の強さ。
前へ出すぎずそっと様子を見るって言葉にすると簡単だけど難しい。
最高の男親だよなぁと胸がいっぱいになりました。
・・・でも父親の顔は本当にたまーにでいいかな。
役者・タレントとして夢を見させてくれる存在であり続けて欲しいので。
もう一つ、仕事環境の変化を「第1章、第2章」と表現したのも意味深。
個人的には結婚とSMAP解散だと解釈したんですけど。どうでしょう?
似たような状況になっちゃってたなぁと、振り返って思います。
渦中の人となり好奇心と批判の嵐の中でいくら反論しても言葉は届かない。
歯を食いしばって仕事で跳ね返していくしかない。
不安や恐怖も間違いなく、ある。
でもこの人は逃げない。
取り乱さない。諦めない。今できることに全力を注ぐ。
苦しい時にもそんな姿を見せ続けてくれた。
そして今、肩の力の抜けた自然な顔を見せてくれる。
ファンもまたこの人に守られているのかもしれないなぁと、ふと。
木村本人はそんなつもりは無いでしょうけど。
モニタリングとぴったんこカンカンは最高に楽しかった!
大の木村ファンの小杉さん、舞い上がってコメントが悉く不発・笑
でもファンとしては正しい姿ですよね。
本当に大好きなんだなーってよーく分かりましたから。
訪問先に事前にスタッフがアポイント取ってお邪魔する流れらしいけど、
誰が来るかは明かされてないので、みなさんのリアクションが一々面白い。
「え!?キムタク!?」って顔に出ちゃってます。
木村は至って普通。
だからかな?皆さん最初はびっくりしでも後は普通に会話していて、
たぶん木村が誰に対しても心理的な壁を作らずフラットに接するから。
もし、オレ様で威圧的な人なら態度に出るしああはいかない。
TVを見てる人たちには伝わるみたいで、
キムタクってこんな穏やかな人だった?って声多数でした。
そう、木村拓哉ってあんな人だったんですよね。
出演番組全部チェックしてインタビュー読み漁ってラジオもチェックしてる
我々のような濃いファンはみんな知ってる木村拓哉の姿。
スマスマ特別編やさんタクや、ソロで出演の番組では前からあんなだったし、
実はそっちの方が断然一般受けも良かったんですよ。
でもSMAPだとオレ様単純直情キャラを要求され、見事に体現してしまうから…
またすぐ上書きされてキャラクターが一人歩きしてしまう。
真っ白なシャツに染み付いた消えないシミのようで…
消えてしまえばいいのにとずーっと思ってました。
ソロになって一年半過ぎました。
いよいよ本格的に再始動だなと実感したのが、
そう、二宮くんとのぴったんこカンカン。
二宮くんはドラマを少し見た程度で人となりまでは知りませんでした。
長年の派閥煽り?もあり、正直、検察側の罪人の共演は不安感のが大きかったです。
いやぁ、一度染み付いた先入観を覆すのは難しいですね。
が、一つ前の文章で書いた通り、映画誌のインタビューで印象変わりました。
そこからの共演。
二宮くん、最高に面白かったなぁ。
頭の回転早くて言葉のチョイスが的確。
木村との会話、息がぴったり合っていて、見てて気持ちがいい。
ハラハラとかイライラとかモヤモヤが一切なく、ストレスフリーの気持ち良い時間。
木村と二宮くんて真逆だけど、方向性は似てる気がしたんですよね。
独自の世界を持っていて、他人に影響されない。
自分を曲げないけど、人の生き方も尊重する感じ。
だからあんなに正反対なのにお互いの世界を見せ合えて、自分なりに楽しめる感じ。
何より会話やボケ・ツッコミの息ぴったりなのがいいですよね。
きっとお芝居の相性もぴったりだろうなと。
ますます映画が楽しみになってきました。
今の木村のヘアスタイル、賛否両論みたいですけど、私は好き。
顔の印象が柔らかくて、目の大きさが強調されて、可愛くなるし。
あの無造作さがShitaoを連想させます・笑
何でしょう、あのホワンとした空気感。
「実はおっとりしたところがある。」とはジャニーさんの木村評ですが、まさに。
ガツガツもギラギラも好きだけど、見た目おっとり・来るもの拒まず、
それでいて流されずどっしりと器のデカさを感じる風情は若竹のようでもあり。
強風に竹は大きくしなって揺れ動きますが、びっしり張った地下茎のお陰で
根こそぎ倒れたり折れることはありません。
そんな竹のしぶとさに近いのかも。
そういえばさんまさんの木村評は
「竹を割った性格だが中に餅が入ってる」でした・笑
さて、最初のインタビュー。
どんなことを思いましたか?
