万次の肌。
二ヶ月くらい体を洗ってないイメージで肌の質感などわざと荒く仕上げています。
・・・と映画誌のインタビューでヘアメイク担当の方が語ってましたね。
ポスターの万次の足に血が滲んでるのは気づかなかったですけど手足の爪まで
汚して血を滲ませて、泥にまみれたふうに見せて。
とパッと見でわからない部分も細かく作り込んでいく。
カメラに映らないとこまで拘ってく意味あるのかなぁ?と言われるかもしれない。
でもそこまで拘っているからこそ生まれるリアリティってきっと、ある。
無限の住人は荒唐無稽なネオ時代劇であるけれども、いかにもな作り物では
死ねない男の耐えられない存在の辛さがあそこまで伝わらなかったかもしれない。
カメラに映りこまないとこまで拘って。
まさに木村拓哉のアプローチと同じだよなぁ。
しなくてもいいのに利き目を潰し、極寒の中で着流しに草履。
辛いばかりで無駄な労力を費やす無意味な行為といえばそうである。
しかしその辛さが万次に血肉を与えるリアリティに繋がったのかもしれない。
そういえば、アライフの多重結びの練習もだったな。
たゆまぬ影練、リアルへの拘り。
そうだ、殺陣の凄まじさもだった。
宮本武蔵でも体に剣を当ててリアリティを追求する撮影だったが、
三池監督はもっともっと挑発的だった。
300人斬りの撮影前「(万次を)殺しに行ってください。」と言い放ったという。
凄まじい言葉。
全身の毛が逆立つようなピリピリした空気だったろう。
その言葉に木村は、監督が同じ感覚で居てくれるのが嬉しかった、と。
クレイジーな監督とクレイジーな主役。
自分がカメラのフレームに映りこまなくても現場に立っているべき。
そうすることで次に映り込んだ時のリアリティが全く違ってくる、という意味の話を
田中泯さんも語っていらっしゃった。
根っこの部分で木村とシンクロしてらっしゃる、と嬉しかったのも思い出した。
原作ファン、二次元ヲタ、時代劇クラスタの方々の素晴らしい感想をたくさん見た。
三池監督と木村拓哉、そして同じスタンスのスタッフと共に作り上げた日々は
きっと間違いなく幸せなものだったろうなと、語る木村の声で実感した。
操上和美さんがスチール撮影に京都までいらしてふと目に止まった木村の手。
刀の鍔が当たる第二関節部分に剣ダコがある。
「素晴らしいですねぇ。」
撮らせてください、と操上さんの手による木村の手。
その一枚、どこかでいつか見れるだろうか。
大きくて肉厚で長い指の、ギリギリまで爪を短く切りそろえた木村の手に、剣ダコ。

そして早くも次の映画の話題がさらっと出てくるとは。

「検察側の罪人」
あらすじだけは読んだ。
すでに読破した人たちの感想から、最上と木村が一致しないと聞いて少々不安が。
ビジュアルもね・・・どうなんだろうか。とか。
しかし原田監督の過去作品の映像を見、blogでイメージする音楽と映像を知り、
少しずつ楽しみになってきた。
ウォン・カーウァイ監督作ですもの。
薄暗い中に立ち上がる鮮烈な色彩。物憂げでノスタルジックな音楽。
カーウァイ作品では役者の声の良さも大事なエッセンス。
トニー・レオンもコン・リーもチャン・ツイィーも声が良い。
そんな作品を愛する原田監督が木村を40男の香華といい、低い良い声と
太鼓判を押したのがとても嬉しい。
共演の二宮くんとすでに食事した、と。
前から彼のお芝居を褒めてたよね。
彼の役者としての姿勢・資質に不安はない、と。
さらにカンヌのフォトコールでの渋い男前っぷり。
最上、あんな感じかもしれないなぁ。なんて。
「検察側の罪人」が「無限の住人」のような愛おしい作品になりますように。
今頃だけどこれは書いておきたくて。

イッテQの出川の口から思わずこぼれた上の言葉。
英語的には変なのかも。でも、すごく生きてる言葉だよなぁと思った。
カンヌのレッドカーペットの上に居る木村。
バラエティのパパラッチ企画で観客として居る出川。
立ち位置は違っても同じ日本人、同じ人間同士だよ。
嬉しいとき、輝かしい気持ちを分け合ってここにいるよ。

「あなたが輝いてるから、ぼくも嬉しい」

木村は出川の声に応えてこっち側にきた。
艶やかなタキシード姿に、喜びで輝く顔をして。
一緒に一つのスマホの画面に収まる。
くしゃくしゃの笑顔。三人ともすごくいい顔してた。

見ていてなぜか泣けてきた。
泣きながら何回も何回もリピートした。
木村は、本当に幸せなんだなと思う。
共に泥まみれになりながら手強い作品と格闘した人たち。
一緒に喜んでくれる人もいて、たくさんのお客さんの拍手に包まれて。
メイドインジャパンを引っさげて赤絨毯の上に立つ。
夢が現実になった場所で、
木村拓哉の役者としてのキャリアが再スタートしたんだ。



ワッツ。

いろんな人の人生に関わってるんだなぁ、だって。
そうだよね。
本人に直接声が届く機会はそうないだろうけどめちゃくちゃ影響力あると思う。
ファッションやスタイルはもちろんだけど、人生ってちょっと重いかもしれない。
プレッシャーも半端ないはずだけど、跳ね返すより「付き合う」。
あのポジションでそう言える、腹の括り方も半端ない。

「ride on time」に「羽」、「FLY」。
意味深だなと思ってたらフォロワーさんのツイートでああ、なるほどな。と。

ride on timeって「時の流れに乗る」って意味で。
「羽」と「FLY」の歌詞は今更解説するまでもありません。

さあ、時は来た。
羽根も生えそろった。
いつかは離れ離れ みんな通る道。
全てはスタイル 飛び方次第。
君(たち)は自由に飛び立てるのさ。
過去も未来も関係ないさ。

そして締めは「one chance」。
いや〜・・・かっこ良すぎでしょ、木村拓哉。

それにしてもFLYはいい。
最高にソウルフルでファンキー。
SMAP時代の最高傑作の一つだと、私は思ってるんですけど。
木村の声、しびれます。
モノクロのポートレイトってどうしてこう味わい深いんだろう。
過去の木村拓哉。
今の木村拓哉。
変わったけど、変わってないところ。

写真家でサーファーでもある横山泰介氏。
90年代のfineで、ハワイの、サーファーの木村を撮った方。
あの、まるでネイティヴのハワイアンの美少年が小麦色の肌にレイを纏い、
海に浮かびながら神々に感謝を捧げるかのような一枚を。
未発表だったとっておきの一枚がまた素晴らしくて。
二人の会話の中にも出てきたけれども、あれは素顔にちかいのだと。
こんなふうな会話を読み、あんなふうな写真を見てしまうと、いつも思う。
「自然の中でそのリズムに調和し生きていくのが本来の姿なのかもしれない」と。
それが彼の、いちばん幸せな姿なのかもしれない、と。
でももう暫く。
この混沌とした国のエンタメの世界の荒波の上にいて欲しい、と願ってしまう。

それにしても。
操上さんといい横山さんといい、交流のある方々の誰もがカッコよくて不良で
達観してるけどどこかギラギラと諦めてなくて、現役でロックしてる男たち。
「年を取るのが希望でしかない。 」 
年を取っていくごとに背負った荷物がどんどん軽くなっていく。
そんなふうに年を取った人たちは、無敵だ。

NALUの文章を読み終わったあと。
ふっと夕暮れの夏の空がどこまでも続く風景が頭に浮かんだ。
思い出した。
10代の中頃。大分の海。
夕暮れまで何時間も泳いで遊んで、仰向けにぷかぷか浮いてみた空。
明るくあわい青に少しだけぎんいろがかった雲、西の空からほんのり桃色の光。
雲の端がうっすらピンクに染まってそれがずーっと頭の上に続いていた。
この景色、一生忘れないぞ、と。
その時の気持ちも一緒に思い出した。

ワッツで運転が苦手な女性のメッセージに答えていた。

自分でハンドルを握って行きたいところへどこまでも行けるから運転がすき。
らしいな、と思い、なんだか人生観とか仕事観とかみたいだなとふと。
言葉の選びかたとか、声のトーンとかでそう思ったのかもしれない。
タイミング的に昨日は朝から関西ローカルのWSで芸能レポーターがカンヌ参加を
こき下ろしたとかで騒然としてたのでね、余計いろいろ感じたのかもしれない。

「無限の住人」のカメラマン、北氏がインタビューでおっしゃってましたけど、
あの作品は反体制的であると。
二つ前の日記でちょうどそのことを書いたので、やっぱりなーと。
http://holidaze.diarynote.jp/201705282315108845/

革新的である「無限の住人」を、古臭い業界力学に追従し群がるハエのような
芸能レポーターが「不快に」思うのは当然の成り行きってやつかもしれません。
出演した経緯を「事務所の言いなりになって」いると根拠もなく決めつける裏には
「元マネージャー飯島女史の方針通りヒーロー役限定のアイドル役者でいればよい」
「欲を出して似合いもしないカルト色の強い作品に出演など持ってのほか」
という実に保守的でしみったれた心理がありそうだなと。
そういえば山田美保子もアライフ放映時に似たり寄ったりなことを言ってたなぁ。
あの人たち元マネによほどお世話になったのかしら?
・・・などついつい裏読みしてしまったり(笑)
もちろん木村だけでなく、日本の映画界・芸能界に蠢くめんどクセェ諸々も
あってのことでしょうけれど。

そういう実にくだらない裏事情があったにせよ、無限の住人が公開されて
万次としてある時間を生きた木村拓哉の姿が、意地でも彼を褒めなかったような
気難しい層からも認められつつあるのは本当に良かった。
むしろ本来そういう人たちに共感されやすい人だった気がするんです。
何もそこまで・・・と思うような全力でのめり込んでのお芝居、身体能力。
むしろアイドル大好き!な層よりストレートに見てるのでは?と思ったり。
あのタイミングでこの作品のオファーを受け、このタイミングで公開されたのは
ある意味運命かな、とも思ったり。
昔、ananでゲイリー・オールドマンと対談した時の言葉。
「メイドインジャパンの作品で世界の急所を撃ち抜きたい」
・・・カンヌのスタンディングオベーションで見事に夢が叶いましたね。
このタイミングで。

まさに「自分の手で(役者)人生のハンドルを握っている」のでしょう。

旅はまだ始まったばかり。

ワッツ冒頭でミッチーのライブ話が出たので改めて思ったんだけど、
私にとって木村拓哉の最新作は「無限の住人」ですが、木村にとってのそれは
「アライフ」なんですよね。
カンヌのレッドカーペットも幸運なプレゼントみたいなイメージなのかな?とか。
すでにアジア各国とイングランド、アイルランド、北米で配給が決まってますし、
たくさんの国の人たちが木村拓哉の本気を目撃できますように。
http://barfout.jp/codeofthefilm/01.php

とても興味深く読みました。
三池監督ってたぶん感覚的にはパンクなんだけど良い意味でしたたかだなぁ。
今、TVも映画も規制がキツすぎてやりたくてもできないことが多い。
やりたいようにやって、まんま「どうぞ。」と差し出せればどんなにいいか。
市原隼人くんが舞台挨拶で「ばっさりカットされている。」と言ってたのはそこか。
「尸良は捕食者。ハイエナをイメージ。」「快楽の為に人を殺める」と言ってたのに
初見では「え??なんか全然物足りなくない??」と思ってたんですよ実は。
撮っていたのに公開できなかった部分。
そこは是非、DVDでディレクターズカット版で発売していただきたいなぁ。
でね、三池さんのことばがとっても気になったんですよ。

木村拓哉がやることで映画の自由度が上がる。

最初はえっ!?と思いました。
それから、ああそうか。木村拓哉は自由になったんだったな、と。
「木村拓哉がやるんだから。」
「だから」、いろんな条件(主に数字)の縛りがあったのは過去の話。
今は、そのネームバリューや信頼度(共演者の方々の面子を見れば一目瞭然)が
自由度を上げる方向性に発揮される環境になったんですよね。
もしかして。
2015年の7月、FNSの会場で三池さんが出演の直談判に行ったときはすでに
木村拓哉を取り巻く環境が変化しつつあると認識されていたりして(想像ですw)
さて。
三池さんの目論見はピタリと当たって、無限の住人は田中泯さん曰く「新しい!!」
タイプの映画になった。
木村拓哉の生み出す強力な磁場に引き込まれ、渦に巻き込まれながら、
文字通り血と汗の結晶として世に送り出された『無限の住人』
興収はあまり芳しくないようですけれど、革新的なもの・見たことのないものは
時に攻撃的とみなされ、敬遠され・非難され不当な扱いを受けたりする。
その本当の価値が広く認識されるのには時間がかかったりもする。
原作ファンやああいうジャンルの映画が好きな人たちに見てもらえるまで、
随分時間がかかったよなぁと少々残念な感じもありますが・・・
カンヌでの星取り表を見るとかなりいい位置につけていて、海外の公開も続々と
決まってますし、変なフィルターなしに見ていただけてるんじゃないかなぁ。

などと考えながら昨日のワッツのことを思い出す。

木村のドラマがきっかけで日本語を学び始めた台湾のファン。
お父様とGLの影響でパイロットを目指しているという青年。
HEROきっかけで法律の仕事を目指し、実現した男性もいましたね。
沢山の人の人生の選択に影響を与える作品を残しつつ、一方では映倫のコードに
果敢に挑戦するパンクでしたたかな映画監督とスリリングな共犯関係を楽しむ。
これって実は、役者冥利に尽きるってもんじゃないのかな。
面白いのは、こんなにも振り幅の大きい作品に数多くチャレンジし、誰かの人生に
影響を与えるほどの強烈な印象のキャラクターをそれぞれ演じ分ける役者に
「何をやってもキムタク」なんて枕詞がついてしまうこと。
それこそ「キムタク」の放つ強烈な存在感に惑わされてる証拠とも思えたり。

ワッツでちょこっとだけカンヌの話、してましたよね。
冒頭のモノクロシーンと300人斬りで外連味たっぷりに登場するところで
カンヌのお客さんがどよめいたってのを聞いて、三池監督は狙いが当たって
ニヤリとしたんじゃないでしょうか。
感受性の強い木村が会場を埋めた観客のどよめきを聞いてどんな気持ちだったか。
想像すると幸せになりました。
そうそう。
英語の話でインタビュー映像で英語を喋ってたのを思い出したんだけど、木村曰く
体当たり英語、いい感じだなぁ。
難しい単語を使わなくても、伝えたい気持ちがあれば伝わるし、ちゃんと会話に
ユーモアがあって。インタビュアーも笑ってたよね。
オフィシャルな英語を話せるように頑張る!って言ってたけど。
中井貴一さんがおっしゃった言葉を思い出しました。
「これからが役者としてどんどん面白くなりますから。」
https://www.youtube.com/watch?v=Tj3qdN4aMyA&feature=youtu.be&app=desktop

レッドカーペット。
和装かな?と思っていたのですがタキシード。
早朝目が覚めて、ネットを開いて、視界に飛び込んできた瞬間、思わずため息が。
美しい男。
すっきり額を見せたヘアスタイルが彫のふかい顔立ちをくっきり引き立てている。
すっと伸びた眉。大きな切れ長の、光を反射する瞳。秀でた鼻筋、厚めの唇。
シャープな輪郭の中に収まったそれらの生み出す絶妙なバランス。
40代になって少しくたびれた感じが熟成したワインのよう。
タキシードが似合いすぎる。
細いだけじゃだめなんですよね。2046の時は服に着られてた記憶が・・・。
もともと華奢だけど立体的な骨格なので、きれいに筋肉のついた今の体型が
まさに理想的です。
あの独特のモデル・ウォークで艶やかな赤い振袖の杉咲花ちゃんをエスコートし
余裕綽々の三池監督と並んで本当に素晴らしいスリーショット。
いやぁ。これは・・・大正浪漫溢れるノスタルジックな映像で見てみたい。
あの美貌が生きる役。
怪盗とか探偵とか詐欺師とか。裏の顔を持つ男の、光と影。
スパイとかもいいなぁ。
陰謀と欲望が渦巻く南京、蘇州。
・・・なぁんてね。めちゃくちゃ妄想が広がってしまいました。

午前中にプレス向けの試写会があり、夜に正式な上映会が。
大ホールで行われたそうです。
終了後のスタンディング・オベーションの映像に感無量。
が、その後Twitterのタイムラインに流れてきた映像がですね・・・
写真家のLESLIE KEE氏がスマートフォンで撮影したと思われるもので。
観客に手を振り花さん、三池監督の手を取って喜ぶ木村の手前に河瀬直美監督。
木村に声をかけ、一緒に写真を撮ったあと、誰かが監督にたずねました。
「泣いてた?」
河瀬監督は「拓哉?」と聞き返し、うん、うんと頷いていました。

泣いていたんだ、木村。

長かったよね。
良かったよね。
カンヌに戻って来れた、って言葉にどれだけの感情がこもっていたのだろう。

その瞬間、いろんな感情や思いがどっと押し寄せてきてちょっと泣きました。
初めてMIYAVIのポートレイトを見たとき漢字のタトゥーが目に焼き付いた。
『不退転』
 胸に大きく刻まれたその文字が、きっと彼なのだろうと思った。

木村拓哉の世間一般のイメージがどんなだか私には正しくはわからない。
客観的な目線で見るには長い間追いかけすぎてしまった。
ただ、よくある「猪突猛進、単細胞直情型」的な目線での意見を見るたび、
わかってないなぁと思っていた。
彼は、とりわけ初対面の人にはたぶんガードが固い。
三池監督が「趣味、威嚇でしょ?」と仰ったらしいが、よくわかる。
仕事仲間とかロケの現場とかファンに対しては物凄く気を使うだろうけど、
繊細に人を見るし、感じるし、察するし、色々考え込むタイプだと思う。
それが、MIYAVIとの対談では随分ストレートに出ていた。
「熱くて重いんですよ、この男。」
そう言いながらちょっと目を外す感じね、あれがまさにw
マツコの「夜の巷」でも見え隠れしてたけど、業界で嫌という程いろいろ見てきて、
こう言えばああなる、見てる人はこう思うだろうと分かってもいる。
今までWSやらバラエティで対談してきた人の大半はそのルールを心得ていて
木村拓哉が本気で戸惑っている場面ってあまり記憶にない。
MIYAVIは、黒船みたいな人だ。
日本の芸能界のルールは、この人にはあまり関係がない。なんたって「不退転」だ。
木村拓哉の、時には過度かとも思える慎重さや理性的な態度をガンガン壊しにいく。

「共演して感じたんです。」
「何を?」
「例えば、<爆発したい!>とか。」「ソロ、やりましょうよ。」

MIYAVIのがぶり寄りのトークは「無限の住人」を見たからこそじゃないだろうか。
あの映画の中の木村拓哉は、ところどころで理性のタガが外れていた。
それはドラマでの彼のお芝居でしばらく見ていない「胸踊る感じ」だった。
映画ではICWRのShitao以来だ。
あの芝居をみて、MIYAVIは木村拓哉の心の叫びを聞いたと思い、それに呼応して
「Live to Die Another Day」を書いた。
歌詞のsome riseがサムライに聞こえ、どことなく宗教音楽を思わせるメロディの。
その曲がどれだけあの映画にハマっているかは・・・言う必要がないですよね。

木村はMIYAVIのことを「自由!!」だと表現した。
それはたぶん、木村自身が一番欲しているところであったろうし、
今、ようやくその願いが叶い始めた。

SONGSのMIYAVIのツアー映像に木村のナレーションが入る。
独特の柔らかいけどくっきり響く声が、映像に寄り添うように聞こえる。
MIYAVIは、彼の音楽ユニットの船長であり、その船は世界中を航海する。
身軽に、自分の音楽を求めている人の元へ赴く。
「踊りたいの?踊りたくないの?」彼の音楽は明快に問いかける。
日本人とかアメリカ人とか関係なく、自分の音でみんなを踊らせてやる。
シンプルで強烈な野心。
収録された彼のミニライブ映像を見た木村の言葉が印象的だった。
「Japan!が、いろんな国の中の一つの都市として聞こえた。」
MIYAVIのルーツは日本だけど、彼の武器は音楽であり、そこに国境はない。
でも彼の胸にあるタトゥーの文字は決してルーツを忘れないための言葉であり。
MIYAVIの野心は、木村拓哉にはとても親しい感覚のはずだ。