実は昨日、ある方のツイートで
「今年の木村さんはずっとやりたかった事を実現させている」
というのを見かけて、それか!と膝を打つ思いでした。
船舶免許を取得し、ワッツがFLOWに変わり、Web番組を始めて、
Smile up Projectを立ち上げ、
嵐の二宮くんと映画で共演し、キャンペーンで番組に出る。
彼は実は一年半かけてSMAP時代の仕事を全て終わらせたんですよね。
名前を外し、垣根を取り払い、柵から自由になった。
自分の意思で動き、歩き、考えながら前に進む。
高らかに宣言はしないけれど行動がぜんぶ語っている。
PS. 最初に上げたインタビューの一部をGYAO!で配信しています。
文字で書くより生々しく、言葉が生きて脈打つ感じ。
特に最上を演じるに当たって感じたこと…「背負わされる」
役を生きるとは凄まじいものだなぁと。
心して受け取ります。
変わったなぁとつくづく思う。
検察側の罪人キャンペーンで雑誌、CM、インタビュー、Webにラジオ。
ジャニショで写真販売まで、なんて2016年の忍耐の日々から想像できました?
いや、それ以前と比較しても違うよね。
量もだけど「質」が。
グラビアのビジュアルの良さ。CMの手の込んだ面白さ。
グループ時代末期には無かった充実っぷりで、90年代に戻ったみたい。
FLOWになって、SMAPが取れて、選曲も構成も木村らしさが色濃く反映されて、
Web番組の木村さ〜〜ん!のあの感じも、ヲタは知ってたけどTV番組では
あまり表に出してもらえなかった木村拓哉という人の変わってる感=拘り、を
倉持Dが上手いこと引き出してる。
その見せ方も分かってる感満載でヲタのツボ突きまくり・笑
まだ2回だからこの先何をするのか分かりませんけれども。
それにしてもFLOWはいい感じに出航したよね。
元々聞き上手なのに、発揮できる場が少なくて残念だったからね。
いろんな人と対談してほしいって思う。
映画が公開されたら裏話も聞きたいし、でもどんな構成にするかは
あまりガチガチに決め付けないほうが、らしくていい。
しなやかに自由に波に乗って。
それと、木村さ〜〜ん!ではアコギ一本で歌う企画をぜひ。
木村の声大好きだから。
雑誌のインタビュー。
凄い数出てますが、雑誌独自の取材記事は+actとUOMOくらいですか。
他は同じ囲み取材をちょっとアレンジした違い程度で。
+actは凄いね。
ほぼ彼の喋りをニュアンスまで掬い取ってそのまま文字起こしした感。
木村がじっくりと台本を読み込んで現場に臨んでるかがよく分かる。
現場で台本見ないのは「相手の目を見て芝居したいでしょ。」が彼らしい。
原田組の現場を「命綱無しで断崖絶壁に立つ。」と表現したのは衝撃だった。
どの作品も「役を最後まで生き抜く」と決意して取り組むのは同じだけど、
最上は背負うものが大きかった。「これ、俺が背負うの?」って。
その重さを実感しているからこそ、「頭でっかちに」なった状態で現場に行く。
でも監督に「それ、いらないから。本物をちょうだい。」
あっさり「No.」を突きつけられる。
自分の日常に近い感覚で想像すると、入試とか。大事なプレゼンとか、
とにかく高いところに登った上でいきなりハシゴを外される。
自分の方法論を根本的に変えてやってみてくださいと要求される。
きつい。
そんな重い日々が来る日も来る日も続く。
すり減ってしまいそう。
早く終わって欲しい。無事に着陸したい。と思うのが普通でしょうが、
木村の場合撮影終了は開放感6に喪失感4だと。
やっぱりMゾじゃ無いですか、演じることに関しては。
毎回「全力で。」「役を生きる。」
未だに新人のような瑞々しい感性を保っているのに驚き、だからこそ彼の芝居は
いつも新鮮に見えるのかもしれない。
こういう話、今まであまり語らなかったよね。
去年撮り終えてるからほぼ一年前の記憶なのに、妙に細部がくっきりして、
生々しい感じ。
つい先日撮り終えたかのようだ。
現場が強烈だったのだろうし、お芝居に集中できる環境だったからこそ、
語る心境になったのかもと、考えてしまう。