武器は、ギターでなく刀。
舞台上の幕が上がると眩いライトの中にあのシルエットが浮かび上がりました。
満島慎之介さん、戸田恵梨香さん、福士蒼汰さん、杉咲花さん、市原隼人さん、
三池崇監督、そして真ん中に木村拓哉。
腕を差し出すと杉咲さんがすっと手を添える。
その仕草が自然で、万次と凛そのままなんだなと。
黒いスーツ、黒いシャツ、黒い革靴。
ジャケットの上からもそれとわかる胸板の厚い上半身、ほっそりした足腰。
3Fなので、表情はオペラグラスで確認しました。
シャープなりんかく、くっきりした眉、すっと切れ長の大きな瞳。高い鼻。
TVの画面よりずっと立体的で、この人の顔立ちって特別なんだなと再確認。
表情がよくわかるんですよね。かなり距離があるのに。
最初、少し緊張してる?と思いましたが、満島くんの「心得トーク」が絶妙で。
すっと顔を背けて苦笑する、例の照れ笑いが見え、少しリラックス。
壇上のメンバーと司会者の言葉に敏感に反応しつつ、客席を見、3Fに目を向けて
手を振りつつ笑顔を向けてくれたり、細やか。
彼はいつもそうだけど、アンテナの受信範囲がずば抜けて広い。
どんな小さな空気の変化にも即座に反応するように見えました。

一旦全員はけてから二回に分けて撮影会。
なぜ分けるかというと、おそらくネット配信用とその他のメディア用。
ネット配信用の撮影時、木村の姿がない。
主演なのに。違和感というか異様に見えて、他の出演者さんも分かってるとはいえ
どんな気分なんだろう?とか、木村も慣れてるとはいえこれはキツイよなぁ。
2回目の撮影で裾から現れた時に纏った空気感にちょっとびっくり。
例のモデルウォークで歩いてきて、真ん中に立つ。
ドン!と一瞬、つよい力で引き寄せられる感じ。
一斉にフラッシュが焚かれる。
容赦ない光の礫を不死身のように受け止め、跳ね返す。
オペラグラスで覗くと、やっぱり違うんですよね。さっきと。
顔面に力がみなぎる感じでした。

「最後のエンドロールまでちゃんと見てください。」

そう語った通り、試写終了後パッとスポットライトが当たると、1Fの左、関係者席と
思しきところで立ち上がって一礼。
三池監督と杉咲さんと3人で再び舞台へ。
試写後の反応がとても良かったんですよ、自然に拍手も湧いてきて。
それを、肌で感じ取ったんでしょうか。
3F席の後方から「サイコー!!」って男性のかけ声が!
その瞬間、ニコッと笑顔に。
リラックスして、自然体で、なんだかキラキラ輝いて見える。
オペラグラスで覗いても本当に光ってました。(スポットライトのせいではなく)
杉咲花ちゃんも嬉しそう。三池監督は・・・サングラスなんでよく分からない(笑)
今回のキャンペーンで日本各地を回ったけれど、中に入れる人数が限られていて、
せっかくきてくださったのだから少しでもお会いできる場を作りたかった、と。
作品を見た人たちがどんな顔になってるか。
映画を観終わった後って独特の空気感ありますよね。
イマイチな時の、白けたような疲労感。
衝撃的すぎた時の、緊張感が一気に途切れた時のざわつき。
その、どちらとも違うラストが用意されていた。
あのラストを見たら、きっともう一度最初から見たくなる。
その興奮と熱望が、きっと会場の空気の中にぎっしり詰まっていたはず。

リアルに見て・感じられるものを信じ、人の想いを重んじ、人の笑顔を愛する。
全身全霊、一途一心で表現したものが誰かを幸せにすることを(例え悲劇の
物語だったとしても)、皮膚感覚で実感するのが何よりの喜びなんだろう。
・・・だからいつか、舞台の木村拓哉を見て見たい。

*映画の感想はまた明日。
特別招待作品選出。

2015年は「マッドマックス〜怒りのデス・ロード」が選出されてるんですよね。
これ、個人的にはすごいツボで。
マッドマックス〜怒りの・・・の盛り上がり方が良くて。
日頃映画見ない層、二次元ヲタ、アクションヲタ、SFヲタ、もちろん映画マニアも
いろんなクラスタを巻き込んでみんな荒ぶってて、面白かったんです。
シン・ゴジラもそういうとこあったけど、男女問わず熱いファンがつく作品は
本編から派生した考察やら妄想やらもすごくて末長く楽しめます(笑)
もちろん監督色の強いアーティスティックな作品でコンペに参加できれば
素晴らしいですし、個人的にはその手の作品も好きで割と見てますが、
木村拓哉で時代劇で、ならばエンタメとして評価されるのが最高じゃないですか。
サムライ・アクションは最高にクールでエキサイティングだと、海外の人たちに
広く深くアピールできたら素晴らしいと思いませんか?
日本人にはスター・ウォーズは撮れないけれど、
本格的なチャンバラ映画は日本人にしか撮れない。
(スター・ウォーズが黒澤明監督の映画をヒントに作られたのは有名な話)
時代劇の復興。
数年前、 NHKのスイッチインタビューで見た糸井重里×中井貴一を思い出す。
中井さんの、時代劇復興への熱。
それがそのまま、木村拓哉の太秦への深い愛とピタリと重なったのでした。

カンヌというとレッドカーペットですよね。
2046で歩いた、あの映像を鮮明に思い出します。
またあの場所へ行くのは木村の願いでもある。
でも一番の願いはきっと作品が広く深くたくさんの人たちに受け取ってもらうこと。
先週の続きでうえPがゲストのワッツ。
木村は周りの人たちはよーく観察してモノマネまで交えて話してくれるけど
自分の話はあまりしないので、こんな企画は大歓迎です。
それにしてもうえPも木村も柴田さんこと木村文乃ちゃんのこと好きすぎ(笑)
彼女を「好き」な理由が二人とも同じで、木村が手術シーンのリアルに拘って
オペテクニックを磨いてくれば文乃ちゃんは器具出しのタイミングに拘る。
互いに切磋琢磨する現場って素晴らしい。
出演部だけじゃなくカメラの中山こういちさんのエピソードも素晴らしい。
アライフは最初映画と同じ24コマで撮影するアイデアがあったけどテストしたら
手間暇予算がかかりすぎで断念したけれど、ラストのシアトルのシーンだけは
中山さんのこだわりで24コマ撮影になっていると。

*映画とドラマの映像はなぜ違うのか
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13106003368

そうか。
シアトルのシーンだけ映像の質感がざらっとして見えたのはそのせいだったのか。
ちょくちょく映画っぽいカメラワークだなぁと感じたのも意図的だったのね。
全編24コマで撮ったとしたら全然雰囲気違ってたろうな。見たかった。
でも、TVドラマならではの制約もあり。
映画みたいなスケジュールは組めないだろうし。
そんな中でスタッフの希望をできるだけ形にしていくうえP。
そのスタンスに胸が熱くなりました。
顔の見えるプロデューサーだよね。
そんな彼が木村のソロ一発目のドラマを企画してくれた。
ヲタとしてとっても幸せなことだと思う。
寄せられたメッセージも嬉しいものばかりだったね。
数字とか満足度なる胡散臭い物差しで記事を書きたがるメディアとは別次元で、
励まされたとか選んだ(医療の)道に誇りを持てる、といったナマの声。
うえPも木村も中山さんも、名前の出てこなかったたくさんのスタッフさんも、
伝えたいことがあるからいろんな困難にぶち当たっても歯を食いしばって、
智慧を出し合って
必死で作り上げてきた意味が、実感できたワッツだったのでは。
シアトルのシーンといえば。
外国人エキストラさんの雰囲気がアライフらしくなかったので
お互いコミュニケーションをとってる感じをと木村がお願いしたってエピソード。
「出演部」を名乗るだけあるね。
脚本を深いとこまで考えてずっと全体を見てきたから分かることな気がする。
その木村が、柴田さんがシアトルに来なかった結末が心残りらしい(笑)
うえPも乗り気なことですし、ここはシーズン2かSPやらないと収まらないでしょ。
その時はぜひ、夜の沖田先生を。
沖田と柴田と井川の三角関係を軸に進行するとかも面白いんじゃないかな。


今、無限の住人関連で続々と雑誌が発売されてますね。
近年なかった状況です。飯島ブロックがなくなるとこんなに凄いのか(笑)
記事は似通ったものが多くて、グラビア勝負?みたいな状況にもなっていて。
グラビア中心の映画雑誌って似通った感じになりがちじゃないですか。
グラビアだけ見るとやっぱりファッション雑誌のほうが好きかなぁ私は。
そんな中、インタビューや記事の深さ細やかさはキネマ旬報が一番かな。
I COME WITH THE RAINの時、トラン・アン・ユンのインタビューを掲載したのが
唯一、キネマ旬報だったと記憶しています。
役者さんのインタビューももちろんだけど、監督が何を考え・感じてそうしたのか。
映像やキャスティングの拘りも知りたいので、あれは嬉しかったなぁ。
映画って監督のカラーがにじみ出てる作品の方が印象的な作品が多い気がする。
これは好みの問題でしょうけど。
で、三池監督のインタビュー。
この方にキャスティングしてもらって本当に良かったなぁと、ジワっと。
「死ねない」万次と「降りれない」木村拓哉の背負った運命が似ている、と。
見えている風景も、抱え込んだ孤独感も同じではないかと直感し、誘った。
彼の渦に現場の全員が巻き込まれ、なんとか生きて還らねばという状況だった、と。
監督の直感が、木村拓哉の精神と肉体を得て、映像として見事に具現化された。
そんな印象を受ける言葉でした。
一方木村はSMAPの解散騒動前夜の不穏な空気の中での撮影でしたが、
「撮影の間は個人の痛みや諸々は不要なので。」
そうなんですよね。
先の見えない不安や辛さの真っ只中にある時、目の前の作業に没頭するのは、
平静を保つ有効な手段なのは間違いない。
困難なほど、あれこれ考えてる余裕なんてなくなりますから。
どれに、やっぱり追い込まれてたからこそな部分もあった気がする。
右目を完全に潰した状態で早朝から深夜まで、極寒の京都の山中で
ワラジに着流しという格好で、危険な殺陣にスタントなしで挑む。
アイドルの顔をもつ彼としては後先考えない振る舞いでもあっただろうし。
その時の木村の頭にはもう、そこのところは消えてたのかもしれない。

うえPと三池監督。
ソロ初のドラマと映画で、この二人に背中を押してもらった。
木村拓哉の運の強さといいますか・・・会うべき人に会える引きの強さ。
三池監督にはもっと早くお会いしたかったと言ってましたけれども。
「これができたんだから、次は・・・」って発言もありましたし、
運命の導くままに新しい作品と出会って欲しいと心から願っています。

ワッツ、楽しかったなぁ。
ロイドの時も出てくれたよね。
もちろん木村だけのトークでもワッツは面白いし、めちゃくちゃ感動したり、
想像を刺激されて興奮するけど、相方がいると話が更に膨らむ。
最終回、シアトルへ戻ると告げるシーン。
チョコのやり取りは脚本に無かったけど浅野くんと二人で話し合って取り入れた。
壮大のネクタイピンのくだりも同じで、それをアドリブと呼ぶならそうかもだけど
共演する相手が居て、お互いにアイデアを出し合って、より自然で印象的な芝居を
組み立てていくのだから、芝居を創る作業の一環という感覚だと思う。
浅野くんも木村も脚本を読み込んで咀嚼し、自分の中でイメージを膨らませて
現場に臨むからできたんだろうし、そこに至る物語の流れを共有できてるからこそ
可能だったやり方だろう。
脚本は自分のとこしか読まない人には無理だし、相手に合わせて柔軟に
リアクションを変えていく感受性の鋭さも必要だし、
二人ともお芝居が好きで好きでたまらないんだろうなぁと、なんだか感動した。
浅野くんとやれるのが嬉しい。楽しみ。現場ですごいリアクションが返って来る。
そういうようなことを何度かインタビューで読んだけど、これかぁ・・・。
で、木村のそういうエピソードを隣で聞いてるうえPの「素晴らしいなぁ。」とか
「おしゃれだなぁ。」って言葉が、まさに私の感動を代弁してる気がした。
お世辞じゃなく、心から素直にヲタ目線で(笑)リスペクトしてるのが分かるから、
こっちまで嬉しくなる。
スタッフさんへの目線も同様で、現場の一人一人がよく見えてるんだろうな。
木村が「芸術家肌」と評したカメラマンの中山さんの拘り。
構図や絵の美しさは撮れて当たり前くらいの人でないと、あのハンガーの拘りは
思いつかないだろう。
アライフの映像は人物の心の動きの襞を細やかにすくい取るような印象的なシーンが
たくさんあったのもなるほど、そういうことだったのか。
普通なら思いつかないような細やかな拘りをまんま活かせる現場の懐の深さは、
うえPのものづくりへの懐の深さの象徴かもしれない。
ドラマ作りに熱中するプロデューサーが居て、その熱を映像に焼き付けるべく
スタッフと役者が一丸となって取り組む。
自分を「出演部」と呼び、職人的なものづくりの心意気に敬意を表する木村にとって
最高の環境だったろうと想像できる。
本当に良かったよなぁ。 ソロになって初めての仕事がアライフで。
ところでうえP、柴田さんはシアトルへ行きます的なことぽろっと言ってたけど(笑)
話の流れだと沖田先生が寝てる隙に柴田さんが指紋認証キーを解除して
(持ち主の指紋が必要ですからw)、スマホをチェックするってことですよねw
つまり沖田先生と柴田さんはシアトルでそういう関係になっちゃうわけだ(笑)
もーこれは何が何でもアライフ・シーズン2を作らなきゃね。


さて。
無限の住人キャンペーン、始まりましたね。
京都を皮切りに全国10都市を回るそうで、東京でもジャパンプレミアなるものが。
応募はしましたけど、私のくじ運の悪さはハンパないので(苦笑)
ファンの前に登場した木村と杉咲花ちゃん。
二人のやり取りが可愛くて可愛くてほっこりしました。
でも可愛いだけじゃないんだよなぁ。
何だろう。
年の離れた兄妹にも見えるし、ちょっとだけ恋人同士にも見える。不思議。
杉咲さんはちょうど少女から女性へ移ろう時期ですもんね。
雑誌のインタビューで三池監督が
「もう半年長く撮れたら、木村拓哉が杉咲花を恋愛対象として見れたかも。
それが作品に反映されたらまた違った二人の関係性が画面に出てきたはず。」
という趣旨の話をしてらっしゃって、その時はちょっと疑問符だったのですが、
二人の様子を見てなるほど!と納得しました。
うんと年下の美しく可愛らしい女性に、限りなく優しい大人の男の木村。
ほんと素敵・・・。
ポツポツ感想がTwitterのTLに流れてきました。
京都より大阪の方が木村ヲタが多く入れたのかな?
ヲタ目線の感想が最高に素敵でしたよ。
血にまみれ汚れた万次はShitaoでロイドで、ハウルでもあったそうです!!!
これで萌えは約束されたようなものですね。やったw
グロテスクやショッキングや血が飛び散るとか残酷なとかは全く平気なので(笑)
楽しみでワクワクしております。
早く見たいぞ、無限の住人。
マネージメントが変わったんだなぁと実感するニュースがまた一つ。
http://ro69.jp/news/detail/158310

NHKのSONGSでMIYAVIさんと対談。
木村がチョイスしたBest1と無限の住人のテーマソングを演奏。
MIYAVIさんの北米ツアーのドキュメンタリーのナレーションを木村拓哉が。
30分足らずの番組だけど、最高じゃないですか!
これだよこれ。
私がこうあってほしいと密かに願っていた木村拓哉だよ。
2015年までのマネージメント体制ではあり得なかった。
飯島元マネージャーがまだ居たとしたら、HERO2のように全く宣伝しなかったか、
元メンバー絡みのバラエティ番組優先のスケジュールが組まれたはずだ。
木村単独で、彼個人に関係の深い人と、がっつり番組をやる。
それがどんな意味を持つか。
『木村拓哉個人で』番組が成り立ってしまうということだ。
彼がどんなふうに誰と繋がっていたかはUOMOとNALUの連載で垣間見える。
操上さんと木村との絆の強さも、switchの素晴らしいコラボで実感した。
それらは少なくとも2015年まではTVや雑誌媒体で見えてくることはなかった。
木村拓哉が本来の姿を見せることは禁じられていたのかもしれない。
2016年、さんタク。
さんまさんの「(飯島は)諦めはったんやろなぁ。」の暗示するもの。

意外な繋がりといえばエディ・スリマン
ディオール・オムにおけるラストコレクション。
一連のモノクログラビアが掲載された時、なぜ彼が?と不思議に思いつつ、
私がマネージャーだったら、アジアにおけるディオール・オムのイメキャラとして
木村を大々的に売り込むのに!!!と歯痒い思いをしたものだ。
不可能ではなかったはず。
エディ・スリマン自身に、木村流に言えば「ナンパされた」男なのだから。

「できるのにやらなかったこと・やらせなかったこと」はどれだけあるだろう。
ぜんぶ知ってしまったら悔しくて思わず涙が出るようなこともあったかもしれない。
ただのファンの私ですらそうだ。  木村本人の心のうちはどうだったろう。
「前しか見ない」生き方は、儘ならぬあれこれへの防御力の一つかもしれない。

2011年、ヤマト公開時。
あるインタビューで彼は「役者になりたい。」と告白した。
「仕事のやり方が少し変わるかも。」とも語っていた。
これはあくまでも想像だが、あの時、何かが変わろうとしていたのかもしれない。
しかしその直後・・・。


物事には変わるべくして変わるタイミングというのがある。
2016年はひたすら耐える年だったけど、希望の光も見えていた。
木村自身の力強い言葉もあった。
年が変わり、アライフが始まって、無限の住人の全貌が少しずつ見えてきた。
今の木村拓哉は去年までの木村拓哉と明らかに違う。
生真面目な沖田一光を全力で駆け抜けた直後、LOADEDのグラビアで
セクシーでアグレッシヴな40代の成熟したオスの匂いを振りまきながら、
誘惑し、振り回し、キリキリ舞いさせながら不敵にほくそ笑んでいる。

色っぽい木村拓哉を見たいんです。

LOADED、まだご覧になってない方もいらっしゃると思いますが、
期待度MAXで大丈夫ですよーーーー!!!
書店で表紙を見た瞬間、変な声が出そうになりました(笑)
ずらりと並んだメンズファッション誌のコーナーでひときわ強烈なオーラを放つ。
「オレを見ろ。」
って呼び止められた感じすらあります。
覇王降臨。
予告で『色気のカリスマ』とありましたが、まさに。
挙動不審になるのが怖くて店頭で中身を見れませんでしたからね!!!
個人的にはサンローランを纏ったラスト一枚がベストショット。
Nikonの荒野のカメラマン編とかバー編(カメラにキスするやつ)を思い出す。
右手の位置がカメラを構えるポーズを連想させるんだよなぁ。
いつかやって欲しいんだよね、カメラマン役。

去年の篠山紀信撮影のUOMOから堰を切ったような充実の雑誌ラッシュ。
個人的に印象に残ったものを上げてみる。

篠山紀信のUOMO=青少年リターンズ
switch=彷徨える路上のカリスマ
SODA=カリスマの素顔に密着
LOADED=セクシー覇王降臨

こんな感じですねー。

改めて、アイドルじゃなくなったのだなぁ・・・という喜びを噛み締めております。
面構えが全然違うの。
中性的でキラッキラな感じは完全に影を潜め、
40代のとびっきりゴージャスでセクシーな男の美しさ。