インタビューといえば二宮くんのも興味深い。
特にキネ旬。
彼の見た木村拓哉像がまさに私(たち)が想像していたものとかなり近くて、
「おおー!」となりました。
曰く「スペックが違う。」
「本人は気づいてない。」
・・・これだよ。
共演者が彼を尊敬し好きになってしまう理由。
プロ意識に着いていけなくなる人もいるだろう理由。
そして彼が、どこか孤独を抱え込んで見える理由。
そしてたぶん、さんまさんと彼が固く結びつく理由。
そして二宮くんが木村の芝居を「ロジカル」と評したのがまたツボで。
そう、木村のは憑依されたお芝居じゃない。
役の生を染み込ませ、細胞レベルで同化する。
役になりきるというより役と融合する時、木村が使うのは「ロジック」だと。
その一方で、「現場ではエモーショナルに動く瞬間があった」と言ってるのが、
楽しみで仕方ないです。
彼が感情を爆発させたと感じたお芝居はそれほどない。
パッと思いついたのだと、
一分、華麗、空☆、アイカム、アイムホーム、無限の住人。かなぁ。
あの、理性が吹っ飛んだ瞬間の木村の目。
たまりません。
原田監督は「カメラに映ってるのはその役の人生の一瞬でしかない。」を
念頭に置いた上でのお芝居を要求したとのこと。
人物のバックグラウンドを演者が掴んでるのとそうで無いのとはリアリティが違う。
二宮くん曰く「頭の中にしっかりした映像がある」原田監督らしい指示の出し方。
ビジュアルシンカー。
そこ木村と同じじゃない?
ビジュアルシンカー(監督)vsビジュアルシンカー(役者) の構図。
監督ってエゴイストなくらいでないとやってられないし、良いものはできないはず。
いろんなタイプが居るでしょうが、原田監督はまさにそんな感じ。
そこで役者がエゴをむき出しにしたら収拾つかないこともあるだろう。
でも「それはいらないから。」と言われたら、パッと切り捨てる役者。
「だって、いらないんだもん。」
だからの、原田監督曰く、「エゴが無い。」
自分を良く見せたい。上手く見せたい。
向上心とエゴの境界線が、彼にはちゃんと見えているんだろう。
インタビュー全体の熱のこもり方。
彼が今回、できうる限り準備して現場に臨んだのがわかる。
木村流の演技論に踏み込んだ発言は珍しい。
これも新体制だからこそ、ですね。
飯島時代のギリギリ詰め込みスケジュールでは不可能だったこと。
準備する、心と体を整える、自分の意思を反映させる。
それが今、可能になりつつある。
「自然体」で。
検察側の罪人キャンペーンで雑誌、CM、インタビュー、Webにラジオ。
ジャニショで写真販売まで、なんて2016年の忍耐の日々から想像できました?
いや、それ以前と比較しても違うよね。
量もだけど「質」が。
グラビアのビジュアルの良さ。CMの手の込んだ面白さ。
グループ時代末期には無かった充実っぷりで、90年代に戻ったみたい。
FLOWになって、SMAPが取れて、選曲も構成も木村らしさが色濃く反映されて、
Web番組の木村さ〜〜ん!のあの感じも、ヲタは知ってたけどTV番組では
あまり表に出してもらえなかった木村拓哉という人の変わってる感=拘り、を
倉持Dが上手いこと引き出してる。
その見せ方も分かってる感満載でヲタのツボ突きまくり・笑
まだ2回だからこの先何をするのか分かりませんけれども。
それにしてもFLOWはいい感じに出航したよね。
元々聞き上手なのに、発揮できる場が少なくて残念だったからね。
いろんな人と対談してほしいって思う。
映画が公開されたら裏話も聞きたいし、でもどんな構成にするかは
あまりガチガチに決め付けないほうが、らしくていい。
しなやかに自由に波に乗って。
それと、木村さ〜〜ん!ではアコギ一本で歌う企画をぜひ。
木村の声大好きだから。
雑誌のインタビュー。
凄い数出てますが、雑誌独自の取材記事は+actとUOMOくらいですか。
他は同じ囲み取材をちょっとアレンジした違い程度で。
+actは凄いね。
ほぼ彼の喋りをニュアンスまで掬い取ってそのまま文字起こしした感。