残念だけど、ロイド以降色っぽい役をやってないんですよね。
アイムホームもアライフも宮本武蔵も役者冥利に尽きる役を演じてたとは思いますが
木村拓哉の色気の信者としては非常に物足りない。
唯一、アイムホームのブラック久くらいでしょうかね?
40代、水も滴るいい男。
オスとして成熟した彼に、安全無害な男の役ばかりというのは如何なものか。
というか、抑圧された色気がLOADEDのグラビアで大爆発したのかも(笑)

ワッツで言ってましたけど、沖田先生はオールデンの靴を愛用してるとか。
時計はブルガリ。
シアトルではベルギー王族の手術を担当するほどの名医。
モテない筈はありませんよね!!!!
シアトルに戻ったら、ブルネットの看護士とブロンドの秘書と、チャイニーズ系の
ニャンコ顔の美人医師と三股交際してるに違いない!!
「やり残したことがある。」「もっと技術を磨いてやろうかなと。」
とか何とか言いながら、向こうで美女とあれこれ複雑な恋愛模様を展開・・・
というアナザーストーリーを妄想しておきます(笑)
木村もワッツでまだまだ物足りない感満載なこと言ってましたし。
日本でもアメリカみたいにシーズン2、シーズン3と続けていけばいいんです。
あそこまで磨いた手術の腕が落ちないうちに。
来週は誰かゲストが来そうな予感?
やっぱりW木村かしら・・・(嬉)

そして無限の住人の新着映像まで来ました。
思わず「か、カッコいいいいいいいいい!!!!」と叫んでました。
特に槇絵との斬り合いのカット。
刀の柄をがっ!と咥えてぐいっと引いてかちゃりと両刃の刀に組み替えるとこ。
あのカチッとはめる瞬間の指の角度。
両刃の剣を右手でくるっと回転させる時の完璧な一連の動き。
これらを、一切手元を見ることなくやってのける凄さ。
カメラマンの方が激しい斬り合いの最後、キメのポーズがピタッと画角に収まるのが
奇跡のようだと仰ってましたが、細部に至るまでそれができてるんですねぇ。
いや〜楽しみ楽しみ。

そういえば、ふと。
撮影前に多重結びのキットまで購入して完璧にマスターしていたことと、
万次を演じるに当たって、安全のために利き目の右でなく左目を塞ぐメイクに変更を
提案したけど、断ったというエピソード。
早朝から深夜までずっと片目を塞いだまま、裸足に着流して過ごしたこと。
それら全て「だってそういう役ですから。」ってことなんだろうね、木村は。
それが僕が現場に立つ最低条件。とも言っていた。
さらりと言ってのける裏にある覚悟。
そんな見えない部分の積み重ねの上に今があるってこと。

父親の背中を見て育つ息子。

一光を凄腕の職人外科医に育てたのはまさにこの背中だなと、包丁を研ぐ後ろ姿を
見ながらひしひしと感慨が押し寄せてきました。
「いつまで半人前扱いなんだよ?俺にしかできない手術があるんだよ。」
揺れ動く内面を吐露する一光への父・一心の言葉。
「俺が俺がだからお前は半人前なんだよ。」
ただひたすら準備をする。目の前のお客にそれを出す。一途一心だろ。
寿司職人と外科医。
一見何の関係性もない職業を選んだ二人だけど、やはり親子なんですよね。
寿司を握るのも、素材の命を戴いて誰かの体を元気にする。
それを象徴するかのように、父の店の水槽には生きて泳ぐ魚たちが居る。
沖田の迷いを細かく知るはずもないのにポンと大事な言葉を差し出す。
その言葉ではっと気づいたということは、柴田が指摘したように、
彼の中で既に答えは出ていた。
深冬のオペは自分がやる。
プライドや意地じゃなく、目の前の患者を救うために。
本来の自分を取り戻した彼が救ったのが、他の病院で見放された重い病の母親。
小学生の息子の必死な姿に昔の自分を投影させた沖田は、手術を成功させたことで
「あの時なりたかった自分」に近づけたような気がしたはず。
そして少年もまた医者を目指す。
夢を叶えたらどこかの病院で誰かの命を繋ぐのに必死な外科医になるだろう。
父の背中から沖田の心に繋いだ母の命の連鎖が未来の外科医へと繋がっていく。
あの時の沖田の幸せそうな顔。
あの顔が一瞬、木村拓哉自身とオーバーラップしました。
「ドラマを見て医者を志す若い人が増えたら。」って語ってましたよね。
何十年後かに自分を診察したお医者さんが「あのドラマで医者を目指しました。」
って語ってくれたら最高だと。
だからあれは物語の中の夢と希望のシーンでもあり、スタッフが木村拓哉に贈った
温かいプレゼントでもあった気がして。

沖田と木村本人がオーバーラップするところ、結構あるような気がします。
壮大と沖田、深冬と沖田、院長と沖田の関係性も含めて。

壮大って沖田にめちゃくちゃコンプレックスある癖に常に上から目線で、過去の話で
ネチネチ嫌味言う割にすぐ取り乱すし(笑)嫌な奴なんだけど、憎めない。
浅野さんのオーバーアクション気味のお芝居がどことなくユーモラスなのもあるし
気の毒に、院長と深冬に振り回されてあんな風になっちゃったのかな、とか。
そう、私にとって深冬って近年稀に見るような(笑)最悪なヒロインなんです。
木村が「独特の間」って指摘したのはこのことかと納得する、お芝居における
コンマ数秒のタイムラグも苦手なんで。  って、まぁそれは置いといて。
病床で日記?みたいなもんを書いてるけど何あれ?と思ってたら、万が一オペが
失敗した時に備えて幼い娘に残す覚え書きだったんですね。
で、思い入れたっぷりに書いた「パパと仲良くしてね。」
だからこそのラスト、「オペは沖田先生にお願いします。」だったのか。
嫉妬とコンプレックスで凝り固まってる壮大は取り乱してましたが、
要は大事な家族の絆を壊さないための配慮ってやつか(苦笑)
院長に遮られましたが、理由を話すつもりだったようで。
沖田の前で言うの?
万が一失敗してもあなたは背負うものが小さいから。
あなたにとって私は<特別な人>じゃないから。
うーむ。
ならば。
7話の糸結びのシーンとか、沖田にすがって泣く姿とか何だったの???
壮大と沖田二人でのオペをお願いするならまだしも。
あれじゃ昔の恋人を利用する図太い女にしか見えないし。
アライフの唯一の問題点は深冬の描き方なんだよなぁ。
まぁでもそれが深冬なんですよねぇ。
彼女を「聖母のような女性」とTV雑誌でどなたかが仰ってました。
あのせいでバイアスかかったのも大きいかもしれません。
人間だから裏表はあるしいつも気分が安定してる訳ないですけどね。
その意味では沖田も壮大も我が強くて面白い。
沖田先生、今回ほんっと嫌なやつだった(笑)
井川先生にビシッと言われて当然ですよあれは。完全なる八つ当たり。
三条さんを追い詰めるところ、反論を許さない口調や丁寧だけど苛ついた仕草が
あまりにもリアルすぎて、木村本人もあんなとこありそう・・・と思ってしまった。
うまい。うますぎる。
沖田先生、順調にビジュアルのレートが上昇中で嬉しい限りです。
最終回、ロイドやアイムホームのように神懸かり的なシーンがあるだろうか。
というか、15分延長で収まるのかしら。
井川先生が海外へ修行に出そうな伏線もあることですし、
沖田・井川・柴田を軸にアライフSPか第2シーズン「シアトル編」作っちゃえ。
雑誌ラッシュです。

日本映画naviはグラビアといいインタビューの密度といいマストですよね。
グラビアの木村、一枚一枚の表情が、佇まいが美しい。
彼は変わった。
アイドルの皮を脱ぎ男として役者として、よりシンプルに存在する。
最近ツイッターでいろんな人の反応を読んでみても明らかに役者としてのありように
好感を持ってる人が多いのを感じます。
ようやくスタート地点に立てた。そんな感じすらあります。
いや、普通に考えたらキャリアも積み重ねてきたものも桁違いですけどね。
今まで背負ってきたものから解放された感じが強くて。
個人的な感想に過ぎないんだけど。
穏やかな、でも厳しく強靭な表情。匂い立つような艶。男の色気ってまさにこれ。
木村単独のインタビューでは、彼の中の万次の捉え方に興奮しました。
それって・・・そう、Shitaoそのものじゃないですか。
万次はShitaoの延長線上に存在するのではないか?と個人的に考えていたのもあり。
いや、木村自身がどう捉えているかは分かりません。
けれども彼の解釈の仕方がまさにそうで。
インタビューできるものならその辺の話を聞いてみたい!!と強く思いました。
三池監督との対談も濃密なものですね。
三池さん、言葉を変えて何度も強調してるのですが、映画のキャスティングは
作品にとっても役者にとっても、時代の必然であり、
役者がその役を演じるのは運命であり抗いがたい時の巡り合わせ。
そう語っていらっしゃる。
素晴らしくないですか?
監督に「運命」と断言されるキャスティングで不死身の男を演じる。

木村は、自分の内面を語ることが少ない人です。
だから見る人の数だけ異なった木村拓哉がいる。
私の見て・感じている木村拓哉も実は私の推測と妄想に過ぎない。

だから、といいますか。
彼以外の方が語る木村拓哉論をたくさん読みたいと思うし、
自分の考えている木村拓哉の、演じることへの姿勢に近いのではないか?と
感じる人達の言葉を読むのはとても嬉しいことでもあり。

J Movie magazineの田中泯さんのインタビューがまさにそれでした。
どんな役をやりたいかより「こんな役をやってください」という人の言葉に乗っかるほうが大事。創作の現場に関わること、監督の要求に応えるのが楽しいので。とか、
自分が映像に映らなくてもその場に居る設定なら現場に立ち会う。
そうすることで肉体が背負うものが違ってくるから。
背負うものがあるのとないのとでは自ずと映り方が違ってくる。
それは観客に必ず伝わる。

・・・田中さんのインタビューには何度も『肉体』という言葉が出てくる。
肉体は実在であり、肉体に刻まれた経験・感情・感覚というものは必ず視覚的にも
現れてくる、と。
言語で表現される言葉ではカバーしきれない言葉・・・それが肉体そのものの表現に
必ず立ち現れてくる、という演技論というか、世界観というか、その根底の部分は
「見たもの・感じたことを信じる」という木村の言葉と通じるのではないかなと。
田中泯さんは長年に渡って舞踏=肉体の表現に拘ってきた方。
木村もジャンルはまったく違うにしても、踊るように演じ、演じるようにダンスする
タイプの人なので、それはまったく不自然でもなんでもないなぁと。
肉体への絶対的な信頼感というか・・・そこから全てが始まる、というような。
ほとんど原始的で本能的な感覚が、きっと似通ってるんだなぁと思いました。
J Movie magazineにはグラビアは先日の無限の住人会見のだけなのですが、
個人的にはほんと、買ってよかったなぁと。

NALUも良かったですよ。
波乗りしてる木村はタレントの木村拓哉とは別の顔です。
とってもプライベートな・・・44歳のシンプルな男性の姿がそこにあります。
シンプルで飾らないからこそ豊かで美しい。
去年のあの壮絶なマスコミの叩きをくぐり抜けた男の顔。
そして次のページの小川氏のコメント。
これだな。と思いました。

サーファーの世界は完璧な実力主義。

テクニックだけじゃない。
カッコよく美しく波に乗れるかどうか。
不可解な思惑や力関係などは無縁の、シンプルに結果で評価される世界。
これがあったから彼は、正気でいられたんだよなぁ。

相変わらずワッツには変な人々が張り付いてるようですけどね。
滑舌うんぬんでずーっと小バカにしてましたもんね、「貶し愛」のファンたち。
まだそんなことやりたい人達がいるんだなーと。
案の定、あのメッセージで大喜びしてる輩もいましたし、ラジオネームにSMAPを
くっつけたがる人もいますが・・・
後半読まれたメッセージへの木村の対応と、前半のそれとは随分差があるなと。
そう感じてしまいました。
まぁ個人的な感じ方ですけれども(笑)

去年の大晦日で一区切りついたわけですが、最初に書いたように、世間的にはすでに
役者としての彼が認識され、アイドルだった頃よりフラットな目で見てもらえてるように思います。

だから今年は彼にとって新たなスタートラインの年に間違いない。
その道を選んでくれて本当にありがとうと伝えたい気分なんです。
https://youtu.be/sJ6ADlbUY-o
/『Live to Die Another Day 存在証明』

MIYAVIさんが無限の住人のために書き下ろした曲。
「いつもと歌い方変えてない?」って言ったら「わかります?」って。
ワッツで初めてのオンエア。
上のURLからフルで聴けます。
ワッツで聴いてすぐ思いました。
ああ、これMIYAVIさんは木村が歌うのを想定して書いたんだな、って。
メロディのうねり方や音程、そして歌詞の内容も言葉の響きも、
木村の声質や表現にぴったり。
最高にクールでセクシーに聞こえるはず。
それだけ木村を理解してるんだろうな。
や、一方通行でなくお互いに深いところでわかり合ってるというか。
きっと稲葉さんとの関係性も同じ感じだろうな。
稲葉さんの『羽』が力強く背中を押してくれる感じがして何百回も聴いたって。
https://www.youtube.com/watch?v=krhKpVGUebQ
世界は広い。羽を伸ばしてもっと高いところから見てみましょうよと誘う歌詞。
あれをスマスマで歌った時の木村を思い出すなぁ・・・。
稲葉さんとはお互いのファンも公認wの仲の良さですが(笑)
そのポジションに立ってみないとわからない感慨って間違いなくある。
LAに拠点を置いて活動しているMIYAVIさんもきっとそうで。
そういうの、言葉で説明するの難しいですよね。
だけど会った瞬間に分かり合える。
そんな相手に出会えるかどうかは運だけじゃないと思う。
出会いを引き寄せる生き方をしてるか?も大事。
類は友を呼ぶ、ですよね。まさに。
ところで、稲葉さんというとアライフ。
そっちはまだオンエアの許可が取れないのかなぁ??
もう佳境なんだし・・・そろそろフルで聴きたいんだけど。
『羽』をオンエアしたのはちょっとその辺もあるのかな?なんて。

市原隼人くんとめっちゃ気が合うようで。
尸良って相当ぶっ壊れたキャラクターだからねー。
「万次ーーーーっ!!!」って山に向かって叫んで気合い入れてたのかしらw
直虎の傑山さんも何なのかいまいち謎なキャラクターですが(途中から見たので)
やっぱり気合い入れて叫んでるのかしらwww
彼のモノマネが桐谷健太くんのそれとかなり似ていたw
木村の中でたぶん同じジャンルの人なのか?
付タクの第二弾企画あるとしたら彼も候補だなと思いました(笑)
木村が現場で親しくなる人々はみんな熱い。
男はだいたい見た目からわかる濃い存在感を発しているけど、
女性の場合は可憐だったり一見クールだったりだけど、お芝居に熱い。
無限の住人のインタビューでは凛ちゃん役の杉崎花ちゃんをべた褒めで、
何となく深津ちゃんと共演した時を思い出した。
アライフでは断然木村文乃ちゃん。
彼女、二つ前の日9の『神の舌を持つ男』も出演してたんだよねー。
今回の柴田さんのほうがやりやすそうというか似合ってる。
ツンデレ柴田。
ツンデレといえば柴咲コウちゃん。
・・・木村の好きな感じってわかりやすいかも。

昨夜は話に出なかったけど、4月に「さんタク」やるね。
もう、嬉しくて嬉しくて。
恒例のお正月になくて、木村ヲタも動揺したけど、二人が決めたことだから、と。
むしろ外野の方がざわざわしてましたが・・・。
で、「ほーらやっぱり干されるんだよ!木村ヲタも立ち上がれ!」みたいなことを
言ってた方々が、あると発表された途端に「複雑・・・」と呟いていたりして。
あまりにも予想通りで笑っちゃいましたが^^;
昨日はまた新手の煽りを見かけましたw
「ドラマと映画が終わったらレギュラーのない木村は実質的に世間から消える!」
いや〜・・・どんだけアイドルヲタ脳なんだよ?って思いました。
毎週レギュラーでバラに出てる役者さんとか居ます??
その方々が「消された」とか「干されてる」とか言われてます??
自分の狭い価値観で決めつける。無知蒙昧にも程があるってもんです。
そもそも去年なんてレギュラーとは名ばかりのスマスマに雑誌媒体くらいで。
それでも「キムタク以外のメンバー見ないけど干されてんの?」
ってツイートなんども見かけてオイオイと(笑)
今年の無限の住人とワッツだけを希望の光に耐え抜いてきたんですもん。
そもそもしょーもない下世話なバラで見たいわけじゃないですし。
量より質!が私の座右の銘でございます。(嘘)
相田さんの記事。
インタビュー部分が少ないと非難されてる向きもあったようです。
例の対談でプロの評論家としてはどうかと思うような比較をなさってましたし、
正直不安感はあったのですが。
素晴らしく刺戟的でした。
<無私><捧げる><動物的><静と動>などキーワードも面白い。
フォロワーさんと<無私>についてちょっとやりとりしてみたんだけど、
人によって違う解釈になるのがいい。
つまりいろんな読み方ができるということで、それだけ文章が豊かなんだと思う。
読ませて、考えてもらう。読んだ人たちが話しあったりする。
そういう建設的な評論って意外なほど少ない気がして。
一読をお勧めします。
(自称:ドラマ/芸能評論家がダメなのは全く建設的でないからです。むしろ
破壊的、害悪。まともに論じられないなら書くな、って言いたいですね)

嬉しかったのは初日の撮影を終えて三池監督が木村に言ったという言葉。
・・・なんか既視感のある言葉じゃないですか?
そうだ。
宮崎駿監督が木村の声を初めて聞いて発したという。
「ハウルって、こんな人だったんですね。」
三池監督の言葉がピタリと重なりました。
木村本人は、先日めざましだったか?で撮影中ほとんど監督から
演技指導なかったのが少し物足りなかったと語ってましたね。
実際には、三池監督は木村がどう表現するかを心待ちにしていた、と。
そういえばもう一人、木村に対するスタンスが似ている監督がいました。
トラン・アン・ユン監督です。
ICWR撮影時、彼がしたいようにお芝居をさせ、終わったと思ったところで
フレームアウトしてもらうスタイルだった、と。
トラン監督も役者によって細かく指示を出したり出さなかったり、らしいです。
もちろんそれが演出スタイルでもあるでしょうけど、もう一つ共通点が。

ハウルは魔法使い。
シタオは人の痛みを引き受ける救世主。
万次は死なない体、不死身の男。

人ならざる力と肉体を持ちながら、人間の弱さをも残したキャラクターたち。
ファンタジックでありつつ、同時にリアルな人間的側面も描きたい。
誰も見たことがなくつかみ所のない人物に血肉を与える。
いわば、不可視の存在が木村拓哉の肉体(or声)によって可視化され、
現実と地続きの映像の中に立ち現れるといいますか。
監督たちは木村拓哉という役者の、唯一無二の存在感に託したのかもしれない。