木村がじっくりと台本を読み込んで現場に臨んでるかがよく分かる。
現場で台本見ないのは「相手の目を見て芝居したいでしょ。」が彼らしい。
原田組の現場を「命綱無しで断崖絶壁に立つ。」と表現したのは衝撃だった。
どの作品も「役を最後まで生き抜く」と決意して取り組むのは同じだけど、
最上は背負うものが大きかった。「これ、俺が背負うの?」って。
その重さを実感しているからこそ、「頭でっかちに」なった状態で現場に行く。
でも監督に「それ、いらないから。本物をちょうだい。」
あっさり「No.」を突きつけられる。
自分の日常に近い感覚で想像すると、入試とか。大事なプレゼンとか、
とにかく高いところに登った上でいきなりハシゴを外される。
自分の方法論を根本的に変えてやってみてくださいと要求される。
きつい。
そんな重い日々が来る日も来る日も続く。
すり減ってしまいそう。
早く終わって欲しい。無事に着陸したい。と思うのが普通でしょうが、
木村の場合撮影終了は開放感6に喪失感4だと。
やっぱりMゾじゃ無いですか、演じることに関しては。
毎回「全力で。」「役を生きる。」
未だに新人のような瑞々しい感性を保っているのに驚き、だからこそ彼の芝居は
いつも新鮮に見えるのかもしれない。
こういう話、今まであまり語らなかったよね。
去年撮り終えてるからほぼ一年前の記憶なのに、妙に細部がくっきりして、
生々しい感じ。
つい先日撮り終えたかのようだ。
現場が強烈だったのだろうし、お芝居に集中できる環境だったからこそ、
語る心境になったのかもと、考えてしまう。
インタビューといえば二宮くんのも興味深い。
特にキネ旬。
彼の見た木村拓哉像がまさに私(たち)が想像していたものとかなり近くて、
「おおー!」となりました。
曰く「スペックが違う。」
「本人は気づいてない。」
・・・これだよ。
共演者が彼を尊敬し好きになってしまう理由。
プロ意識に着いていけなくなる人もいるだろう理由。
そして彼が、どこか孤独を抱え込んで見える理由。
そしてたぶん、さんまさんと彼が固く結びつく理由。
そして二宮くんが木村の芝居を「ロジカル」と評したのがまたツボで。
そう、木村のは憑依されたお芝居じゃない。
役の生を染み込ませ、細胞レベルで同化する。
役になりきるというより役と融合する時、木村が使うのは「ロジック」だと。
その一方で、「現場ではエモーショナルに動く瞬間があった」と言ってるのが、
楽しみで仕方ないです。
彼が感情を爆発させたと感じたお芝居はそれほどない。
パッと思いついたのだと、
一分、華麗、空☆、アイカム、アイムホーム、無限の住人。かなぁ。
あの、理性が吹っ飛んだ瞬間の木村の目。
たまりません。
原田監督は「カメラに映ってるのはその役の人生の一瞬でしかない。」を
念頭に置いた上でのお芝居を要求したとのこと。
人物のバックグラウンドを演者が掴んでるのとそうで無いのとはリアリティが違う。
二宮くん曰く「頭の中にしっかりした映像がある」原田監督らしい指示の出し方。
ビジュアルシンカー。
そこ木村と同じじゃない?
ビジュアルシンカー(監督)vsビジュアルシンカー(役者) の構図。
監督ってエゴイストなくらいでないとやってられないし、良いものはできないはず。
いろんなタイプが居るでしょうが、原田監督はまさにそんな感じ。
そこで役者がエゴをむき出しにしたら収拾つかないこともあるだろう。
でも「それはいらないから。」と言われたら、パッと切り捨てる役者。
「だって、いらないんだもん。」
だからの、原田監督曰く、「エゴが無い。」
自分を良く見せたい。上手く見せたい。
向上心とエゴの境界線が、彼にはちゃんと見えているんだろう。
インタビュー全体の熱のこもり方。
彼が今回、できうる限り準備して現場に臨んだのがわかる。
木村流の演技論に踏み込んだ発言は珍しい。
これも新体制だからこそ、ですね。
飯島時代のギリギリ詰め込みスケジュールでは不可能だったこと。
準備する、心と体を整える、自分の意思を反映させる。
それが今、可能になりつつある。
「自然体」で。