三池監督が心待ちにしていた万次の姿。
早くスクリーンで見たい!!
ドラマA LIFEの細かい質問特集でしたけど・・・ほんっとーーーに細かい。
沖田先生のオペ用グローブのサイズを「7」とピタリと当てるなんてびっくりです。
で、メッセージの数々を聴きながら医療関係者の方々がとても熱心に細かくご覧に
なってらっしゃるのだなぁと。
細部までできるだけリアルに!との拘りがきちんと評価されてると感じました。
メッセージ一つ一つに丁寧に答える木村の声が本当に嬉しそうなの。
手応えを感じてるだろうし、並々ならぬ決意で沖田一光役に挑んでるんだなぁ。
彼は長年「役を引きずらない」って語ってましたけど、ロイドやった辺りからかな?
役にのめり込んでる自分を素直に認めるようになったのは。
そう、前々から私たちは気づいていましたよ。
撮影に入るとスマスマでの佇まいすら変化するのを。
スマスマは無くなりましたがワッツの声とか番宣での顔を見ると、ああ木村は今
沖田一光なんだなーと実感致します。
昨日のブランチなんていい感じでしたよー。
ケンケンこと松山ケンイチくんと木村のボケ・ツッコミ面白いwww
木村が楽しそうで、本当に素晴らしい現場、最高のチームだなと実感。
思えば去年の夏ごろからかな?
やたら病院関係の話をしてましたね。
あー、下馬評通り次は医者役かー・・・なんてちょっとばかり否定的になったりも
しましたけれど、今はそんなネガティブな気分は微塵もありません。
予想以上のものを見せてくれる。
そこはほんと、さすがの木村拓哉だなぁとつくづく思う。

ああでも過去にはあったかな。
プライド、エンジン、南極、ミスブレ、月恋、HERO2、ヤマト辺りは辛かった。
飯島さんのマネージメント、2000年代特に最後の5年間は最悪だったなぁ。
・・・そういうの全部無くなって毎週毎週ドラマが楽しみ過ぎる。

木村は沖田一光役を引き受ける時、このドラマを見て外科医を志す人が増えたら、
って語っていましたから、手応え感じてますよね。
毎週ドラマ直後の反響がすごいですもん。
きっと制作に関わった全ての方々が「やってよかった!」と思えるドラマになる。
ちょっと複雑ではありますが・・・社会的な役割まで背負ってるように感じるから。
もっと自由にやっちゃっていいじゃん?と思うところもあり。
まぁでもスターの宿命みたいなものですかね。
キムタクに反発し疑問を抱き続けた彼が、葛藤し苦悶しながら見つけた落とし所、
共存・共生できる位置がそこなのかもしれないし。
HEROの久利生なんてまさに、ですよね。
映画HERO2は色んな意味で不幸な作品だったけど、SP企画で久利生の背中を見て
その道を選んだ人に出会えたのは、本当に嬉しかったろうな。
キムタクとして激しい誹謗中傷に晒され、尋常でないキツさもあるでしょう。
それを逆手に取って、ポジティブな力に変えていこうと決意したのかもしれません。
酷い叩きに同調・便乗するおバカさんばかりじゃないですよね、世の中。

そう、相変わらず叩きは酷いようですが、ヤフーニュースは日頃から見ないし、
わざわざ検索もしないので比較的快適です。
Twitterでエゴサするといろいろ不快なものが目に入るんだけど、観察してると
毎週ほぼ同じ曜日の同じ時間帯に怒涛のように流れ出すんですよね。
具体的には元SMAPメンバーのドラマ視聴率が発表された直後、つまり水曜日の
10時過ぎ頃から一斉に流れ出すパターンなんです。
関東の数字が振るわなければ地方の数字の平均を出して高めに見せかけたり。
視聴熱とか言う謎の指標まで持ち出してA LIFEの比較サゲをやってます(苦笑)

*視聴熱=Twitterの#付きで呟かれた回数を元に測るらしい。テレビジョンと共同で
               新しい指標として開発。だそうです。

そもそも集中して番組を見てる時にツイートなんかできません。
そうなると視聴熱ではツッコミ入れつつ気楽に見れる番組が有利になりかねず、
バラエティはともかくドラマで、それは歓迎すべき状況でしょうか?
前も書いた通り比較アゲサゲはサゲられた方はもちろんアゲられた方も大迷惑。
単独で褒められないの?そのドラマは。ってなっちゃいますからね。
この手法で騙される人居るのかなぁ。
アゲられたドラマの数字が裏に関係なくほぼ横ばいなの見ると疑問が。
色んな指針があるのは良いことですが、恣意的にアゲ・サゲに利用されると
その指針自体の価値が薄れるんじゃないでしょうかね。


昨日は無限の住人の特典つきチケットの販売開始日。
初日なのにファイルが手に入らなかった方もいらっしゃるとのこと。
すごい反響のようで、ワーナー側も喜んでるに違いない。
トレイラーがめちゃくちゃかっこいいですし、万次のインパクト強烈だし、あれは
おっ!?と思いますよね。
これから上映館もどっと増えそうだし、至近の映画館で上映されますように。
足繁く通う予定なので(笑)
そうそう、MIYAVIさんとの対談素晴らしかったですよね。
J Moviemagazineとcinéma squareを購入しました。
対談部分はほぼ同じなんですが部分的にちょっと違っていて、
多分意識的だと思うけど、cinéma squareの方が断然刺激的です(笑)
MIYAVIさん、既に木村用にソロ曲用意してらっしゃるそうで。
今は役者仕事一本ですぐに動くことはないかもしれないけど、先々楽しみ。
JMovieはカメラ・アクション・ヘアメイク・衣装の方々の言葉が掲載されていて
興味深く読ませていただきました。
両方ともオススメかなぁ。
MIYAVIさんとの対談で、木村は海外で戦う彼の姿勢をリスペクトしてますね。
「求められれば」海外へと語ってましたし、彼の中で何かが生まれつつあるのか。
週二日のスマスマ収録も無くなって事実上スケジュールの束縛から解放されて
本当に自由になったんだなぁ。
ICWR撮影中度々トンボ帰りさせられたのを考えると、雲泥の差ですよね。
これはあくまでも個人的な考えなんですけど、渡辺謙さんのようなスタンスは
木村は取らないんじゃないかと思います。
日本人は英語だけでなくお芝居の表現方法自体でも大きなハンデがあります。
謙さんは言語だけでなく身体表現も専用のトレーナーについてもらって相当訓練を
積み上げてあのポジションを掴み取ったらしいですよ。
身体表現といえば、JMovieのスタッフの証言でカメラとアクションのスタッフさんが
木村の動きを褒めていらっしゃいました。
アクションがキレイで、どう動いたらどう見えるか、よくわかっていると。
SMAPとして長年ダンスしてきた経験で身体イメージが非常に鮮明だろうし、
滑らかに時にはエロティックとも感じられる彼の体のしなやかさは、
天賦の才とビジュアルの美しさとあいまって、唯一無二。
ああいう「美」は案外世界共通で理解できるんじゃないだろうか、と。
日本人のアイデンティティを保ちつつ、日本でしか作れない作品で海外の方々にも
楽しんでもらえたら最高ですよね。

ハンデを逆手に取る。
そんなスタンスが木村には似合ってると思うのだけど。
どんなに頑張ってオペしても認められない時期が長かった。

沖田の言葉。
医者になりたかったけどたった一度の医療ミスで実家が廃業し、奨学金で
看護学校へ通ってナースになるしかなかった柴田。
「他に行くとこないから。」って1話で言ってた理由はそれか。
沖田先生、オペの腕は最高に素晴らしいのに言葉足らずで気持ちの表現が
最悪に下手くそ。
心の傷を覆った鎧が重すぎる柴田と気持ちがすれ違うのは当然の成り行きだけど、
不器用な者同士だからこそお互いすっと本音が言えたのかもしれない。
「自分を認めるのはそう簡単じゃない。」
子供の頃は壮大に引目を感じ、医者になってから出身大学でコンプレックスを抱え
シアトルではきっと言語や習慣の違いで苦しみ続けながら、黙々とオペをこなした。
知る人ぞ知る凄腕外科医となった今も睡眠以外オペのことを考えて過ごす沖田の
推進力の一つは「認められる自分」でありたいってことだと思う。
だから自分を卑下する柴田に余計イライラしてたんだよね。
彼は柴田の態度に過去の自分を見たのかもしれない。
柴田の代理でオペに入ったナースにわざとらしくため息ついたりして。
それ、完全なる八つ当たりですからね沖田先生。

立ち止まったり迷ったりは必ずある。
でもそこで終わりには絶対にしない。
目の前の命と向き合う。
その素晴らしさと達成感。
苦しむ誰かを幸せにできる自分を、認めること。

その困難さを知っている者の言葉だからこそ、心にまっすぐ届いたと思う。
深く頭をさげる沖田を見た時の柴田の笑顔。
彼女はたぶん、ナースになって初めて「救われた。」と感じたはず。
「僕はちゃんときみを見てるから。」
尊敬する異性にこんなふうに言われたらそりゃ好きになっちゃいますよ。
「沖田先生とオペできるから、」壇上病院に残ったと深冬に言い放つ柴田。
その瞳に恋する女の燃え上がる炎が見えた気が・・・いくら鈍感な深冬も流石に  
気づいたはずだ(笑)
直後、屋上に沖田を呼び出して(古典的w)容赦なく疑問を突きつける深冬。
天然・井川の無自覚なリークが発端とはいえ、柴田の一言に女の意地が炸裂か?
深冬みたいなタイプ時々居るよね〜・・・いい人だけど鈍感ってイライラするw
それは菜々緒弁護士先生も同じなようで、食堂の捨て台詞にはスカッとしましたw
彼女は壮大と不倫してる上、立場上その苦労を目の当たりにしてるから余計だろう。
絶対自分の方が壮大を理解してると思ってるだろうし、深冬はあの通りだもんね。
それなのに、なんだかんだ壮大は深冬に惚れ込んでるようで。
壇上病院次期院長の座を死守したいだけとは思えない。
手術中、深冬の幻覚見てパニックで過呼吸起こすほどですから。
本人の言う通りオペは無理。何か起きたら暴発して暴れだしそうで怖い。
すでに神経衰弱ギリギリのかなり危うい状況です。
不規則発言に菜々緒弁護士も怪訝な表情をしてましたし。
苦労して病院経営を軌道に乗せたのに、評価どころか院長からは邪魔者扱い。
妻はお嬢様育ち故か夫の苦悩を知りつつも専門分野の小児科に拘る。
典型的な娘婿の苦悩。
さらに院長が呼び戻した昔の恋敵は
「病院に残って欲しいなら患者を手術させろ」
「優秀なオペナースをやめさせるな」
と妻の手術を盾に無理難題を言ってくる。
壮大ほんと八方塞がり。そりゃストレス溜まるわ。

その沖田一光。
彼は「自分の」オペのことしか考えてない男。
目の前の患者を救う為に全力をあげ、知力の限りを尽くす姿は本当にかっこいいし、
手術中トラブルが起きても全く動じず処置する姿には惚れ惚れしました。
(脳手術中の「(出血)止まれ、止まれ」の声のトーン最高)
あの冷静さ。リアル。凄腕外科医はああでなくちゃ。
が。
井川先生との焼肉デートwで焼肉に箸を伸ばした途端「動かないで!」と
オペ中さながらの言葉で静止しちゃうとこはなんとも子供っぽい。
柴田にキツイ一言を放ちながら、「本心じゃないって分かってると思ってた。」って
ぜんぜん相手の気持ちに寄り添えてない。
人間関係を維持するためのスキル不足というか、いろいろ欠けている。
この二面性が実に上手いこと沖田一光という人格に収まってるなぁと。
壮大や井川への傲慢さと柴田への共感・柔和さの落差が彼の複雑さを象徴していて、
こういうのは木村の独断場でしょう、なんて思ってしまう。
才能と技術を盾に自分の意思を押し通すのに躊躇しない男。
強烈なコンプレックスを抱えながら全身全霊をかけて戦い、這い上がってきた
ファイティングスピリットを持つ男。
目の前の患者の痛みに共感し受け止める優しさと強さを持つ男。
沖田一光はやっぱり木村拓哉といろいろシンクロしてますよね。

それにしても井川先生は癒しですよねぇ。
天然なとこもあるけど、基本人の苦しみや悲しみをほっとけないタイプ。
柴田に惹かれたのはオペナースのプロとしての仕事っぷりや外見もあるけど、
彼女が抱える心の傷をなんとなく感じ取っていたんじゃないかな。
多分ご本人は気づいてないだろうけど、周りをいい感じにかき回して少しずつ
変えて行ってる気がします。
彼がこんなに魅力的に見えるのは松山ケンイチくんのお芝居の魅力。
アライフで本当に好きになりました。
アライフ始まってからずーーーーーーーっと木村の声が弾んでます。
これこれ。この感じを待ってたんですよね・・・。
2016年はじっと我慢の一年でしたが、それを完全に払拭するアライフ。
素晴らしいキャスト。愛のあるスタッフ。よく練られた脚本。
毎週二日のレギュラー収録の拘束もなくなり余計な口出しする人も居なくなって。
全力投球ですよね、ほんと。
番宣も楽しいものばかりだったし、なんかこう、幸せ過ぎてちょっと怖い(嘘)
ワッツの収録中に現場から送られて来たLineの写真を見て、
「なんで僕、いま半蔵門にいるんだろう?」
なぁんてワッツの収録時間すらもどかしくて
現場に飛んで行きたい感じがめちゃくちゃ伝わってきて、笑ってしまう。
木村拓哉、可愛い過ぎでしょ♡
可愛いと言えばモニタリングの笹野さん。
あの時、シュークリームを「シューちゃん」と呼ぶ木村もたいそう可愛くて、
発案も木村かと思ったら台本だったんですね。ちょっと残念。

アライフの公式HPのレポにもありましたが、ケンケンこと松山ケンイチくん。
沖田大好きなのに素直になれないツンデレキャラで癒しですが。
役を離れても木村とイチャイチャしてるらしい(笑)
http://www.tbs.co.jp/ALIFE/report/ ←2月3日のレポート参照
目に見えるようですねー。
(DVD発売のあかつきには当然特典映像に入ってますよね?お願いTBSさん)
ケンケンと言えば昨日のワッツで台本の覚え方の話題で名前出てましたけど、
大学ノートに書き写して覚えてるそうですよ。
ケンケンのお芝居、間が絶妙だなーって思ってました。
ちょっと勘違い気味でボンボン育ちで嫌味のない大らかさが滲み出る
井川先生と雑草・沖田のやりとりの面白さは、ケンケンの隠れた努力の賜物かも。
台本をちゃんと読んで場面の感覚を掴むのは役者さんにとって当然でしょうが、
アライフの現場には手抜き・勘違い野郎も居なさそうですよね(笑)
質問者は「木村の」セリフの覚え方を知りたかったかもしれません。
でも回答に困ってしまうだろうなぁ。
もう何年まえになるだろう?キネマ旬報で香川さんが担当してた「日本魅録」。
映画HEROの一作目。かねてより木村拓哉のスーパーナチュラルなお芝居に
「どうやってセリフを覚えてるんだ???」と疑問を持っていた香川さん。
初対面でいきなり疑問をぶつけて、得た回答が、
「セリフは映像で覚えます。台本を読むと余白部分に映像が出てきて、
勝手に編集されていく。
自分の中の映像と実際の現場との違いはその場で修正していく。」
・・・でした。
過去の言動から木村はヴィジュアルシンカーではないか?と思ってましたが、
ここまではっきり映像で記憶してるとは。思いもよりませんでした。
ということで、テストの暗記にはちょっと応用しづらいキムラ的記憶術。
ケンケンのはオーソドックスで視覚情報がインプットされやすい人に最適かと。
(聴覚優位の人なら声に出して読む方法もありますよね)
ワッツでは話題に出てこなかったけれど、タッドこと浅野忠信くんのことは
インタビューで度々触れてますよね。
壮大の心の動きを深く深く考えて解釈していると。
シーンを相手とのやりとり=コミュニケーションと捉える木村。
役の奥深くまで心の動きをつぶさに掴もうとする浅野くん。
全体を一度頭に叩き込んで現場で自然なやりとりに置き換えていく松ケンくん。
三人三様で実に面白い。
脚本もさることながら、アプローチの違いが個性に反映されてるのがよく分かる。
やっぱりすごいドラマですよ、アライフは。

木村のドラマにはつきものの五月蝿い外野の声。
今回はどうかなー?と思ってましたら相変わらずですね。
中でも一番うざいのが元SMAPの某メンバーとの比較アゲ/サゲ。
視聴率に始まり、アライフが今季一位になったとたん、内容で比較。
テーマも視聴者層もかなり違うと思われる二作を比較する意味は(笑)
アライフも視聴者の評価が高いと見るや今度は主演で比較。
毎度の貶し叩きといえば今井舞、吉田潮、カトリーヌあやこ。
おばちゃんの悪口レベルの重箱の隅つつきプラス、ウリのツッコミがあまりにも
面白くなさ過ぎ・低レベルでまともに受け取るのが恥ずかしいといいますか、
ネットでは相手する人も居なくなってきてますが(笑)
朝日新聞の島崎今日子とかいう人のコラムにはさすがに呆れました。
木村叩きの為に元SMAPメンバーを比較対象に褒めてるんですが、
あまりにも無理やり過ぎてびっくり。
そのメンバーは自分のとこ以外台本をまともに読まないまま現場へ行くので、
自分が何をしてるのかよくわからず演じてる時がある、とか。
某若手俳優さんを相手にその話を披露して絶句されてた、とか。
それでも押し付けがましくない現代的なお芝居ができてるって褒めて?ましたが。
もし事実なら役者としてのスタンスおかしくないですか?って思いました。
共演者・現場のスタッフに失礼だし、それでお芝居ができてると思ってるなら
何十年に一度の大天才役者のつもりなの?って呆れちゃいますよ。
まさに褒め殺し(苦笑)
で、アライフ=木村を一方的に貶してるんだけど、ドラマをちゃんと見てる?と
逆にツッコミ入れたくなるお粗末さ。
このコラム何がしたいのかしら?と心底謎です。
20世紀の終わりからずーーーーっと木村叩きを続けているゲスな朝日新聞ですし、
文章のクォリティ低くて何が言いたいのかよくわからないのもデフォルトですが、
アゲ/サゲでしか褒められない人みたいな扱いで、木村サゲに名前を出された
元SMAPメンバーのファンも不愉快だと思うんです。
本気で褒めるならその人の素晴らしいところをしっかり上げて、理由も添えて
誰もが納得いく流れにするでしょう?
これ、仮に木村と元SMAPメンバーが逆でも不愉快だと思いますよ。
去年解散したSMAPですが、相変わらずネットでは名前をみる機会もありますし、
残念ながら木村拓哉を叩く為の比較対象になることも多いですね。
SMAPネタでまだまだ稼ぎたい輩がうようよ(苦笑)

私はこのブログを書くにあたって比較アゲ/サゲだけはしないときめてます。
それをやっちゃうと貶された人はもちろん、褒められた人にも失礼です。
比較対象がいないと褒められないってこと?って思っちゃいますから。
その他にも元SMAP対決とばかりにお芝居を勝ち負けに見立てて、
明らかに煽りに利用してるライターも見かけました。
愚かだなぁと。
ドラマなり映画、舞台を見る時、この役者さんの芝居は他のナントカさんより
優れてる!勝ってる!なんて思いながら見ても面白くないと思うんだけどね。
作品をぶち壊すくらい下手くそなら気にはなりますが、最近はそこまで酷いのは
見たことないですし(私が知らないだけかもw)
勝ち負けで役者さんの芝居を見てるような人が評論家とかライターとか。
いいのか?それで?
演じる役は例えば服のようなものかなと思ってます。
普段着が最適な日常的シーンにフォーマルだとおかしいし、真夏に毛皮は着ない。
その作品で要求されるシチュエーション・キャラクターをどれだけ正確に掴み、
作品に調和しているか。
ってことじゃないでしょうか。
(もちろん日常着にわざとフォーマルで出てくる人が居てもいいのです。
それが要求される作品ならば)
サラリーマンの似合う人がいれば、極道が似合う人もいる。
平凡な役が似合う人がいれば、ミステリアスな役が似合う人もいる。
それを勝ち負けやアゲサゲで語ってしまうのは何とも無粋に思えます。
素人でもその手の書き方の人がいると「かっこ悪いなぁ・・・・」と思うし。
ましてや文章のプロだったら、どんなに素晴らしい文才の持ち主だったとしても、
ああ、この程度のセンスしかない人だったのか。と幻滅してしまう。
書き手のプロとしての矜持はしっかり保っていただきたいですよね。

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